母が先日軽井沢に来た際に、引っ越しのお祝いに、
自宅直ぐ近くの南欧レストラン『ル・ボン・ヴィボン』で、ランチをご馳走してくれました。
年老いて軽井沢まで来るのは、本当にギリギリのことなのですが、
美味しいものがどうしても食べたいとなると、
どんなに乗り換えが難しくても軽井沢までは辿り着けるようです。
軽井沢のグルメが集まる塩沢通り、そのわかりやすい、そしてとても静かな場所にお店はあります。
お食事内容に十分満足した上に、レストランのシェフから、とても良いお話しを伺うことが出来ました。
ランチの最後のデザートを堪能して、母と寛いでいると、
厨房からシェフが世て来られてご挨拶下さいました。
「どのお料理も食べやすく、とても爽やかで満足しています。
フランス料理というと、こってりとした重い印象がありますが...。」と、私。
それ程、フランス料理を食べる経験を積んでいるわけではないのですが、
ちょっと気取って、そうお話ししてしまいました(汗)
すると、気さくにシェフが、
「今は、フランスでも軽めの傾向が主流です。
世界的な流れが、フランスにも影響しているようです。」と仰っていました。
何気ない話でしたが、私にとっては、とても腑に落ちるというか、
重要な話を伺った次第で、あれからずっとこの言葉を反芻しています。
私の取るに足らない半生を振り返ってみましても、学生時代のセンスや価値観と比べてみて、
今とはかなり変化があるように感じています。
その変化を大まかに拾い上げて言葉にしてみると、
私の語彙力では一言になりませんが、次のような言葉を並べることが出来ます。
重厚よりもかろやかさ。
デコレーションよりもシンプルさ。
充実よりも余白。
深みよりも淡さ。
構造的よりもしなやかさ。
大きさよりもコンパクト。
格調高さよりも気軽さ。
濃厚よりも淡麗。
暗さよりも明るさ。
硬さよりも柔らかさ。
こういう変化が私だけが見ている狭い世界のことというよりも、
地球全体の一つの現象として捉えるとしたらどういうことが言えるだろうか?
そうしばらく考えているところです。
そうすると私の頭の中でこのような動画が動き出します。
何か一つの黒っぽい固い金属のような物質があって、
それが中心からの熱でだんだん温まり、次第に膨らんで行く。
そして、その膨らみと共に、籠目状に隙間が出来て行って、
中の熱の光が透けて見えて来て、その隙間がどんどん開き、
籠目もやがて形を失いながらも、その膨らみは、球体の形を失うことなく膨張していく。
決して爆発することはないけれど、次第に形の崩れていく部分が出来たりしながら、
そのバランスを取り戻すために、流動的に変形しながら、
どんどん淡い存在へと格調していく。まるでそれがシャボン玉のように、
明るい虹色の様々な色筋を見せながら、
表面がゆっくりと動きながら放射状に周囲に拡散して行く。
そういう現象の中に、私たちも取り込まれているような気がして来たのです。
そもそも人間が生命を得て、大人へと成長するというのも、この膨張と関係があるのかもしれません。
そして宇宙にしても、人間にしてもやがて闇というものになって、
そして繰り返し活動の循環の中に投げ込まれていくのやもしれません。
美術作品にしても、この半世紀を顧みても、そのような現象を見せているように感じてなりません。
こうした現象は、次にどのように変化して行くのでしょうか?
またもとの固い世界に収縮していくものなのでしょうか?
しばらく考えながら、制作にも取り込んで行ければと考えているところです。