美術作品に値引きはないー1996ー大気堂
画家とは?画家になるには?横浜の関内駅から歩いて5分くらいの場所に、
かつて大気堂画廊がありました。
周囲はオフィス街。
黒塗りの天井や作家ものの無垢の長椅子、
落ち着いて美術を楽しむにはもってこいの場所でした。
そして夜な夜な美術愛好家たちが、この場所に集まりつどい、
さまざまな作家を交えて美術談義に花を咲かせていたのでした。
住まいの地元の画廊とは、また違う種類のお客さん達です。
作品を買って下さる作家と出会ったのは、ここがはじめてでした。
「作家が人の作品を買うなんて!?」最初は驚くやら、半信半疑。
しかしどうやら店主の話によると、
その作家は画廊経営を応援する意味で買って下さったということでした。
作品が画廊で買われるというのは、そのような複合的な意味が交錯します。
けっして作品の力だけではありません。
その画廊で発表するから買う、ということもあるのです。
あるいは、店主の人としての魅力とか、画廊のステイタスを、
作品と一緒に買うという楽しみが世の中には存在するのです。
ところが会期中に、あるお客さんが、店主と立ち話しているうちに、
次第にヒートアップする場面がありました。
近くに寄って話しを聞いてみると、
その人はどうも私の作品が欲しいらしいのだけど、
値引きを交渉しているようでした。
「この作品、◯◯くらいの価格だったら買うんだけど。負けてよ。」
「うちはただでさえ経営が大変なんだ。
ここの母体が趣味でやっているように思っているかもしれないけど、
会社は沢山の従業員を抱えていて、毎月お給料を払っているわけだし、
僕もねその一人なんだから、ノルマっていうものがあるからね。
それ相応の売上がないと、他の社員に面目立たないわけ。」
「このくらいの大きさの作品だったら、
前の個展の作家では◯◯くらいの値段じゃなかった?」
「じゃぁ、その作品を買えば良いじゃない。
あの時あんたはそれを買わなかったでしょ?
そんなの理由になんかにならないよ。」
「売れないより、売れた方が売上になるじゃない。
安くったって売れた方が良いに決まってるって。」
「あのねぇ。美術作品に値切りっていうのはあり得ない。
よく考えてみてよ、美術作品の価値なんてものはさ、
もともとあってないようなもんさ。
ってことはだね、何でもアリだと思っているだろ?
そうだろ?そう言っているわけだろ?
ところがそこが違うんだ。
美術作品の価値はだね、
それを売る人間がこの価格だって決めて売らなきゃ、価値なんて生じない。
だから、この俺が、この画廊でこの価格だ、って決めたからには、
誰が何と言ったて、それを俺が変える必要があると感じなければ、
絶対変えることはないってことだ。
わかったかーっ。」
その人は店主の叫びにも似た喝に圧倒されて、一目散に店を出て行きました。
私はこの出来事からとても重要なことを学びました。
当時の店主の感情的な言葉だけではわかりにくいと思いますので、
ここで私の補足説明です。
確かに、美術作品には売れ筋の価格というものは存在します。
しかし、そこで安穏として、ただ売れるというだけで満足していては、
作家も画廊も美術業界も何も成長が期待出来ません。
ちょっと売るのが難しい、そういう価格に挑戦することも大切なのです。
もう少しお客さんに対する言い方というものがあったとは思うものの(苦笑)、
しかしこの店主はなかなかの人だった、と私は今でも振り返ります。
当時はバブル崩壊直後ではありましたが、
まだ投資目的で美術作品を買う人が少しは存在していました。
若手作家の安い時期の初期作品を早くから買っておこう、
そういう風潮はたしかにありました。
さてこうした投資目的の美術愛好家は、バブル崩壊後、瞬く間に消えて行きました。
デパートなどの美術画商から、高値になると太鼓判を押されて買い込んだ作品が、
次々と値崩れを起こして行ったからです。
当時の痛手は、その後ずっと美術業界全体への不信感へと広がりました。
そんな大不況のはじまりに、私の作家としての歩みが同時に始まりました。
日本では、ほとんどの人が生活必需品ではない、と感じている絵画作品。
そんなものがどうしてこの不況に売れるのか?
その後度々、周囲の人に半ば批判として浴びせられたその言葉。
私自身も全くその答えがわからないまま、
それでも私の小作品は個展の度にほぼ完売のようにして売れ続けたのでした。
その答えは、今なら言葉で説明出来ます。
しかし、その当時はその答えを持たずに、
ただただ直感に従って自分の生きるべき道をただひたすら走り続けました。
その指針は一重に「自分を信じること」。
信じるべき自分として毎日一所懸命生きること。
自分を欺き、人を欺くような美術作品は、瞬く間に一掃されてしまうものです。
自分を信じることができれば、
その自分を信じてくれる人が必ず現われ、その道を支えてくれるのです。
これが「自然の理」ということなのでしょう。
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