ブライス・マーデン『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』

今朝久しぶりに林道郎氏の『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない ブライス・マーデン』をざっと読んでいましたら、とても面白いことが書いてありましたので、ご紹介がてら、私の作品制作技法について書いてみたいと思います。この本はART TRACEという東京の両国にある画廊が出版しているもので、現代美術を紹介する優れた出版物のひとつです。1冊,1作家。以前その画廊で企画開催の林氏によるセミナーの記録です。シグマー・ポルケ、サイ・トウンブリ、アンディー・ウォーホール、ロバート・ライマン等、現代美術オタクもしくは作家向け(苦笑)の希有な良書です。

ART TRACEからは今年に入って『ART TRACE PRESS』という雑誌が創刊されました。第1号はジャクソン・ポロックの特集。最近では珍しいアート雑誌に仕上がっていました。今後の展開が楽しみです。画廊が出版物を出すというのも希有な存在ですが、この画廊自体の経営形態も画期的なものです。毎年作家を10人近く募集して、それまでのメンバーが仲間を入れ替えて行きながら、お金を出し合って、その年の企画運営が維持されています。画廊のオーナーの色が作品に影響しないという利点があるかもしれません。また、「ある権威に認められたい」というようなスタンスで作品をつくるのは疲れるとか、そういうのは潔しとしないという作家にとっては、救いとなるような場所であり続けています。

話しをブライス・マーデンに戻しましょう。マーデン自体、日本ではめったに紹介されないので、そのことを書いてもほとんどの人が興味を持つのは難しいかもしれません。しかしとても重要なアメリカのミニマリズムあるいは抽象表現主義の作家です。イェール大学の美術建築学部で絵画の勉強をした人です。ちょうど日本で言えば、東大や京大に制作主体の実践的な美術部門があるという感覚だそうで、理論的な視点を持っている点に興味をそそられます。アメリカのこの時期に輩出された重要な作家の多くは、このようなタイプが多いのが特徴です。彼らは、美術を感覚や情動から取り組むだけでなく、作家自らがそれを裏付ける理論や哲学、コンセプトを持ち、「非常に洗礼された批評的な文章を書いたり発言」できる人たちなのです。これはアメリカが、ヨーロッパ文化に対抗して,国を挙げて大学教育機関で高等教育を受けた作家を育て、文化創出を政策的に行った賜物と他著作で読んだことがあります。

マーデンの作品はどういうものかといいますと、この本では「編み絵」という言葉で説明されていましたように、あまり色を感じさせないニュートラルなキャンバス画面に、絵具で日本の書を彷彿させるような、強弱や抑揚のあるドローイングが行われているシブイ作風です。その線は決して均一な整った線ではなく、よたよたと有機的であり、また平面的というよりは、線をさらに消し去った跡も残してあり、ほのかな空間も創出されています。その線の創出方法について写真付きで紹介されている箇所をとても興味深く読みました。

マーデンは、線描(ドローイング)するためのスティックを自分でつくったそうなのです。

marden.jpg

それは自然の中から採取してきた木の枝でした。その枝はまっすぐな竹のようなものではなく、個々に有機的ないびつな形をしているものが選ばれたようです。それには理由があって、この本ではこのように書かれていました。

「それを使うと画面と手元の距離が通常よりも遠くなるわけですが、彼に言わすと、それは逆に、手と画面の距離を近くすることなんですね。つまり固くて繊細で、かつ手の動きがスムースに伝わるようになっていない木の枝は、その分だけ、ちょっとした手の狂いを増幅させて画面に伝えることになる。もちろん、コントロールが難しくなるわけですから、偶然のブレが生じやすくもなるでしょうが、そうであればあるほど、手の動きは、ますますの慎重さと緊張を要求されるようになります。つまり、手と画面の接触の空間に新しい道具を介在させることで、新しい身体技法と描線をともどもに発生させる実権を試みているということです。」(p.49〜50)

絵画作品の細部の完成度をとても気にする人が多いと思います。私の作品を見る人も、多分にそういう人が集まる傾向があって、私のハッチングの線が、意外におおらかなものであるので、どう評価して良いのか戸惑うようです。

こんなこともありました。かつて画集を出版する際に、編集者が「この細かい線は見えないようにぼやかした方がいいでしょうか?」と言われて、「えっ?線が見えるのを嫌がる美意識というのもあるのかもしれない」と結構新鮮な驚きがありました。もちろん「はっきり見せることが重要です」と言いました。

それからこんなこともあります。「川田さんは、これから年をとったら、この技法は無理なんじゃないか」という、遠くから漏れ聞こえて来る声。私は何も言わずに、言わすに任せてしまうのですが、そういう人の持つ美意識は、私の線描がとても繊細で整っていると思い込んでいて、それは老眼になったら続かないと思うようなのです。私はよく職人的とか、工芸的と言われることもありますが、そう言われる場合は、線の繊細さに価値を見出して下さっていることに理由があるのでしょう。

