母への手紙ー自律のすすめ

先日画廊から、「お母様が寂しがっておられます」という連絡が届きました。
私に連絡がとれず、画廊に問い合わせをしたようです。
これまでも何度かあることなので、画廊のオーナーもよく心得て下さっていて、
大変助けられております。
連絡を受けて、すぐに電話した後に、
次の朝には手紙を添えて長野の和菓子を送りましたが、
手紙の内容が充分でなかったので、今朝改めて伝えたいことを書き、
先ほど郵便ポストに投函して来ました。
7枚の長文になりました(苦笑)。
私のことを多くの人に知って頂くためにも、また画廊への報告も兼ねて、
その全文をブログにアップしておくことにしました。

プライベートなことなので、お見苦しい部分も多々あるかと思いますが、
画家も生身の一人の女性であることを知ってってもらう意味でも、
また同じような境遇の人たちへ、よい意味でも悪い意味でも参考になるかと思い、
そのまま露出することにしました。

 

前略

こちらは、もう寒くなると13度くらいまで気温が下がります。
長野の高原の方では、今年初めて零下の日があったようです。
日を追う毎に冬の到来を実感します。
玄関先には、ハナミズキの大きな木があり、
赤い実を沢山付けて、真っ赤に紅葉しています。

お母さんが、画廊に電話することについて、あれからまたちょっと考えていたら、
そういえば、子供の時、よくお母さんは、
「お父さんが口をきいてくれないと、しょっちゅうくよくよ悩んでいたな」
ということを思い出しました。

その時は、子供だったので、お母さんは犠牲者で、
お父さんは冷たい人、病気なのだとまで思わされていました。
たぶん、「お母さんはまだずっとそう思い込んでいるだろうな」
「私もお父さんにそっくりと非難しているだろうな」
と思ったので手紙を書くことにしました。

私はそういうお母さんの悩みを聞くのが、子供ながらとても辛かったので、
一度お父さんに直接どうしてそういうことになるのか、聞いてみたことがあります。
その時には、子供だったので、あまりよくわからなくて、やっぱり、
ずっとお父さんは意地悪な人で、お母さんはかわいそうな人と長らく、そう思い続けていました。

でも今、歳をとって振り返ると、わかることがあるので、
お母さんにそのことを教えなければと思いました。

日本は戦争が終わって、急激に社会が変わりました。
お父さんも、お母さんもその渦の中に巻き込まれて生きて来ました。
そしてその急激な変化によって、大まかに言うと、二種類の人が混じったような感じになっています。
その二種類とは、「自分の意志や考えを持って生きられる人」と「自分の考えが全くない人」です。

私が、日本の社会を見た感じでは、まだそれが1対9くらいの割合かなと思っています。
お母さんくらいの年齢の女性では、ほとんどが「自分の考えが全くない人」です。
それで、おばあちゃんをはじめ、お母さんの姉妹や親戚を見渡しても、
どうも「自分の意志や考えを持って生きられる人」は見当たらなくて、
お父さんと、裕子と、私だけが「自分の意志や考えを持って生きられる人」です。

でも、お父さんにしてもやはり最終的には、「自分の考えが全くない人」の中に飲み込まれてしまって、
自分の自由意思で生きられなかった人になってしまったと、私は思っています。

日本では、まだまだ、「自分の意志や考えを持って生きられる人」になるのには、
本当に大変なことなのです。
なぜなら、「自分の考えが全くない人」が家族の中にいて、足を引っ張るからです。
そういう人たちは、「自分の意志や考えを持って生きられる人」を
変な人、自分たちの秩序を乱し、迷惑な人、自分たちを軽蔑する冷たい人と感じるので、
ことごとく邪魔をします。
それは、悪気はなくて、自分たちを守るために無意識でしてしまうことがほとんどです。

お母さんが、長らくお父さんに感じていたのは、その違和感なのです。
お父さんとお母さんの間には、そういう大きな溝がありました。
そのことをよく知らないでお互いに結婚したことは、とても不幸なことです。
しかし、この溝に気がついていない人は、まだまだとても多いです。

私がそれに気がつけるのは、ドイツで生活したために、
日本の社会が、世界から見て、どういう特徴があるかが、よくわかるからです。
ドイツでは、「自分の考えが全くない人」はまず一人もいません。
なぜなら、子供の時から「自分の意志や考えを持って生きられる人」になるように、
家庭でも学校でも教育されるからです。
ですから、ドイツをはじめ、ヨーロッパの国の人から見たら、
日本に沢山いる「自分の考えが全くない人」達は、尊重すべき人間ではなく、
まるで大昔の奴隷やもしかしたら犬やネコくらいの下等な動物くらいに見えるのです。

日本は戦後、急激に経済発展し、今では世界に誇れるような最新のファッションや科学技術を持ち、
都会の光景も変わったし、見た目には、皆りっぱに見えるのだけれど、
ヨーロッパから見ると、上っ面だけ整えただけの、
まだ中身は奴隷のママの人たちと思われています。

