ドイツ時代ーその2
旅1984年の夏に、はじめてドイツに一人で旅立ち、とても恵まれた旅であったことを前回書きました。ドイツに降り立った最初の地はフランクフルトでした。夜中についてしまい、とりあえず朝の列車を待つまでマクドナルドで時間をつぶしました。ドイツのお店というのは、ほとんどが5時きっかりにどこでも閉まってしまいます。例外は、マクドナルドと駅の売店くらいで、本当にハッキリしていて、驚く程です。それは当時の事ですから、多少今は違うのかもしれませんけれど...。余談ですが、それではデパートやスーパーのレジで5時を迎えた時どうなるかといいますと、本当にぴったり5時にレジが閉め切られ、それ以降の人は買い物を諦めて、品物を返します。
そのようなことですから、夜にフランクフルトに到着しても、不便この上ないのですが、フランクフルトの飛行場から駅のある場所まで移動するために、市内の地図を確認などしているとあっと言う間に時間が経ちました。はじめての渡航で、興奮状態でしたし、何を見ても新鮮で、マクドナルドのメニューがドイツ語で書かれているだけでも感動してしまうような状態でした。そこで朝を待ち、インターシティという急行列車を利用してブレーメンへ向かいました。
語学学校には宿舎も用意されていて、先にそこに向かったと記憶しています。2人部屋で、同室者は、イタリア人のアレッサンドラ。黒髪の少し年上の静かな魅力的な女性でした。初日からは上手く話しができず、彼女のイタリア語訛りのドイツ語がさっぱり聞き取れませんでした。おそらくアレキサンドラと書くのだと思うのですが、この「アレッサンドラ」という発音を認識するのでさえ、何度も聞き返す程でした。
それまでの私のドイツ語学習歴というのがどの程度だったかといいますと、大学1年時は、関口ドイツ語のテキストだけで自習をしていました。通っていた大学には残念ながら、当時ドイツ語の授業がなかったのです。大学へは自宅から2時間半、往復5時間をかけて通っていましたので、その通学時間をドイツ語学習をする時間に毎日充てていました。ですから、テキストを読み、文章を丸ごと暗記して、辞書を引く程度が限界でした。次第にそれでは発音して実際に話す練習が足りないと思うようになり、アルバイトをしながらお金をためて、大学2年の春から東京青山のゲーテ・インスティトゥートに通うことにしました。その前期入門コースが終わって、後記コースに入るその中休みの時期に、思い切ってゲーテ(ブレーメン校)での語学留学を申し込んだのです。聞く力が身に付いていないのも致し方ありませんでした。
寄宿舎2日目の朝は、まだ語学学校が始まる前で、観光をするため町に出ました。メイン通りは、ブレーメンの音楽隊の銅像が設置されている市庁舎とアルトシュタット(古い町という意味)のほんの一角なのですが、どこも赤いレンガの石畳で、細い裏通りには昔ながらのドイツスタイルの建物がよく保存されていて風情のある街並が楽しめます。夕方からは、ガス灯に火が灯って、少し暗めの照明の中、レストランで夕食を楽しむ人たちで賑わいます。
ところがその2日目は、そのような観光をするだけの力がなく、そもそも地図を見ながら目的地へ行くこと自体が不慣れで、もたついているような状態。街角に立って大きな地図をひたすらじっと見ているだけで、時間が矢のように過ぎてしまうようなありさまでした。そこで見るに見かねたのか、一人のドイツ人女性が声をかけてきました。「どこに行きたいのですか?」簡単なドイツ語でした。顔を上げてみると、赤ちゃんを抱いているいかにも北ドイツ人らしい、すらっと姿勢の良い金髪の女性でした。私が簡単なドイツ語で地図上のアルトシュタットを指差すと、「そこならすぐ近くなので、まずは私のうちに来て、お茶でも飲んでからにしませんか?」と言われて、お言葉に甘えることに。
赤ちゃんを連れている人に悪い人はいないように思いました。彼女の名はヘルガ、当時34才、中学校の英語の教師をしているということでした。自宅は、集合アパートの3階。だいたいですが7畳のキッチン、8畳の寝室、洗濯機脱衣場2畳付きのバスルーム、15畳程のリビンググルーム。そのリビングルームの一角に仕事机、その上には電動のタイプライター、窓一面に棚を作って、観葉植物がたくさん並べられていました。
とても分かりやすくゆっくりドイツ語を話して下さるので、次第に耳も慣れて話すうちに、寄宿舎ではなく、ここから語学学校に通いなさいということになったのです。彼女は夏はバカンスで娘とアメリカに行くので、その不在中に観葉植物の世話をしてもらえばよいこと、中学校の自分のクラスで日本について簡単に紹介して欲しいということ、土曜日に南アフリカに牛を送る寄付を集めるボランティア活動をしているのでその手伝いもしてくれれば無償で良いからと、ホームステイを申し出てくれたのです。
