父の収集癖
家族昨年の夏、実家の借地契約がきれ、40年間家族が生活した家を取り壊しました。母も妹も私も、人生であれほどの決意をしたことはなかったかもしれません。
決意もさることながら、父の遺したものを処分する作業は、想像を絶する程につらいものでした。つらさとは、ものに対する執着ではなく、ものの多様さ、量の多さから生じる肉体的なエネルギーの消耗です。精神的な消耗が薄かった分、父に感謝しなければなりません。
遺された母娘には、ものへの執着はもはや何もありませんでした。
父の蔵書は、別館2階書斎、書斎下の収納部屋、旧書斎の3カ所に散在していました。このたぐいの収集は、そうめずらしいものではないと思います。
父の収集はこの本からはじまり本で終わるのですが、これに平行して、さまざまな収集の波がおとずれ、やがて「癖」へと構築されていきました。
まず最初に記憶しているのは、「硯」です。「硯」を買ってくるたびに夫婦喧嘩が絶えませんでした。当時小学校低学年だった私は思いあまって、父に宛て手紙を書きました。『わたしがおかねをだすので、けんかはやめてください。』封筒にはお小遣いをためていた3000円を入れました。ところがショックだったのは、次の日その3000円がケーキになってしまったことです。私は幼いながらも裏切られたような気持ちになって、それ以上かかわることはやめました。旧書斎の押し入れには、母も私も目をそらすほどの怨念が山のように積まれていました。
その「硯」のブームは、次の一言で下火になりました。「中国で硯に使えるような石がなくなっている」何か都合のいい言い訳だったのかもしれません。
次の波は海からやってきました。閑をみつけては娘と散歩と称して、荷車を押して海に出かけました。くる日もくる日も、浜で石拾いをしました。それを家に持ち帰り、水で洗い、磨きをかけたり、中には鑞や椿の実をこすりつけて、光沢を出すような作業もしていたようです。そして、「この姿がいい」というものには、手製の木製の台座をつくるのです。石がぴたっとはまるように、丹念に溝が掘られ、中には中国風に装飾された脚を取り付ける凝り様。最後に赤や黒の塗料で仕上げです。それらがいつしか相当な数になって来て、陳列を楽しむ波がはじまりました。
玄関、居間、書斎、床の間と、あちこち石だらけになり、異常な事態に。
やがて、たくさんの流木も磨かれ、それに加わりました。
そこでまたもう一つの波が来たのです。石だけでなく壷や皿が欲しくなるわけです。ここからさまざなな古道具屋、骨董屋めぐりが始まりました。鎌倉の小町通、横須賀の坂上、横浜、軽井沢。私も幾度か連れて行かれ、店の主人との会話を楽しむ父の横顔を観察していました。
象牙の置物、備前焼の壷、青磁の皿、ツゲの一刀彫の七福神...。
口癖は、「そのうち高値になるものもある」でした。某テレビ局の「◯◯鑑定団」が放映される前の出来事でした。この波はかなり長引きました。どうしても欲しいものがあると、それまで買った、いくつかのものと交換することもあったと記憶しています。のめり込んでいくと、その集中力のあまり、頭の中はそればかりのことで一杯だったようです。毎晩夕飯時に、母娘は骨董うんちくを聞いては、「ついていけない」気持ちでお腹一杯になるのです。父一人幸せそうでした。それが何よりも救いではありましたが...。
次の波は「金魚」でした。実家は、父が自らいろいろ研究して設計したもので、中庭や裏庭の景色を楽しむ渡り廊下がいくつもありました。その廊下の木目装飾模様の入ったガラス窓がある時、部分的に透明なガラスに変えられ、外に水槽が設置されました。廊下の中から金魚を楽しもうという趣向です。父が、2~3匹では満足しないのは言うまでもありません。その水槽には、毎週のようにいろいろな金魚が買い足され、高価なランチュウと呼ばれるへんてこな形のものまで見ることができるようになりました。
水槽には浄化装置もつけられ、絶えず透明な水が保たれていましたが、あまりたくさん入れるので追いつかないので、とうとう3日とあけずに、こまめに水が取り替えられるようになりました。こういう手間のかかる作業が、父のもっとも得意とするところなのです。金魚への愛情もさらに深まり、とうとう、手でさすりながら金魚とコミュニケーションをとるまでに。その溺愛が、たたって金魚に皮膚病が流行る始末でした。
その後に続く、仏像コレクション。こればかりは、処分に悩みました。人間の顔を持つ仏像というのを処分するとなると、なかなか勇気がいるものです。母が仏様を粗末にしたら、父の怨念が祟るのではないかと言うのです。確かに、父は草葉の陰で、コレクションの数々が処分されているのを歯がゆく見ている気がします。何か思い切れる答えはないものか・・・、ない知恵を巡らせてみました。「そうだ!お寺に聞いてみたら?」ということで、母が鎌倉の報国寺に電話。答えはとても簡単なものでした。「欲しい人に分けてもいいです。ただ処分に際して祈祷したいというなら、してもいいですよ。」というあっさりとしたもの。そういえば、禅宗では、仏像を仏にあらずと火にくべた話がありましたっけ。母娘は気持ちも吹っ切れ、古道具屋に処分をお願いした次第です。
人間の顔を持つ仏像というのを処分するとなると、なかなか勇気がいるものです。
すべての父のコレクションを始末して、9ヶ月が経ちました。今のところ何も悔いはありません。中には売れたものもありましたが、売り方が下手で、父の思うような金額にはなりませんでしたが、でも本当に十分です。長年の頭の荷が軽くなり、すべてが良い思い出になりました。笑って人に話すこともあります。
お父さん、いろいろな思い出を残してくれて、本当にありがとう。
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