ベルクソン読書録-1
読書今月はベルクソンの本が気になり、数冊乱読しました。数冊というのは、訳本をどれにしようかと迷い、いくつか立ち読みした程度ということです。『時間観念の歴史』『時間と自由』新訳の『意識に与えられているものについての試論』旧訳『時間と自由』そしてもともと長いこと持ち続けて読みこなせない白水社の旧訳の『物質と記憶』。新訳の『物質と記憶』は手に入らなかったのは残念。来月の課題にします。
しかし、ベルクソンは、私にとっては難解で、実のところ、読むのが大変厳しいです。目的は、そういう難解な文章を生活の中に取り入れて、安易に短絡的に物事を捉えたり、失言しないようにするために、訓戒として読んでいると思うようにしています。
ですからここで書くことは、読んだ本の内容ではなくて、私が読書しながら何を考えたかについて書いているとご理解ください。
私がなぜこのベルグソンのことが気になっているかというと、先にハイデガーの『存在と時間』にちょっとかぶれていたことがあって、時間についてもっと様々な考え方を知りたいと思っているからです。
それは、私がとてつもなく時間のかかる制作方法をして来たこと、その意味の裏付けを探しているとも言えるかもしれません。
私の画家としての勘として、世の中が時間短縮を能率と考えるとしたら、それは生きていることの存在の意味を少しづつ侵食していることだと思うし、大変大切な何かを失っていることになっているのでは?と感じてしまうからです。
もっと踏み込んで言うならば、もしかしたら時間というものに縛られない生き方が、自由というものであるならば、それを勝ち取る方法は、時間をかからないように効率良く短縮させることではなくて、真逆の考え方で、時間を考えずにたっぷり好きなことを好きなだけしてみることだと思うし、それができる人が、次の時代の新しい次元にバージョンアップできるはずだとまで感じているのです。
そういうことをベルクソンが書いているのかどうかは、まだわからないのですが、何か私の考え方が変わったら、変わったでも良いし、あるいは私の理想の世界がよりリアルなものになる何かヒントが隠されているのでは?と感じられて、読むのが大変楽しみなのです。
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