私の中には、そう言われることは違和感としてあります。私の線は皆さんが思う程には繊細ではなく、かなりアバウトで大らかです。だからと言って、雑ともまた違う趣きではないでしょうか。細かい線の集積は確かに美しいと思って作業しますが、私にとっての目的は、このマーデンの枝と全く同じ理由です。なるべく上手に出来にくい方法を敢えて使うことで、そこに偶然生まれる「壊れ」をつくり、形を起こさせるのです。私が形を作るのでなく、ハプニングが形として残るのです。決して、線の技巧的な美しきや、技法の上達度を見せたいわけではありません。ここが、従来の古典技法の世界と裾野を分かつところです。

ハッチングは極細の筆を使いますから、長時間動かしていると、30本に1本くらいの割合で、下手な線が生まれます。他よりも太すぎたり曲がったりするのです。均一に並べ過ぎると、何も生まれて来ませんが、このような失敗の線が生まれて来ると、それがチャンスとなって、その線を打ち消したり、さらに線を重ねて、「繕い」が始まります。この「繕い」を巡って、想定外の展開が始まるのです。それが線から面への変化であったり、凹凸のある空間性のきっかけとなるわけです。

「繕い」ということができる手法なので、失敗がありません。また、永遠に一つの絵を描き続けることも可能です。

そして、それらの線が存在することで作品が制作出来る、そういう過程を語る線を見てもらうことが重要です。それは美しく整えられているからではなくて、むしろそのような線の集積のために費やした時間、私が生きて制作したその過程という事実、その息吹が吹き込まれている時間の重み、そういうことを感じて見て味わってもらうためです。そのリアルな時間を感じてもらうためには、整えられている機械的なミニマルな線よりは、少し生身の人間の手の温もりのような有機的な線である必要があります。

マーデンは、描材を自然素材から持って来ていることはとても魅力的です。一方私の場合は、既成の極細筆を使うハッチングという古典技法から、偶然性をつくるために援用していることが,他に類例のない手法です。温故知新というところでしょうか。また、カッターナイフでスクラッチして生まれる彫線は、立体としてそのものが空間を持ち、そのもの自体が彫刻の作業の延長上にある特異なドローイングでもあります。その彫線は、時としてハッチングの線を上から打ち消し、ある時はハッチングの線の背後から、「空間概念」というものを静かに主張させます。フォンタナ程には激しい主張にはなっていませんが、この執拗さに少しドキドキするという部分でしょうか。しかしそれらはハッチングの線に覆い隠されて、とても控えめに表現するに留めるようにしています。

観る人の喜びや配慮というのも、何も考えなくはありませんが、あまりそれをすると絵画は生気のないものに感じるのは私だけでしょうか?良く美術史で例が上げられるのは、アングルという新古典主義の画家の『』という作品です。まるで陶器のような素晴らしい画肌ですが、なぜか血の通わないぎこちなさと、固い表現が印象的です。

最後にブライス・マーデンの言葉を書いて置きます。「絵かきというものは、一本の線をひくことで、画面が平面でありながら、そこに立体や、深さを作ったりすることができる人のことだ」

私は最近でこそ、自分を「画家」と言えるようになって来ましたが、それはそう言わないと先に進まない、誤解が生じる、そう言った方が分かりやすいので、という理由もあったのですが、従来の所謂「画家」という概念を私が私なりに変えてみようと、思えるようになったからです。「画家」というのは、いろいろな人の垢がついてしまって、魅力のないものに陥れられている感すらあります。ですから、マーデンの言葉にとても心を強くします。

ところで、このような動画を見つけました。かなり画家を辛辣に表現しているので、これまでの内容をまるで打ち壊すようなものかもしれませんが、こういう「画家」というイメージがはびこっていることも事実として受け止めなければならないと思い、敢えてリンクを貼っておきます。お時間のある人は動画を楽しんで、笑っちゃって下さい(爆笑)。イッセー尾形は天才ですね。長野で公演があったら是非見に行きたいと思っています。プラチナチケットで、手に入らないかもしれませんが...。

イッセー尾形『画家パーティー』動画

今日は、『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』の本のご紹介と共に、ブライス・マーデンの「編み絵」や描材のスティックと比較しながら、私の制作について書かせて頂きました。

