ベルクソン読書録−3
気づき . 読書まだ読書は途中ですし、単なる夢想程度しか私には書けないのですが、例えば、人々が「労働をしてお金を稼がなければ生きていけない」のだと考えていることは、もしかしたら長い歴史の中で、そう思い込まされている一種の催眠状態であると
ベルクソン読書録−2
読書私は、高校生の時に横須賀線の電車に乗っていて、あることに気づいたことがあります。電車がトンネルに入る時に、進行方向に向かって車両の先の端にある席の前に立って、その横の車窓に自分の姿を覗いてみると、自分だけでなく車内もすっ
ベルクソン読書録-1
読書今月はベルクソンの本が気になり、数冊乱読しました。数冊というのは、訳本をどれにしようかと迷い、いくつか立ち読みした程度ということです。『時間観念の歴史』『時間と自由』新訳の『意識に与えられているものについての試論』旧訳『
美についてーカント熱到来
読書お陰さまで、10月を無事に乗り越えて、個展に発表する制作に専念する毎日です。 これは一重に、作品を買って下さったり、ご寄付、応援の言葉を送って下さる方々のお陰です。 心から感謝申し上げます。ありがとうございます。 制作に
暑中お見舞い申し上げます
わたしのこと . 読書昨日までの猛暑のせいか、今日はとても涼しく、 日が暮れてからは、上着を1枚羽織りました。 室内の温度計は26度です。 PCを立ち上げていなかったので、 しばらくブログやFacebookなどから遠ざかっていました。 プロバ
マニエリスムなるもの
読書下地塗りの作業は、とても単調なので、そこからのインプットもアウトプットもあまり期待出来ない。 そこで、作業の合間にドローイングをしたり、本を読んだり、収納整理をする日々が続きます。 それも掛け替えのない重要な時間です。
ヘーゲルと「精神」ー 私の使命
読書制作をしながら、その合間に今読んでいるのは、『歴史哲学講義』からはじまる長谷川宏訳の一連のヘーゲル著作『美学講義』『哲学史講義』です。長谷川宏の翻訳については、賛否両論が極端なのですが、私は迷わず賛同派です。確かにヘーゲ
「エトス」と「パトス」
読書ヘーゲルの『歴史哲学講義』を少しずつ読み続けて、下巻も半ばにさしかかって来ました。途中いろいろなことに興味が広がり、中央公論社の『世界の歴史』を取り寄せて併読しています。これは文庫が出ているために、単行本古書が200円くらいで出回っているのです。ちなみに文庫の新品は1500円くらいです。内容は全く同じ。ただ太くて重くて邪魔になるという欠点で安価に手に入るのです。長野にいながら、世界の歴史旅行を200円で楽しんでいるところです。今ハマり始めたのが、ギリシャとローマ。
ヘーゲルの解釈では、簡単に言えばギリシャの文化はローマで模倣され頽廃し、衰退してしまうと書かれています。優れた文化を持った民族も何かのきっかけで、大きな力に制圧されてしまう。しかし、その優れた知識や技能が求められて、ギリシャ人は奴隷として売り買いされ、ローマの文化を支えて行くことになります。そのあたりをもう少し知りたくて調べて行く中で、結局ギリシャを知ることのできる資料はとても限られているわけなのですが、残された貴重な資料の大半が美術品であるというあたりまえのことに気付きました。
しかし美術品の多くがギリシャにはすでになく、イギリスの大英博物館をはじめとするヨーロッパ諸国に散佚しています。しかし、そのことは現在のギリシャの不幸である一方で、それが幸いして残されたとも言えるのです。今のギリシャという国は、これまでに様々な民族が支配して、その度に宗教や民族の影響を受けて、もともとの文化が遺され得なかったわけです。それでも人々の心を奪う美術品は、高額に売り買いされ、あるいは奪われて、その時代に最も叡智と力を持つ人間の手に渡り、永久に遺されるよう人々が努力することになります。そして美術品がなぜ永久に遺されるかといえば、そこには人々を魅了する美の中に解読し尽せない、それが作られた時代の民族の世界観、思想、哲学というものが刻まれ、記憶され、それが後世の人類にさまざまな教訓を伝え続けるから、と言えるでしょう。
