エリアーデ芸術論ー聖なる空間・時間

長野県立図書館に行って参りました。借りた本は、ミルチャ・エリアーデの『象徴と芸術の宗教学』。その序論に編集者のこのような文章を読む事が出来ました。

『エリアーデにとって、芸術家とは運命からの抜け道を見出す者である。芸術家たちは、「作る」という行為、つまり、その芸術作品をとりまく環境への参加を通じて分かち合う行為によって、時間と空間に関する伝統的な認識を停止させる。芸術における創造の瞬間に、芸術家たちは超越へと向かう、....超越を味わうことで、芸術家は個人という鉄の鎖を断ち、普遍性を経験する。彼らは、人間個人の限界と可能性から解き放たれるのみならず、人間のはかなさ、正確に言えば、そのはかなさの究極の形である死からも解き放たれる。芸術的創造は、時間を止めるのである。』(p.12〜13)

前回の記事に「人生を変えるアート」について書きました。「芸術家とは運命からの抜け道を見出す者」そのような画家として制作する力を発揮したいものです。エリアーデの著作には『聖と俗』を20年程前に読んだ記憶があります。氏の芸術論を読むことで、自分自身が「聖なる時間」「聖なる空間」をどのように守れるか、そして表現し続けられるか、改めて考えてみたいと思っています。

聖職者、聖なる場所というものがあるとして、それらが大衆の手で俗なるものとして暴かれることが往々にあります。かつて画家も聖なる人に属していたはずですが、今や「可哀想な人」「痛々しい人」に成り果てているのかもしれません。宗教的な寺院や宝物館が、「観光資源」となる時代です。何か大切なものが失われないよう、注意深く見守る必要がありそうです。

私自身にしても、通信誌やブログなどに、自分の姿を出すようになりましたが、それによって芸術の神秘性が損なわれぬよう注意しなければなりません。

私が美術館や図書館が好きで、ブログにご紹介しますのも、そこが私にとって聖なる空間だからです。その場所が、聖なる場所でなくなってしまったら、私の生きる糧が失われてしまうも同然のことになります。聖なる空間としての美術館について優れた記事が書かれていましたので、ご紹介致します。

『実存の危機における美術館の可能性』

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