夢と宝ーエリアーデ『象徴と芸術の宗教学』

今年に入って、象徴的な夢を2回経験しました。一つ目の夢は、「マンモスの化石の卵」の夢です。マンモスはほ乳類ですから、卵という時点でシュールです。マンモスの卵が発見されて、二つに割れ、中にマンモスの子供が現われたそのシーンは、何ともリアルでした。それを見たのはちょうど3月の頭でした。あまりに衝撃的だったので、その夢がどういうことを象徴しているのか、自分なりに分析しましたが、その1週間もたたない内に、半ば諦めかけていた、まさに化石となりつつあった画家への道が,再び開かれ、まるでよちよち歩きの赤子のように、再びもとの道に軌道修正し始めました。

二つ目は、つい5日くらい前の夢です。「大水の夢」でした。私は少し高台から見ていたので、それ程危機感はありませんでしたが、みるみる内に水面が上昇して、水が押し寄せて来そうな気配でした。とてもリアルな景色でした。大きな地震が起きて、また津波が来るのではないかと心配でした。翌日、長野で震度5の地震がありました。しかし、津波とは関係がなかったので、なぜあんな夢を見たのだろうと思ったのですが、それは津波ではなくて、もしかしたら九州の豪雨のことだったのかもしれません。
めったに夢を見ることなく、ぐっすり眠れる方なので、たまに見る夢はとても印象的なものです。

夜はこのところ、エリアーデの『象徴と芸術の宗教学』を読んで眠りにつきます。昨晩読んだ箇所に、夢についての面白い話が書かれていました。これは以前にも読んだ事のある話しですが、どこに書かれていたか思い出せず、記憶の底に埋もれたままになっていました。そう思っているとまた出て来るものですね。以前はマルチン・ブーバーの著書で読んだのですが、エリアーデは、それをインド学者のハインリッヒ・ツィンマーがマルチン・ブーバーの『敬虔者(ハシディーム)の物語』から引用しているのをさらに孫引きして紹介しています。

その夢の話しとは、かいつまんで書きますと、ある人が王宮に続く大きな橋の下に財宝が埋められている夢を見たので、これはお告げに違いない、そう信じてその橋の下に行くのです。ところが、そこには財宝はありませんでした。それを見ていた人が、それを笑って「そんな夢を信じてわざわざ遠くから来て、哀れなことだ、自分もそのくらいの夢は見るけれど、絶対に信じたりはしない。」と言うのです。それでその人が見たお告げの夢というのは、「ある人の家で素晴らしい財宝を探すように」というお告げで、その財宝は「誰々の息子の家の暖炉のうしろの埃だらけの奥の方に隠されている」と言うのです。その誰々の息子というのが、実はこの話しの主人公のことなのです。その敬虔者ハシディームは「それだ!」と、自分の家に向かい、その人の夢のお告げに従って暖炉の奥に財宝を探し当てるというお話しです。

この話しをなぜエリアーデがとりあげているかと言いますと、シャガールやブランクーシーという現代の芸術家たちの創造の源泉に聖なるものがあるとするとそれは一体何なのかを解き明かして、それを未開の人たちの原始的な創造性に共通する、「神話的で神聖な子供の世界」と指摘しています。「世界の神秘は子供時代に開示されるが、一般にはやがて忘れ去られる。というのも、大人になるということは、神秘を排除し、宇宙と人間の実存から聖なるものを取り除くことだからである。」(p.159)彼によると、芸術家はこれらの子供時代の啓示ををいかにして取り戻すかを知っている人たちなのです。夢の言葉で言うならば、自分の家の暖炉の奥に財宝があること、そしてそれを取り出す方法を知っている、ということになるでしょう。夢だからと馬鹿にするのが大人、芸術家はいつまでも子供のこころを失わないので、それを神秘として信じる。私がしばしここに書く記事も、人によっては大人げない、子供染みていると笑いの種になるわけですが、それも私が芸術家たる証拠と言えましょう。

先のハシディームの財宝とは、単なる金銭を指し示すのではなく、創造するインスピレーションの源泉であり、それは人類の宝という意味をも内包します。そして、それは特別な場所にあるのではなく、不確かな夢をも信じて遠回りして、しかし最後は自分の中にそれがあることを信じて疑わない、そういう人に与えられるという話しなのです。

エリアーデは、次のハインリッヒ・ツィンマーの文章を引用して、この話をまとめていますので、私も引用させて頂きます。

「したがって、本当の財宝、つまりわれわれの悲惨と試練を終わらせる財宝は、決して遠くにあるのではない。われわれはそれを遠方の地に探しに行ってはならない。なぜならそれは、自分の家の、言い換えれば自分自身の中の、もっとも秘密の奥まったところに埋もれているからである。それは暖炉のうしろにある。われわれの実存を司る生命を与え、熱を与える中心、暖炉の中心のうしろにあり、われわれはただ、その掘り起こし方を知っていればよい。ところがしかし、奇妙な不変の事実がある。われわれの探求を導く内なる声の意味がわれわれに解き明かされるのは、必ず遠方の地、見知らぬ土地、新しい国への敬虔な旅を終えてからなのである。そしてその奇妙な不変の事実に加え、もう一つ事実がある。すなわち、われわれの神秘的なうちなる旅の意味を明らかにしてくれる人は、他の信仰を持ち、他の人種に属する、見知らぬ人に違いないということである。」(p.163)