早速、j.j.ポリットの『ギリシア美術史』を取り寄せることにしました。そしてこちらのサイトで、その内容が完結に紹介されています。ここにギリシャ人の「エトス」と「パトス」という概念が出て来ます。
「エトス」とは、芸術作品に含まれる道徳的・理性的な特性、気品を示す概念だそうで、「パトス」とは、それに相反する「情念」や「感情」さらには「激情」や「苦悩」を意味する概念ということです。先のポリットは、ギリシャ美術の歴史をこの「エトス」から「パトス」への移り変わりとして見ているらしいのです。まだ本が届いていないのですが(苦笑)。アルカイック様式から古典様式そしてヘレニズムへとギリシャ美術は展開しますが、それぞれの時代の例えば彫像に、この「エトス」と「パトス」がどのように織り込まれているのか、実際に作品を見て自分の目で確かめてみたくなってきました。
さて、ヘレニズムのギリシャ美術の末期症状とは、人々がもはや、「エトス」のような静かな美では満足しきれなくなり、刺激を求めてこの「パトス」の表現が行き着くところまで行き着いたということことです。それを知る時に、翻って今日の日本の文化がそのヘレニズムに相当するのだと思わずにはいられません。あるいは、この二つの概念が常に強弱を変化させながらも同時代に共存していると見た場合、それでもその時代を代表する作品として遺されて行く可能性は確かにあります。しかし、もう少し美術史を大きく眺めた場合、この二つは交互に繰り返し何度も循環しているとも捉えられるわけです。「エトス」が極まると次ぎには「パトス」が求められる。そしてまた「パトス」が極まり過ぎると、どこか違うところに場所を移して「エトス」が見直されるのかもしれません。時代は変転するのですから。
ということで、自分自身の制作活動にこの「エトス」と「パトス」がどのように織り込まれているのか、新年を迎えて考えているところです。
今アトリエには、明後日集荷を待つワークショップの作品F60号が今日の完成を控え、その左横には、S100号のキャンバス木枠が明日の組み立ての待ちの状態。右横の壁には、F100号のジェッソ下地が出来上がったキャンバスと小品サイズの木枠やキャンバスが乱立状態です。
3日程前、フランスから励ましの声を頂きました。かなり驚きました。フランスの現代美術の状況を、窺い知ることができました。心からお礼申し上げます。
その他、注文制作についてのお問い合わせメールも頂きました。
昨日は、損保ジャパン美術館から、2014年の出品制作の準備状況のお伺い、催促状のようなものが届きました。
今朝は、早々にアートプリントの作品の注文が1点入りました。
昨年5月から『画家川田祐子 芸術支援寄付』のプロジェクトも、お陰さまで当初目標額380万円から出発して、7ヶ月経過した本日の段階で、残すこと約197万円。すでに183万円をご寄付と画集や作品の売上で解決することが出来ました。ご理解、ご支援して下さっている皆様に心からお礼申し上げますとともに、今年1年更なる飛躍を目指して精進する所存です。
尚今年も従来の習慣に従って、年賀状等は用意しておりません。私の思いは、小さな枠に納まりきれませんので、このブログを持ちまして、新年のご挨拶とさせて頂きます。本年もどうぞ、よろしくお願い申し上げます。
自然の制作とエマソンの「自己信頼」
わたしのこと . 読書一つの制作が形となったので、しばらく読書を楽しんでいます。制作の間でも、グレン・グールド、バッハに関する本を読んでいましたが、それを経由して、芥川也寸著の『音楽の基礎』を読みました。音楽の世界については、妹の領分であった