木田元著『闇屋になりそこねた哲学者』
読書季節の変わり目、この時期は、黄砂や花粉、三寒四温、別れの季節でもあり、世界がまるで空虚になってしまう瞬間がたびたびあります。。。あなたはいかがお過ごしですか?
ブログには書ききれぬ程の思いにさいなまれ、一人悶々と抑えきれずに、夜な夜なキーを叩いてしまいます(苦笑)。
このどうしようもないやるせなさは、すべて作品制作に注ぎ込むしかないのでしょうが、制作中は、むしろ余計なことは考えられないわけで、ごちょごちゃした思いをすぐに忘れてしまう性格ではあります。
しかし、無意識の中には、どろどろとした積年の思いがどよめき、私の人生をはげしく揺さぶります。。。。今晩は、ちょっと大袈裟に書いてみましたけどね。。。
しかし、こういう時にこそ、確定申告のつまらない事務仕事を放り投げて、読書に没頭することが、今の私の最大の贅沢です。
今日といっても、もう昨日になってしまいましたが、一気に短時間で2/3を読んでしまった本をご紹介致します。いつぞや、ちょこっとだけブログに書き込んだかもしれません。木田元著『闇屋になりそこねた哲学者』まだ完読ではありませんが、痛快ともいえるような一人の哲学者の半生、自伝でございます。
おそらく多くの人の哲学者のイメージを根本から覆すに違いありません。ご本人が出会った、天才、秀才達は、ことごとく、ばったばったと死んで行きます。曰く「頭のいいヤツ程、生命力がないのか。。。」そんな不逞な笑み浮かべるがごとく、力強く人生を切り開いて行く哲学者、木田元氏。
なかなかの人物であろうとは、おおよそ予想してはおりましたが、なるほど、こういうところから、ハイデガー、そしてメルロ=ポンティ研究にたどり着いたのか、と愉快な気持ちになります。
本当に、生きるとはどういうことなのか!すがるような気持ちで本を読む、というような時期がかつて私にもありまして、6畳1間の安アパート、風呂無し、洗濯機無し、テレビ無し、というような生活を3年程続けたことがあります。その時は、本当に「このままの自分では、ダメだ。。。」「どうしたら、自分らしくあれるのか。。。」なけなしのお金を全て本の購入にあてて、思い詰めながら本を読み続けました。
そのころに、禅や心理学の本をよく読みました。哲学の本は、ハイデガーもメルロ=ポンティもすでに持っていましたが、読んでもほとんどわからなくて、後ろの解説を読むに留まっていたと思います。哲学を本格的に学ぶという環境には恵まれていませんでした。美学や芸術学を研究テーマにしたかったのですが、そういう場所には自分はいませんでした。
ですから、いまだに、この芸術について、哲学ではどのように考えられているのか、知りたくて仕方ありません。
美大時代に、学長に直接相談に行ったことがあるのです。「美術史の方法論や、美学、芸術学の勉強をしたいので、そういう科目を増やしてもらえないでしょうか?」そんな聞き方をしたと思います。
当時の学長は東北大の美学美術史から流れて来たギリシャ美術研究の人で、快活な話し易い先生でした。(ちなみに、木田氏も東北大出身者です)私はいつも一番前の席で聞いていましたから、先生も私のことは良くご存知でした。結局、いろいろはぐらかされて、「美学には上からの美学と下からの美学があるけれど、君の言っているのは、上からの美学、と言う事だね。」と仰られて、私はたしなめられた、と感じたものでした。
しばらくしてから、家に1通の葉書が届きました。そこには松尾芭蕉の「夢は枯野を駆け廻る」という言葉とともに「なぜ美をつくろうとしないで、美を求めようとするのか」というような事が書かれていました。これが、その後の私の大きな指針になっていることは間違いありません。
当時はしきりに、美術を研究の対象とする勉強がしたくて仕方がなかったので、この言葉は、私には辛辣でさえありましたが。。。しかしなぜか運命は、私を制作の方へ方へと誘いました。
ですからその時の自分は、まさか、20年後に画家になっているとは、想像だにしておりませんでした(苦笑)。しかし、その時と今とを突き合わせてみても、何も変わっていないような状況なのです。洗濯機はありますし、部屋も増えましたが、経済状況も自分の立ち位置も、何も変わっていません。そして、ただひたすら本を読むことで、かろうじて力を得て、とにかく明日はわからないけれど、今日は生きようと決意するのです。
ハイデガーも、マイスター・エックハルトも、よく「貧しき人」について、しつこく書かれています。これは訳語としてどうなのか、いつも不信に思っているのです。私は、おそらく「空」とか「無」という状態になることを表現しているのだと、勝手に解釈しています。しかし、この言葉を見る度に、私は貧しくなろうとしているわけではないのに、「なぜ本は私を貧しい方へ貧しい方へ誘うのだろう?」と思ってしまいます(苦笑)。そして必ず思い浮かべるのが、グリム童話の『星の銀貨』というお話し。自分の持っているものを全てあげてしまう少女のお話しです。
それから「「貧しき人」から連想するのが、一昔前に流行った『清貧の思想』です。数年前になって、私は図書館で借りて読んだら、本当につまらない本でびっくりしました。著者の方には申し訳ないけれど、禅の思想とは何の関連性もないように思われます。
「貧しさ」とか「ニヒリズム」というようなものに、インテリはどっぷり浸かっていることを美徳とする風潮があるかと思います。私は決して、実際はそんなインテリはどこにもいないと思っていますが、私のどこか無意識の根底に、この「貧しさ」と「虚無感」と「無心」とが分別させない呪縛があるのかもしれません。
ところがこの木田さんの生きる姿勢には、そのようなものが微塵も感じられません。そしてそのように感じられた人たちが、話の途中で、バタバタ死んでしまいます。
おそらく、私が思うに、ごちゃごちゃ余計なことを考える人程、弱いのでしょう。考えないけど、肝心な事は考える、そう、木田氏は、ただひたすら考える頭で、余計なことは考えずに、「ハイデガーが書いて残していることは、一体何だろうか?どうしてもわかりたい」ただひたすらそのことだけを考えて生きて来られたに違いないのです。
私は、ずっとここまで「私はいったい何をしたがっているのだろう?」ただひたすらそのことを知りたくて、制作したり考えて来ました。何か考えがあって、それを実現するというのではなく、常に衝動があって、その後に、それがどういうことなのかを、一生懸命考えます。何も考えずにしているわけではないけれど、だからといって、先に理論的な裏付けがあるわけではないのです。
私はそういう意味で、常に貧しい。けれど、その貧しさが、自分を貪欲にし、制作と読書に駆り立てるのです。得られなかった、恵まれなかったことが、かえってその人の力になっている事は、多分にあることだと思います。日々、奇跡のようにして生き、制作する、これ以外にどんな生き方が画家にあるでしょうか。やはり、私はこの呪縛から、なかなか逃れることはできないのかもしれません。。。。(困った)。
木田元氏の本をもっと読んで行くと、何かまた新しい世界が開かれるかもしれません。今日は、木田元著『闇屋になりそこねた哲学者』を読んだ感想を少しだけご紹介しました。あ、こんな時間。。。失礼致しました。
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