お父さんは、終戦後、北海道に戻って「なぜ生きて帰って来たんだ」と親戚中から避難されたから、
おそらく「自分とはいったい何のために生まれ、どう生きたら良いのか?」と猛勉強したと思うんです。
そのおかげで、人からは変な人と思われながらも、
結婚するまでは「自分の意志や考えを持って生きられる人」であったと思います。
でも、家庭を持つことで、やはり次第に自分の考えを無くして、
家族のために働くお父さんに成り下がってしまいました。
本当に残念なことです。
お父さんには、いろいろな可能性があったはずです。
それを私と裕子とお母さんのために犠牲にしてしまいました。

そのお父さんの犠牲を、無駄にしてしまってはいけないのです。
裕子も私も必死になってここまで、変な人として頑張って来たわけは、そういう思いからです。
お父さんが、親戚付き合いをしなかったのは、
私と裕子が「自分の考えが全くない人」たちの犠牲にならないようにするためでした。
そのように守られて、「自分の意志や考えを持つ人」に育つことができたのです。

それにしても、「自分の意志や考えを持つ」ことはとても大変なことです。
日本の社会では、ドイツのように教育してはくれないからです。

そういうわけで、「お母さん」対「裕子と私」には、大きな生き方の溝があるのです。
お母さんの目から見れば、裕子と私は、冷たく変な人で、
お父さんの病気を受け継いだ厄介な人に見えることでしょう。
しかし、私と裕子から見ると、お母さんもその親戚も、
全く古いどうしようもなく悲しい人たちに見えるのです。

そこに巻き込まれるのが困るので、親戚付き合いを敢えてしないのです。

そういう意味で、私から見ると、お母さんがこれまでくよくよ悩んだりしている姿は、
残念であり、かわいそうなことです。

お父さんもおそらくそういうお母さんの行く末を案じて、
お茶のお稽古に協力的だったのだと思います。
お茶は、禅の考え方をもとにして出来ています。
禅とは、「自分というものは全く無い」ということと
「自分はしかし今ここにある」という相反した矛盾を、
自分のものにすることだからです。
この両方を自分のものに出来れば、どのような社会であろうとも、時代であろうとも、
自由に生きることが出来ます。

そういう意味で、「ほどほどに」親戚と付き合うけれど、
「自分の生き方は自分の意志で決めたからには譲らない」という生き方は、
禅修行した私の生き方そのものです。

ですから、「ほどほどに」しか、お母さんとも接しないのです。

私もまだ志半ば(こころざしなかば)なのです。
せっかくこれまで積み上げて来た生き方を、ちょっとした油断で崩すわけにはいかないのです。
そのように考えられるのは、自分の意志や考えを持って生きて来られたからです。
お父さんに、そのことは感謝しても感謝し尽くせません。

「自分の考えが全くない人」は、常に他人との関係で自分があると思い込んでいる人たちです。
自分が子供に対して「親」であるとか、
社会では学校で働いている「先生」とか、
会社で働く「サラリーマン」である、という具合です。
お母さんの場合は、お父さんの「妻」であり、私たちの「母親」であり、
おばあちゃんの「娘」という役割で、
自分は意思がなくても存在を主張出来ます。
しかし、その存在の仕方は、とても弱いありかたなのです。

職場から退職した途端に、学校の先生も会社のサラリーマンも、
「自分とは一体何だったのだろう?」と悩みます。
夫が亡くなり、子どもたちが独立してしまうと、「私って何のために生きていたのだろう?」となります。
そこで一生懸命親の介護をして、自分を無くして最後まで尽くそうとしてしまうのが、
日本のおおかたの女性の行く末です。

それで、自分の親が亡くなってしまうと、
結局自分が全く何も無くなって、ただ死を待つばかりになります。
中には、お金をたくさん溜め込んで、お金が自分だと思い込む人や、
家そのものを自分だということにする人もいますが、
最後に病院に入院して、裸にされて手術されたりすると、
自分の存在に何の誇りも持てなく、惨めな思いしか残らない状態になります。

おばあちゃんが、かろうじて自分の存在を確かめられるのは、娘たちがいるからです。
しかし、介護施設に入れられて、一人ベッドの上で眠っているときに感じるのは、
全く「自分がない」ことの恐怖なのです。
それは死んでいるのと全く同じだからです。

この最後の「一人になった時」に「自分は、十分に良く生きて来たな」と思える人に
「無」の恐怖などありようがありません。
あるいは逆に、「自分など全くの無」であるということを徹底した人もまた、
「無」の恐怖はないのです。

私が、お母さんにお茶を大事にしなさい、
お茶の修行に専念しなさいというのは、このためです。

お母さんは、私から見ると「全く自分が無い人」です。
今から裕子や私のようには「自分の意思を持つ」ことはムリです。
でも、お茶の修行を積めば、「自分など全く無い」の境地に至り、その経験を積むことで、
最後の最後に人が感じなければならない「無の恐怖」の試練に打ち勝つことができる、
そう私は思っています。
そうすれば、安らかな気持ちであの世に行くことができることでしょう。

