斎鹿逸郎
出会い『斎鹿逸郎・木下晋 二人展 えんぴつ画』9月15日~25日 Gallery ジ・アース(tel.0427-25-5235 鎌倉市雪の下1-6-22)の斎鹿逸郎氏の作品を見に昨日出かけました。斎鹿氏の作品は、以前『アクリラアート』という雑誌で紹介されていた記事を読んで知っていましたが、今回はじめて直接作品を見ることができました。
鳥の子という和紙に胡粉を塗り、鉛筆で描き、また胡粉を塗り重ねるという作業をしながら、次第に画面の奥から「形なき形」が浮かんでくる作品です。私がこれを「形なき形」と書いたのは、生命がまだ生命を帯びる以前の死と生との未分化の状態を私自身が感じるからです。それは胡粉(貝を砕いてつくられる日本古来の地塗り材)の白と鉛筆の亜鉛の黒が、無機質な静けさを醸し出すのに成功しているからかもしれません。しかしそれだけ
でなく、斎鹿氏の形なき形をつくり出すセンスに品性が備わっているからだと言えます。
黒を使うと、暗く陰湿、奇妙でシュールな形態が出て来やすいものですが、氏の作品にはそれはどこにも感じられません。おおらかでやわらかな空気が画面全体、そして画面の奥にまで染みわたっています。(作品、画歴などはこちらで紹介されています。http://www.soufuu.net/)
幸運なことに、直接斎鹿氏と画廊内でお会いし、お話を伺うことができました。その一部をご紹介します。
K:作品は床に置いて制作されているのですか?
S:床に紙を置かないと、胡粉がうまく塗れません。胡粉はすぐに乾き、その上にベニア板等を置いて描いていきます。
K:紙に胡粉を塗ることで、紙がグニャグニャおどりませんか?
S:麻紙にしないのはそのためです。麻紙が一度しわになりはじめると、ただではもとにもどりません。鳥の子はその点強いですが、胡粉が乾くとき、随分縮みます。
K:きっと多少紙がおどっているのでしょうけれど、描いたものが目の錯覚で凹凸があるように見せているのか、紙が本当に凹凸になっているのか、その両方が錯綜して画面に厚みが出ているのでしょうね。
S:私の作品は図版ではよくわからないのです。ですからそれが損していることもあるけれど、かえって直接見たいと思ってくれるのなら、結果的に良かったってことだね。
K:そうです。図版で何もかもわかったような気になるような作品だったら、今日こうしてわざわざ作品を見に来たりしません。
S:ぼくはそれを魚釣りに例えています。作品に何かを仕掛けることができれば、ちゃんとその餌に食いついてくる人がやってくる。
K:その餌がとても魅力的だったので、ここまで来てしまいました。斎鹿さんの作品にはやわらかい奥行きがあるので、そこに吸い込まれていきます。画面を平面的に処理している作品とはそこが違います。わかりやすい作品を図版で見て、わかったような気持ちになって安心したい人が多い時代かもしれませんが、それはとても残念なことです。もっと作品の深さを楽しむ人が増えるといいなと思います。
ところで、こういう作品の場合、どこで完成とするのでしょうか?
S:白い作品の場合、黒に対する白さの度合いが自分の中であらかじめ決められています。それでそれ以上黒かったり白かったりしないようにします。全体のバランスから部分部分の白さの度合いが決まってくるんです。
K:完成した後からまた手直しをするということはありますか?
S:無いです。もう見るのも嫌になります。
K:どこかを直したらまた全体が崩れてしまうかもしれませんね。
氏とはこの後も話がはずみ、中心性網膜剥離になって、それを克服された話や、最近白血病で倒れたにも関わらず、無事回復して、すべての血液が入れ替わったせいか、とても身体が調子良いという話をうかがうことができました。結局あたりは日も暮れて、一杯飲みに行こうと誘っていただきました。後から画廊のオーナーの若山さんも加わり、ゆっくりとした時間が流れていきました。
白血病で倒られた時に、1週間程生死をさまよったそうですが、死なずにすんだのは、崖を上っていて、誰か男の(画家のようなきがする)人に後ろから引っ張られて、こちらに戻ってきたということでした。そのあと、さまざまな妄想がとてもリアルに目の前に見え、それは克明に記憶に残っているそうです。あまりに奇想天外なので、文章に残したいということでした。その一端をここに記しておきます。
その1:気づくと松尾芭蕉がお金持ちの弟子を自分に紹介したそうです。その弟子がいかにお金持ちかというと、金ぴかのトイレにしてしまったというのです。それを見せて、松尾芭蕉はいかに困ったことかと、何かいい訳のようなことを自分に向かって言っていたというのです。
その2:看護婦さんが実は中国の薔薇と牡丹を紋章にしている金子という民族の王族の娘で、その娘さんが今度18才になるので、中国に帰って王女になるのだと言っていたそうです。
その3:氏は気づくと、中国の洞庭湖の北の方にいたそうです。そこで、詩人で有名な李白に会い、何か詩を書かないかと勧められたそうです。そしてりっぱな詩は石に彫るものだから、あの石を使いなさいと石を見せられたそうです。そこでもう一人詩人を訪ねていくのですが、その詩人も何か言い訳を自分にしてきたそうです。
もっとその妄想は続くのだそうですが、途中から私が書道の話を伺ってしまって中断してしまいました。さて、氏と私はこの中国の妄想の話から、中国の明清の書家や日本の良寛の書、はたまた横山大観の書に至るまで話題が盛り上がってしまいました。そして、書道の臨書の模倣を弊害と考える点や、書道の歴史が実は絵画を制作する上でとても重要なことを伝えていると感じていた点で、意気投合しました。
私は、このように書について語ることのできる作家と出会ったのは初めてです。私が斎鹿氏の作品に魅かれる理由が、その作品の底に中国や日本の伝統文化を水脈とする大きな川の流れがあって、そこから水を汲み上げるかのように作品をつくる方法をご自分で自然にあみだされているからであり、それは私の作品制作ととても共通している点であることを知りました。ふと、帰りがけ、私は韓国の画家イ・ウンノ(1904-1989)http://www.ungnolee-museum.org/2004/main.aspと、もしお会いすることができれば、これと同じ話をすることができるに違いないと思ったのでした。そして、斎鹿氏はこの作家をご存知だろうか?とも思ったものです。
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