美についてーカント熱到来
読書お陰さまで、10月を無事に乗り越えて、個展に発表する制作に専念する毎日です。
これは一重に、作品を買って下さったり、ご寄付、応援の言葉を送って下さる方々のお陰です。
心から感謝申し上げます。ありがとうございます。
制作により力を注ぐ一方で、自分を少しでも高めるために、読書を心がけていますが、
最近夢中になって読めるものがみつかりました。
初めてカントに目覚めました。
経緯は、こうです。ハンナ・アーレントの『精神の生活 (下)―第2部 意志』を時間をかけて大切に読み進めているのですが、
そこにどうしても勉強しなければ分かり得ないことが、あたかも周知のこととして書かれています。
たいていウィキペデイアで調べますが、「カントが...」となると、
どうしてもカントを通過しなければ話しが実感出来なくなって来ました。
カントは、難解中の難解です。
図書館に並ぶ23巻の全集を見ただけで、側に近寄ってはならないオーラがあります。
そこで、入門書のような簡単な本を探して何冊か読むことにしました。
石川輝吉著『カント 信じるための哲学―「わたし」から「世界」を考える 』
これはかなり薄いにも関わらず、文章のひとつひとつが頭に入って来て、
とてもありがたく読ませてもらいました。
しかしあまりに平易すぎて、本当にその解釈で大丈夫なのかと、次第に不安も感じるようになり、
また本棚からかつて買って諦めていた岩波文庫の『判断力批判 上 』をパラパラとめくり始めました。
最初からは、どうしても読めなくて、結局上巻の後ろの方から、気になる項目を読み、
少し読めたような気になり始めた途端に、カント熱が到来。
カントって、実は日本では江戸時代の人なので、
今更夢中になっても古いんじゃないか、という気もしますが。
実は現代の哲学のほとんどがこのカントの影響を通過して来ているので、
やはり知らずして現代を語れないのではないかと思うに至りました。
それはそれとして、そもそも何が私をカントへと掻き立てたかというと、
アーレントの『精神の生活 (下)―第2部 意志』には、
人間の自由意思とは、本当にあり得ることなのだろうか?
ということが中心に書かれていて、
個人という存在が世界の大きな動きの中で、
本当に個人として自由に意志を持って生きていることになっているのだろうか?
ということを吟味しようとこの下巻を書いたということが、序論に述べられています。
そこにカントの名前が出て来ますが、まったくカントを知らないので、
なぜカントが引き合いに出されているのかがわからなかったのです。
そこで、市の図書館で調べてみると、
カントは人間がバラバラな個人の集合体を目的論という考え方で、
人間には共通性(共同体)の意識があるという、
「個」の殻を破る方向性を示しているということがわかって来ました。
では個の自由はないのかというと、そういうわけでもないのです。
どちらということが言えないというような立場のように感じられました。
それはカントの「美」についての吟味にも読み取ることができます。
カントは、「美は主観的なものでありながら普遍性を要求する」
という考えを示しています。
つまりわかりやすく言うと、私たちが美しさに触れた時に、
「この美しさは私が一人今発見したのだけれど、
きっとみんなにもわかるだろうから、この美しさを共に喜びたいなぁ」
という気持ちが起きるでしょ、と言っている感じなのです。
その時、美を感じる一人の人間の判断は、どんな目的も何かしらかの利便性からも自由であって、
そして理屈なんてなくて、ただただ「いいなぁ」というため息をつくその瞬間は、
まさに個人の自由意識で行われています。
しかしではそれは全くのその人個人だけの感覚で満足かというと、
そうではなくて大きな感動であればある程、
「これは多くの人にも同じ感動があるはずのものに違いない」普遍的なものなのだ、
と信じて疑わない感覚があるというのです。
するとやはり、人間というのは、それぞれ違う個体なのだけれど、
どこかで共同体の意識があって、つながっているんじゃないかと、
やはり私もそう感じることができます。
カントって、いい人だなぁとすら私は感じました。
(実際、カントは生前から、人間として人々の尊敬を集めた人格者であり、
恵まれた研究生活を送っ哲学者なのです)
それで、カントは「快適」「美」「善」と並べて、
「快適」は主観的な個人本意なもの、
「美」は主観的でありながら普遍的なもの
そして「善」は普遍的なものであり、
かつコンセプト、論理性がハッキリしているものなのだというのです。
「快適」と「美」とは、そういう意味できわめてあやふやなもので許される、
とするとかなりその3つの違いが見えて来ます。