ちなみに彼女は、単身で娘のインゲちゃんを育てていました。事情はうまく聞けませんでした。当時詳しく聞く力がなかったのです。彼女はいつも2時くらいまで勤務して帰って来るのですが、その間に赤ちゃんの世話をするベビーシャッターがいました。その階の下の同じ名前のヘルガという女性です。その人に赤ちゃんを預けて働いていました。そのヘルガはお姉さんとお母さん当時は3人暮らしでした。お姉さんの名はドルティア。彼女はいかにも南ドイツ人らしく黒髪でスラブ系の顔立ち、背の低い女性でした。上の階のヘルガとは親友で、同じくボランティア活動に参加していました。当時は旅行会社に勤めていて世界中を飛び回っている時期で、沢山のスナップ写真を見せてくれたことがあります。ヘルガの不在時期は、家族ぐるみで私を心良くもてなして下さり、私は甘えて北方の海や郊外の古民家博物館などへのドライブ、オペラ、映画鑑賞などあちこちに連れて行ってもらったのでした。2回目のドイツ滞在では、ドルティアが中心になって私の留学に力を貸してくれました。
ヘルガの話しでは、ブレーメンは古い街並も大切にしながら、一方で外からの人を受け入れる空気があって、とても暮らしやすい地域ということでした。私は出会いにとても恵まれて、この4人の女性からドイツのライフスタイルの多くを学ばせてもらいました。土曜日は街角に立って、「南アフリのために」と声をあげて、寄付を集めました。日本人の女性は目立つし珍しいということで、お金がよく集まると喜んでもらえたり、ヘルガがアメリカから帰る時期に世話をして来た観葉植物のホヤが見事に白い花を咲かて、それはとても珍しいことだそうで、私も嬉しかった記憶があります。
ドイツ人は、夜は火を通して料理をしないカルトエッセンが習慣です。赤ワインにパン、生ハム、チーズととても質素です。料理に時間をかけることは、日本では美徳のように捉えるところがありますが、ヘルガ曰く、ドイツではなるべく女性が夜をゆっくりくつろげるように簡素にすることが美徳だということでした。ドルティアのキッチンには、真っ赤なシチュー用のお鍋があって、当時ステンレスの鍋しかしらなかった私にはとても魅力に感じたものでした。それがフランス製のルクルーゼの鍋と知ったのはずっと後の事です。とても美味しく料理が出来る、ドルティア自慢の鍋でした。ドイツにはまな板というのがなくて、野菜を切りながら鍋に入れて行きます。その手さばきや、ジャガ芋の皮むき器具のピーラーというものもはじめて目にしました。ゴミの分別やリサイクル意識が20年前に既に出来上がっていましたが、当時の私にとっては、何もかもが素晴らしいことに感じたものでした。
本から知る事と、実際にドイツで生活しながら学ぶこととの間には、とても大きな開きがあります。百聞は一見にしかず。当時の私はまだ画家になろうとか、どのように生きて行きたいかというような道がはっきりと見えておらず、まったく頼りない足取りであったのですが、ドイツで知り合った彼女達が、私に問いかける「あなたはなぜドイツに来たのか?」「なぜあなたは日本の美術でなくてドイツの美術を知りたいのか?」というような率直な質問が、私というものを次第に形成して行く力になったことは確かです。日本人は、人にとやかく質問をぶつけることを、批判をしているという意味に捉えがちです。これらの質問を「何もドイツに来なくてもいいじゃないか」とか「なんで日本人なのにドイツの美術に興味を持つの?日本のことをもっと勉強したら?」というように。でもそういう気持ちから質問するわけではないのです。相手をもっとよく知ろうという気持ちで問うのです。そのような習慣が実は、子どもたちが早い時期に、自分の進路を考えさせる重要な教育になっているとも言われています。実際ドイツでは、小学生の時に、自分が職人としてマイスターを目指すか、大学に進学するか自分で決めて進路を選ばなければならないのです。
私がこのようなドイツの生活に最初から直接触れることができたのは、とても幸運でした。私が何かをしようとする時に、この「なぜ?」という言葉がどこからともなく頭の中で聞こえるようになったからです。なぜ自分がそうしたいのか?その「なぜ」を自分で一生懸命考え、答を見つけようとします。ハイデガーは、この「問い」を続けることの重要性を度々論じておりますが、それはハイデガーというよりもドイツ人のもともとの習慣や気質、文化そのものから発している哲学と、私には感じられます。
私は彼女達のおかげでドイツ特有の「問い」の文化を身につけ、それに導かれるようにして自己を形成しながら、ドイツ滞在中に画家への道が次第に見えて行ったとも言えるのでした。
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