自戒ーアメリカの「国益」発言から学ぶ

たまに、せっかく書いたブログ記事を、下書きのまま公開しないことがあります。
今回の記事もそうなるでしょうか?

このところ寝る前に必ず第一次、第二次世界大戦について、書かれている本を読むようにしています。

そして分からない点はWiki検索をして調べます。
動画に上がっている見識者の発言や、塾の講義などもチェックしています。

知っているつもりのことが、案外いい加減な知識しかないことに気づき、近現代史を疎かにしていたことを反省することもあります(汗)。

エジプトに一体どんな問題があるのか?
シリアって、どんな国だったろうか、どうしてこんなことになったのか?

エジプトのイメージは、残念ながらほとんど頭の中がスフィンクスとピラミッドとクレオパトラ。
せいぜい最近知った大砂嵐という力士のことぐらいが旬の知識です(苦笑)。

シリアにしても、ドイツ留学当時に、語学学校の同じクラスにダマスカス出身のシリア青年がいたくらいしか知識がありません。
この青年の名前はすっかり忘れてしまっているのですが、とても好印象の記憶があります。
日本人くらいの小柄な人で、黒髪、目鼻立ちがはっきりしていて、いつもにこやかで明るく、気さくでした。
他のアラブ諸国の人たちの中では、着ている服装も何ら欧米諸国と変わりはありませんでしたし、宗教的なしがらみがありそうにありませんでした。
たしか法律を勉強するためにドイツに来たと言っていたと思います。

1984年当時クラスには、イスラエル、クェート、ベルギー、韓国、アイルランド、イタリア、アメリカ、イラン、インド、トルコ、ギリシャ、ハンガリー等、様々な国から若者達が集まって来ていました。

終末に皆が集まるパーティもありました。
たしかに最初は楽しかったのですが...(汗)。
宗教によって、ダメな食べ物があるのです。それが結構面倒でした。
お酒は飲まないとか、豚肉あるいは牛肉はダメだとか、そもそもラマダンで夜何時以降でないと食べないとか...(汗)。
ラマダンということもはじめてその時に知りました。
そうなると、「呆れた、わがままだ、付き合いきれない」という悪い空気も起きて来て、
いつも私は皆の言い分に挟まれて、クッションの役目をしていたように思います。
日本人は、何でも美味しいと言って食べますから、いい人だと思ってもらえるのかも知れません。

それぞれが食べれそうなものを持ち寄せ合って、食べることにしたこともあります。
イタリア人はパスタ、韓国人はキムチ入りカレー、クウェート人はサラダ、アメリカ人はポテトチップス、そして、シリア人は、クスクスというのを持って来ていました。「小麦粉から作る粒状の粉」です。
本人は、美味しいものだと言っていて、私も興味津々でしたが、「付け合わせのスープ料理をつくらないと美味しく食べられないね」と言って引っ込めてしまいました。
後にも先にも、クスクスを見たのはその時だけです(ちょっと心残り)。

その青年は、ドイツからシリアに帰ったのでしょうか?
今はどうしているでしょう?

どの人もいい人ばかりでした。
そして皆、日本人に興味津々でした。
いろいろ聞かれましたが、うまく説明出来ないこともあって、そういう時には、
余興に「ずいずいずっころばし」などをした時もありました。
すごく受けていました(笑)。
一人ひとりの拳の中に鬼の私が指を入れて行きます。
「チューチューチュー」って言うところに来ると、クスクス笑いながらくすぐったそうでした。

日本人に後でそのことを言ったことがあるのですが、「よくやるなぁー」と赤面されてしまいました。
???(苦笑)
言葉よりもスキンシップだと思うのですが、何か問題でも??

そういえば、アメリカ人はまじめで、正義感が強くて、清潔で前向きでスカーッとしていました。
イタリア人は、おおらかで、ラフでおしゃれさん。
イスラエル人は、頭良さそうな才女タイプ。
ギリシャ人は、ハスキーボイスのボーイッシュな美人。
イラン人は、苦労してドイツに来たと言っていました(雰囲気が俳優の藤田まことさんに似ていました)。
韓国人の親友ユニエルは、寂しがりやで人なつっこい人でした(女性同士で手を繋ぐ程仲良くなりたがりましたが、これは韓国人女性の日常的な習慣です。決して変な意味ではないそうです)。
クウェート人は、アメリカナイズされていて、テレビっ子でした(『奥様は魔女』など、日本人と同じアメリカのテレビ番組が放送されているらしく、共通の話題が持てることに驚いたものです)。

どの人も良い人でした。

ここで唐突ですが、なぜ、戦争は起こるのでしょう?

そのことをずっと考えていて、あることに気付きました。
今日のNHKニュースサイトに『米「軍事行動は国益の観点で判断」』という見出しがありました。
「国益」という「欲望」によって戦争が起こるのだということが露骨に表現されているように思えてなりませんでした。

その「欲望」はどこから来るのか?
シリアの人たちの救済という正義を建前とする、自国の経済的な利益としか映りません。
「もっともっと」という飽くなき欲望に取り憑かれて行く内に、孤立し、妄想に取り憑かれていくアメリカ。
それは良い人、立派な人であろうと思えば思う程、起きて来るという矛盾。
そういう絵が見えて来て仕方ありません。
そして、これは、かつての日本、ドイツ、ロシア、イギリスも同じように歩んだ道であることを忘れてはなりません。
日清戦争がどうして起きたのかを中学生に説明する優れた講義がアップされていました。
これと同じことが、今シリアで、エジプトで起きようとしています。

このような価値観の世界に巻き込まれないように、これからは注意深く生きて行こうと自戒しました。

「もっともっと」ではなく、「分」をわきまえよう。
「立派な人」ではなく、「地道に生きる人」であろう。
「積極的」ではなく、「冷静」であろう。
「攻撃」ではなく、「愛を与える」人であろう。
「目先の正義を叫ぶ」のではなく、「美徳」や「深い洞察」で考え続ける人であろう。
自分の「欲求を満たす」ための人生ではなく、人の「幸せを祈り願う」人生を生きよう。
人へのおせっかいは、ほどほどにして、まずは自分を正そう。

「不安や恐怖」は自分の他にあるのではなく、それを感じる自分の中に問題がある。
その問題を素直に受け入れ、自分を変えることに一生懸命になろう。

そして、解決を急がない。

これは、決してアメリカに対して言っているわけではありません。
オバマ大統領の記者会見の発言を見て、つくづく自分のこれからのこととして、改めて考え直したことなのです。

損得勘定でものごとを判断する価値観が人との争いを招きます。
「得にならないように見えること、すぐには実りになりそうにないことを一生懸命しよう」そう誓いました。

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