近代について

先日東京駅の丸善でチャールズ・テイラーの著作『自我の源泉 近代アイデンティティの形成』『〈ほんもの〉という倫理 近代とその不安』『近代 想像された社会の系譜』『今日の宗教の諸相』を購入しました。丸善には、読書テーブルのコーナーがあって、重たい本を立ち読みしなくてもよいようなサービスがあるのですが、残念ながらその日も、満席でした。いつもなんですけどね。それもほとんどの人が、休憩か居眠りをしているようにしか見えない。いや、もしかしたら「全部買いなさい」ということかもしれないと、その時勝手に判断し、全部買うことにしたのでした。本当はセレクトして買おうと思ったのですが(言い訳)。

本は1冊ではそれ程重いと思ったことはないのですが、数冊になると最近は無理せずに宅急便を使うようにしています。丸善のレジで配送サービスがあるかどうか尋ねてみましたら、何と「1万円以上のお買い上げは送料無料」だそうです。聞いてみるものですね。早速無料で配送をお願いしました。いつからそうなったのでしょうか?これまで随分重い思いをして来ましたが、あれは何だったのでしょうか(苦笑)?ま、深く考えるのはよしましょう。このようなお得な情報は、最近はそれを必要とする人にしか伝わらないようになっています。プロバイダー契約も、ネットからするとプリンターが貰えたり、契約金が安くなったりする時代ですからね。

話が少し脇道にそれましたが、チャールズ・テイラーの本を、それ以来、同時並行して読んでいます。この著作者のことはこれまで全然知らなかったのですが、とても読みやすい文体なのでお勧めです。これまで「近代美術」と言う時と「現代美術」という用語を使う時のニュアンスの違いについて、ずっと違和感とか、疑問を抱いて来たので、このテーラーの本から「近代」とはどういう概念かが少しずつ明確になって行き、こんがらがった糸の綾が解され、少し柔らかくなっていくような感覚があります。

まだどれも途中までしか読んでいないのですが。やはり「私たちはまだ近代という概念の中に生きている」ということを、当たり前のことですが、再確認することができました。近代と現代とを一本の線上の延長として横並びに結びつけている人が結構居て、そういう認識にずっと疑問を持ち続けていました。つまり「近代美術って、現代美術以前のアートでしょ?」というような意識です。確かに、最近世界的にあちこち「現代美術館」という名称の建物が立つようになったので、いかにもそれが新しい美術の発信源という感じがしてしまいます。確かにそれは全くの間違いではないのですが、やはり認識としては不十分なような気がします。

私たちは、近代に生きているという場合のこの「近代」は、歴史的な位置づけをした上での認識なのですが、「現代」とはこの歴史的な土台から遊離されている感覚があります。例えば現代美術でいえば、とにかく最先端技術を使ってみたとか、これまでの脈絡に関係なく、突発的に趣向の変わったものが出て来た、という内容になるのです。それがいいかどうかとか、評価に値するかどうか、という考察は全く意味をなしません。なぜなら、歴史に切り離されていること自体が重要だからです。もし歴史に裏打ちされていれば、それは「近代」のカテゴリーに含まれることになるわけです。評価は必ず時代という考察なしにはあり得ないわけで、そういう意味で「現代美術」はそもそも評価をすることのできないものなのです。

そしてその「現代美術」も10年も経てばもはや「現代」とは言えなくなってしまいます。そこで多くは消え去るものです。ただリアルタイムで「近代」的な位置付けがすぐにはわからない形で、暗に仕込まれていた場合、突如としてそれに気付いた人によって「近代」の脈絡で評価され、それが歴史的に重要な遺物として残されて行く。そういうものなのではないでしょうか。

今のところチャールズ・テイラーの著作に、そういうようなことは全然書かれていないのですが、読みながら、「そういうこと書いてないかしら?」と探しながら読んでいる自分があります。

さて、丸善に行った日は、その足で東京国立近代美術館の「ポロック展」を見に行きました。あまりに有名ですし、数年前にニューヨークのグッゲンハイム美術館でペーパーワーク展を見て、良い作品を堪能できましたから、今更見に行くかどうかということも感じなくもなかったのですが、そういう時に限って後から後悔するものですからね。やはり見に行くことにしました。結果、やはり見て良かったと思います。初期の珍しい作品がたくさんありました。ポロックらしい作品しか知らない人は、きっと目に鱗でしょう。久しぶりに展覧会カタログも購入して、内容がとても充実していて満足でした。特に「具体美術協会とジャクソン・ポロック」については、わくわくしながら読めました。

ところで、その日は予定していたバスに乗り遅れ、相模原の東横インに1泊してしまいました!そうそう、最近引越しをしたのです。でも結局これまでの生活とそれ程違いもないので、まだほとんどの人にそのことはお知らせしていません。引越しをした理由もいろいろな理由を言い当てることも出来ますが、一番の理由は、「どこに住んでも同じだから」です。たまたま住んで見たくなるような物件との出会いがあり、これまでの相模原の生活に終止符を打つことになりました。

「地震の影響ですか?」と聞く人もいるのですが、日本中というか世界中のあちこちで頻繁に地震があり、世界のどこに行っても、安全な土地などどこにもありません。画家にとっては、どこでもサバイバルな人生です(笑)。たとえ筆が無くても、キャンバスが無くても、画家は絵を描き続き続けます。絵とは何か?
……人生そのものが絵であり、夢であり、希望なのです。

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