医者は安全を提供しますが、安心を与えることはありません。
安心は、心の通う人か精神的なものしか与えられません。
心の通う人をあてにすると、その人なしでは安心は得られなくなります。
それは麻薬のようなものです。
そうではなく、精神的なものを自分の中に用意しなければなりません。
精神的なものとして昔は宗教がありました。
今の人は心からそれを信じてはいないので、それもあてになりません。
ですから、死ぬまでに、「これは自分の精神的な支えになる」
というものを自分の頭の中に持っていなければならないと思います。
その精神的な支えが、それまでに自分なりに積み上げて来た知恵の数々です。
心に残った励ましの言葉や、人から受けた愛情、芸術から得た感動、
生きて来て本当に良かったと心の底から湧き出る喜び。
それらの経験の数々を死ぬ間際に、ひとつひとつ思い返し、
自分はしっかり生きられて来れたかどうか思い返すことでしょう。
その時に何ら悔いなく、「これで良かったのだ」と納得して安らかに死にたいものです。

娘に介護をしてもらい、やさしく見守られて眠るように死にたいとお母さんは願っていることでしょう。
しかし、それは現実にはそうならないのです。
それをお母さんは、おばあちゃんの姿から学ばなければならないのです。

いつ人間が死ぬかということは、誰にも本人にもわからないのです。
そして死の最後にとことん最後まで付き合ってくれる特定の人は、誰もいません。
たまたま担当した看護婦や医者は知り合いでも何でもないし、
夜寝ている時に誰にも知られず死ぬ場合もあるでしょう。
私にしても裕子にしても、自分の仕事で精一杯で、
社会的な責任もあるので、ずっと看てあげることはできません。
だから、お母さんは、最後に誰かがいなければ、さみしいとか悲しい、
というような心細い性格を直しておかなければなりません。

それで、お父さんも、裕子も、私も、ほどほどにしかお母さんと接しないのです。
自分の考えや意思が無くても、せめて自律くらいはして欲しいからです。
でも、お母さんは残念ながら、おばあちゃんの世界に取り込まれると、
たちどころに弱々しく、情けない感じになってしまいます。
お父さんは、今でもあの世で心配していると思いますよ。
「あいつはいつになったら、くよくよする性格を直して、
一人でも明るくりっぱに生きられるようになるんだろう?」って。

「いいかげんに、人をあてにしないで、自分らしく、自由にのびのび生きれば良いものを」と。

私はというと、おそらくこのままで行くと、最後は一人で何でもして一人で死ぬんだなと、
今から覚悟を決めています。
裕子がその時生きていようが、亡くなっていようが、
最後は誰にも迷惑をかけずに、一人でしっかり死を迎えたと思います。

去年骨折して救急車を仕方なく自宅に呼び、一人で病院に入院し、手術までしましたが、
その時に死ぬ時のよいシュミレーションが出来たと思いました。
死ぬことになりそうだという予感が起きたら、自分で真っ先に携帯から救急車を呼び、
「最後はよろしくお願いします」ときちんと病院に一言伝えて、
一人静かに死ねるように心の準備をしておこうと思いました。
病院のベッドで、死を迎える時も、誰にも看取られずに、
「ただひたすら自分を信じて画業に邁進した自分の人生を振り返りながら、
思う存分やったと自分で自分を褒め讃え」て、
ゆったりとした気持ちで心置きなく死を迎えたいと思います。

「アトリエで孤独死」は格好良いようで、
実はアパートの管理側からすれば、大変な迷惑だと思いますので。

アトリエも家も、そういう意味でいつ他人が入って来ても、
恥ずかしくないように心がけていますし、
目立った財産も持ち物もありませんが、
大きな作品だけは残されると、人はどうしてよいかわからないでしょう。
そういうことにならないよう、
作品がほとんど行くべきところに行き着くよう日々努力しなければなりません。

死に順番もありません。いつ誰がどのように死ぬか、誰にもわかりません。

ですから、誰もがその期(ご)に及んで慌てず、騒がず、人様の迷惑にだけはならないよう、
しっかりした心構えを持って「日々是精進」しなければならないと思っています。

この手紙を、何度も繰り返し読み、お母さんは残り少ない大事な人生を、
どう有意義に生きるべきかをよくよく考えるようにして下さい。

追伸:この手紙を書くために朝4時半に起きて3時間半費やしました。
しかし、電話ではうまく伝えにくいことが書けたと思います。
電話では、余計なことをお互い口にすることになるので、
そういうことは避けたいと思います。
用件がある時は、電話ではなく、手紙でお願いします。

                                           祐子

追伸:Facebookで、この記事を紹介したところ、とても反響がありました。
ご自分の体験を教えて下さる励ましのメッセージも頂きました。
ありがとうございました。
また、ご意見ご感想に応じて、この記事の補足もしました。
ご興味のある方は、Facebook の方でお読み下さい。

yuko2014

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