Month: 6月 2011

眠れる日本の新しい美術ーギリシャ問題に思う

しばらくご無沙汰していました。本格的に暑くなって参りましたが、いかがお過ごしですか?
私は梅雨前に立御簾というのを買い込みまして、南側の窓に設置しました。
風の通りが良い家なので、「今年は冷房無しで過ごせるかも」と今から期待しているところです。

この御簾は高さが3m近くあり、自分で買って手で持ち帰られるというものではありません。
最近は、ネットで何でも注文して、自宅3階まで配送業者さんが運んで下さるので、本当に便利です。
3本まとめて買ったので、配送料無料でした。
近くのホームセンターで買うと、配送料は別途1000円かかってしまいます。

そんなこんなで、水、味噌等食料品から生活用品、画材にしても、どれもこれもネットで買うようになってしまいました。その結果かどうかわかりませんが、とうとう近くのドラッグストアが2店たて続けに閉店しました。
世の中厳しいものです。震災後は商品が姿を消すほどの繁盛ぶりだったのに。。。。
そもそもドラッグストアが、自宅の南北東西ぐるりと、ひとつずつあるという程の激戦区ででしたから、無理もありません。結局、古くから地元に馴染みのあるお店が勝ち残ったのでした。

ポイントカードやら、安売りチェック、こまごまと工夫すると、それなりに安価な商品を買うことができたのでしょうが、私はあまりそういうのは苦手な方です。2店舗のドラッグストアさんには、本当にお気の毒でした。

最近つくづく思う事は、「適正価格って何だったっけ?」ということです。
確かに安い事はありがたいけれど、本当にその価格で、社会は成り立っているのでしょうか?
誰かが無理をしていたり、犠牲になっていたら、何も幸せな気持ちになれません。とても心配になります。
自分だけが得すればいい、なんていう生活の先に見えるのは、決して良い世の中ではないように思うのです。

日頃から不要なものは、捨てるよりも、なるべく必要とする人に安くお分けしようと、ヤフオクなどを利用します。
ですから、中古のもので十分なら、とてもリーズナブルに必要なものを買うことも出来る時代です。

本にしてもAmazonで中古本をチェックして買いますから、新品は余程の利点がないと買わない人が多くなっているかもしれません。ものを大切にすることは良いことではありますが、一方で著作料で食べている人には申し訳ないと思う事も多々あります。リスペクトや感謝に対して、対価を支払うという基本的なマナーを失ってはいけないように思うのです。

一方で価値をつくるということも、またこれがとても大変な仕事です。
日本はこれからいろいろな意味で、価値あるものを生産し、世界に向けて売るという事をしないと、まずいんじゃないかと、漠然とした実感があります。
何ら資源のないこの国で、これまで海外に売り込む商品を開発して来ましたが、時代の節目節目にその生産品を切り換えながらここまで経済が発展しました。そろそろもう車だけでは無理じゃないかと、感じるのは私だけでしょうか?

昨日まで高価だった電化製品の多くが、あっという間に低価格で店頭で売られてしまいます。
売るために必死になって、自ら首を絞めてしまう、この体質はいつまで続くのでしょう?
どこかでそれを止めるには。。。

そう、希少価値のあるものをつくる以外にないのです。
誰にも真似の出来ないものを生み出すのです。その一番の典型的な例が美術品なのです。

時代が変わっても、民族の違いがあっても、普遍的に流通するもの。それは古来から美術品でした。

美術品は、本当に明白です。誰の目からも、ああこれはとてもいいものに違いない、と思わせる何かがあるからこそ、美術品であり、それはどんな理屈も説明も必要としないのです。

そして、国際的な問題になっているギリシャの現状から、もうひとつ私は次のような事を感じます。
過去の美術品の良いものは本当に限られたものしか残っていないのです。
その大半は、博物館に収まってしまって、貿易の対象にはなりません。
ですから、新しい美術品をつくる人を見出し、育て、大切にしなければならないのです。

ギリシャ人がかつて築き上げた輝かしいギリシャ文化、その美術品は、もうすでに大半が略奪同然で、国外に安値で流出してしまっています。国内にかろうじて残されているのは、遺跡等の観光資源。
あとは、レプリカ等のお土産物くらいなものです。
ギリシャの美術家には、スペインで活躍したマニエリスムの画家エルグレコ(1541-1614)やイタリア近・現代彫刻家エミリオ・グレコ(1913-1995)という人が有名ですが、両者共に海外で活躍し、自国には何も作品は残されていません。

このギリシャのあり方と、対照的なのがイタリアです。イタリアが、ブランド品に伝統的な職人の技を活かし大切にして来た歴史に見習う点があるかもしれません。

また、近代以降今尚、イタリアの美術、デザインを含めて、世界の人を魅了し続けています。

私の好きなモランディに至っては、祖国のボローニャから生涯一歩も出る事がなかったため、ボローニャには、世界に誇る立派なモランディ美術館が遺されることになったのです。

日本の美意識は、世界に新しい価値を提供出来るだけの力がまだまだあると自負します。

ところが、日本はそれを眠らせたままなのです。そしてその適正な価値を見出す人が現われなければ、価値の無いまま、埋もれ、あるいは安価に流出して失ってしまいかねません。

「眠れる森の美女」はそれを愛する人にしか、目を覚ますことができないことになっているのですから(苦笑)。

追伸:このような募集をみつけました。自戒、自責をする時間があったら、外に希望を向けてはいかがでしょう?今こそ大志を抱くチャンスです。

経済産業省クールジャパン海外展開支援プロジェクト公募

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