ハイデガー芸術論『芸術作品の根源』『技術への問い』など
読書本日、鍵付き未公開のコメントを頂きました。ありがとうございます。 見ず知らずのお客様から、励ましのコメントを頂くと、ブログを長く書いて来て、本当に良かったと実感します。 自分の作品のことはあまりうまく書けないものですから
アンリ・エレンベルガー著『無意識の発見』・ユング心理学
読書このところ、読みたい本が目白押し(笑)。
その本がまた、本当に面白いので、ブログに書かなくてはと思うものの、書き込む時間が惜しい程に読書に夢中になっています。
欲しい本はどれも高額なものばかりで、購入が間に合わず、ほとんど図書館から借りています。
一押しは、アンリ・エレンベルガー著『力動精神医学発達史 無意識の発見 上・下』。この本は、相模原市ウェルネスのライブラリーで、何気なく手にして読み始めました。
下巻にC.G.ユングの章があり、彼の生い立ちから、同時代の他の研究者との考え方の相違、その後の研究の波及、影響力まで細かに調べ上げられ、明快にテンポ良く述べられています。
ユング関係の本は、彼の自著を含めてこれまでに、かなり読み散らかして来ましたが、こんなに面白くユングの研究内容の全貌が上手にまとめられている本は、他に見当たらないように思います。
著者のエレンベルガーの名前は、この著書ではじめて知りましたが、このような地道でかつ重要な研究というものがあることを知り、感動すら覚えました。
また、翻訳には監修の木村敏をはじめ、沢山の方々が時間をかけ、心血を注いで出来た本と察せられ、ただただその地道な仕事に敬服するばかりです。
私がとりわけ興味を持ったのは、ユングのニーチェ作品から読み取るニーチェの精神分析の講義ノートの存在です。ユングの家族が保管している、かなりまとまった資料だそうです。残念ながら邦訳はされていないようなのですが、是非読みたいと思いました。
ユングは学生時代にニーチェの『ツァラトゥストラ』にどっぷりハマったそうです。わかる気がします。
そしてその研究の結論は、ニーチェの『ツアラトゥストラ』こそ、無意識の創造力から生まれたものであるというものでした。
しかし、ユングの凄いところは、『ツァラトゥストラ』を踏み台に、不適な笑みを浮かべて「無意識」の底から這い上がり、研究に立ち戻ったところです。これはニーチェが精神的崩壊に向かって行くことと対照的です。ここが文学と研究とを分ける立場の違いなのでしょう。
そしてとにかくユングの膨大な研究業績は、存命中に輝かしいものであったことも今回この著作から知ることができました。
私自身もこれまで、この「無意識」の創造力を活用して絵画を制作して来ています。私の制作には確かに「無意識」はとても大切なものですが、「無意識」の行動が多過ぎると社会的にはとてもやっかいなことになります。例えば、作品制作において「ついうっかりの失敗」がひとつの新しい展開のチャンスになるとしても、重要な仕事で失敗ばかりしていたら、周りに迷惑極まりないわけですから(苦笑)。
無意識を美術制作に活用する制作方法、手法はさまざまにあるのですが、そのことについてはまた別の機会にご説明しましょうね。ですからここはサラッと流します。
「無意識」は心理学の世界では精神分析を行う際に、注目されるわけですが、その分析や療法に芸術が活用されます。ユング派ではこの芸術療法として、箱庭療法やコラージュ療法等があって、私がワークショップをするときは、この手法を取り入れています。
これは私自身が昔し、ユングクラブの主催するコラージュ療法のワークショップに参加したことがあり、そこで「目から鱗」というような体験をしたことに由来します。
カウンセラーは一切分析をしないのです。クライアントが、自発的に自分をみつめ、何かに気付いていくのをただただ見守ります。
そして、コラージュの技法上の修練とか、美しさなどは全く問題外であることも新鮮でした。
あくまでも療法としての行為であって、芸術活動ではないことが前提なのです。
コラージュ療法は、「人間の無意識には、自分の問題を解決する答がちゃんと用意されている」そのことを信じて行われるのだ、とその時理解しました。そうそう身体にも自然治癒力があるようにです。
その時これは「美術鑑賞にも通じる極意」とも、感じたものでした。
写真をコラージュするという手法には、専門的な美術技能を持たない人でも、美術の作業の充足感、完成の達成感、自己を見つめ直し、何らかの気づきが期待できるツールなのです。そしてそれが美術鑑賞への関心につながる可能性もありますし、もちろん自分の内省に向かう人もあるわけです。
「無意識」の力は計り知れません。ということで、興味のある人は是非上巻もお勧めです。心理学以前に、人間は悩みや精神的な問題をどのように解決したか、そういうところからこの本は始まるのです。
文化人類学的な視点から祈祷や霊媒、呪術についてのさまざまな事例が紹介されていて、はっきり言って、不思議な研究書になっています(苦笑)。
日本の祈祷の風習等も紹介されていて、とにかく「よく調べてある」のです。
平行して読んでいるのは、グレゴリー・ベイトソン著『精神と自然 生きた世界の認識論』。
阿部ねり著『安部公房伝』等々。。。
買いたい本はライターズ・ジャーニー著『神話の法則』。
ついでにアンリ・エレンベルガー著『力動精神医学発達史 無意識の発見 上・下』も買って持っていたいものです。
そしてふと、この本の流れは。。。
「コンテクスト(脈絡)」ということと関係があるかもしれない、
と自己分析してみました。
だいたい私の場合は、何かの答をみつけるために、遠回りに本を読むことがあります。で、その本に必ず自分が読みたい答が書かれていることになっています。
自分の生き方の脈略、ストーリーの雛形のようなものを探している時期なのでしょう。
そうそう、孔子の言葉に四十にして「不惑」、五十にして「知命」云々、という言葉があるのを思い出しました。
私の「天命」とは?
その答を、今、知ろうとしているところのようです。