そして美が道徳に向かって行くための道筋になっている、
あるいは道徳は形として把握出来ないので、
美がシンボルとしてあるという考えが示されていました。
「美」が「善」に向かうために、
カントは「崇高」という概念が不可欠であることを書いています。
自然の美には「崇高」さというものがあって、
それが人間に「畏怖」や「厳しさ」を感じさせる。
それは人間の「道徳」感情と同じもので、ただ単に体裁が美しければそれでいいのかというと、
美はさらにその向こうに、向かうべき目標があるのではないかというわけです。
カントにとってそれこそが芸術というものであったのでしょう。
趣味の範囲での体裁の整った美術品ではなく、
高みとしての芸術にはこれが求められると考えているようなのです。
快適なもの、美しいもの、善いもの、
こういう言葉は、現代のどのシーンでも必要不可欠の要素です。
どのような職業であるにしろ、これらの要素を考えずに仕事は出来ないことでしょう。
あるいは逆に、経済が優先するにしても、
これからの格差社会に、「善」を掴むことが出来るかどうかは、
見えて来る世界がかなり違って来ることと思われます。
余談になりますが、このカントの考え方に触れていて、
ふと思い出したことがあります。
「アーティストは、自由に自分の思いを作品にすることが出来てうらやましい。
私の仕事は依頼者の注文に合わせなくてはならないので、
自由意志というものが反映されにくい。」という言葉です。
アーレントによると、そもそも「自由」という概念は、
古代の奴隷が肉体的な「自由」を欲したところから発生しているので、
ギリシャ哲学では「自由」という概念は出て来ないのだそうです。
しかし現代では奴隷制が消失しても(とはいってもイスラム国には未だにあるそうですが)、
精神性における「自由」という問題が取り上げられるようになり、
果たして私たちは本当に「自由」を勝ち取っていると言えるのかどうか、
吟味する必要があるというのです。
つまり画家といえども、本当に自由意思で作品を手がけているのかどうか、
何らかの動向にただ押し流されているだけであったり、
一つの枠組みにむりやり押込められ、
あるいはそこに加わることで安穏とするだけの活動であったり、
経済が足かせになっている場合にそれは自由といえるのかどうかということです。
そこでそういう場所から遠ざかり、たとえそれらから自由となったとしても、
結局個人の自由意思などというものがそもそも目標ではなく、
やはり万人共通の意識というものに立ち向かうことになる。
個人的なクライアントではないかもしれないけれど、
やはり社会全体を意識しない表現は、
ただの個人の趣味でしかないということになりかねないわけです。
どの職業であっても、やはり目指す所は同じであって、
本当の自由というのは、個人とか共同体とかのボーダーラインが無いところに、
自分を高めた場合に存在するのではないか、
そう考えながらアーレントとカントを読み進めているところです。
そういえば孔子の論語には、
「七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず」とされています。
私はまだ「五十して天命を知る」であり、
「六十にして耳従(した)がう」がまだまだ途上ですが、
あと二十年かけて、これらの境地を目指したいものです。
最後に、私が感動したカントの思い描くイメージをご紹介して、大きな希望につなげたいと思います。
それは、美しいものを美しいと感じる判断は、どの人にも自由であること。
そして快適なものというのは、何かのためにという条件付きだし、
善いものというのは、「こうあるべき」という目的に従わなければならない。
でも「美しい」という感情はどれにも拘束されずただただ嬉しい。
この「美しいものを感受するとき、私たちの心には自由が生まれている」ということなのです。
自分にとって、何が美しいものなのか、
それはまず美に出会うことなしには語れません。
では、美は一体どこに存在するのか?
海や山といった自然の景色でしょうか?美術館でしょうか?画廊でしょうか?
それらは美を確かめる場所です。
美そのものが、たとえそこにあったとしても、
ほとんどが見過ごされてしまうのです。
それはなぜでしょうか?
その答えとなる文章を私は最近知りました。
あなたにとってもその答えでもありますように。
「心の中に反省が沸きたち、思索の光に照らして自分自身を眺めるとき、
人は人生が美に包まれていることを発見する。」
ラルフ・ウォルドー・エマソン(杉野裕実訳)
「月影の いたらぬ里は なけれども 眺むる人の 心にぞすむ」法然上人
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