暖炉というのは、おそらく「情熱」のシンボルなのかもしれませんね。

話しは反れますが、以前私の額入りの作品を買われた方が、「この作品の裏には扉があって、開けられるようになっているので、へそくりを隠すのにとても便利そう」ということでした(笑)。ちょっとその話しとは、この話は違いますから、誤解がありませんように!

今日長野では27度と、とても爽やかな朝を迎えました。夜も寝苦しい日はなく、涼やかな風がどこからともなく流れて来ます。都内は猛暑日ということです。暑中お見舞い申し上げます。

バイオモルフー『盲目の時計職人』リチャード・ドーキンス

今読んでいるドーキンスの『盲目の時計職人』には、「バイオモルフ」という用語が出て来るのですが、これがとても面白いのです。氏はこれを自然淘汰の説明に使っているのですが、どうも形態学の説明なのではないかと私は思いました。これと似たことで、最近PCソフトでフラクタル・アートを制作する人たちがいるのですが、これにもかなり近いですね。以前マンデルブロのフラクタルに関する本を読んでみましたが、それと同じような面白さがあります。

バイオモルフについて説明するのはとても難しいのですが、「樹木」の「一つの枝から二つに枝が分かれる」という規則を図式化して、その枝分かれを増やして行くと、複雑な形態が無限に生まれて来ます。これを少しずつ、枝分かれの角度などのバランスを崩していくと、さらに思っても見ないような形態が生まれることをドーキンスが発見し、その形態が昆虫、サソリ、コウモリ等あらゆる生き物の形態に似ているというのです。私は、それらが左右対称の図形であることに,何か隠された秘密があるのではないかと、直感的に感じます。以前から、私は自分の作品の画像を反転して、それを元の画像と重ね透かすと、左右対称の不思議なものが浮かび上がる作品をプリント作品として発表したことがあります。これが、見る人によって、さまざまな生き物に見えるのです。それは私が描いた事ではなく、そう見える瞬間があるという作品(『glow』『vital dandelion』『red earth』)でした。

なぜそれがそのように見えるかというと、おそらく私の作品が単純な線の集積で描かれているからです。この線の集積がたいていある程度の規則的な方向性を持っていて(それは私が右の手で心地よく描ける線の方向がある程度限られている事実があるからです)、反転することで「樹木」の枝分かれのような形が出来るのだと思います。これが人間の手の不規則な運動により、少しずつ微妙な曖昧さを含みながら、「バイオモルフ」を生じさせるのかもしれません。以前はよく作品の題名に「バイオ〜」と名づけていたのです。でも「バイオモルフ」のことは知りませんでした。感覚的にそうしていたことです。

このように、本を読んで「バイオモルフ」を知って絵を描くのではなく、私はいつも制作しながら「不思議だな」と思っている事が、後から自然現象や本やあらゆる日常の経験の中で、その不思議さを説明する何かが起きます。あるいは、出会いがあります。

このところ、日常ではあることが続けて起きました。それらを総括して反省するに、「不安や猜疑心に駆り立てられる事なく、安心して制作に勤しみなさい」という教えのような気がしてなりません。

なぜ人間は不安を抱くのでしょうか?自分の弱さを、起きた問題に投影させるからです。
その問題は、何も自分に攻撃して来ることはありません。
じっと耐えて対処すれば、自ずと消えて行きます。
それが耐えられそうにないと思うから不安になるのでしょう。
自分のするべきことに力を一層注ぐこと。
そのことこそが、解決への近道、と教えられているようでした。

不安から衝動的に行うことは、ろくな結果になりません。

私の問題は、全てこの制作に集中する事で解決するのです!

エリアーデ芸術論ー聖なる空間・時間

長野県立図書館に行って参りました。借りた本は、ミルチャ・エリアーデの『象徴と芸術の宗教学』。その序論に編集者のこのような文章を読む事が出来ました。

『エリアーデにとって、芸術家とは運命からの抜け道を見出す者である。芸術家たちは、「作る」という行為、つまり、その芸術作品をとりまく環境への参加を通じて分かち合う行為によって、時間と空間に関する伝統的な認識を停止させる。芸術における創造の瞬間に、芸術家たちは超越へと向かう、....超越を味わうことで、芸術家は個人という鉄の鎖を断ち、普遍性を経験する。彼らは、人間個人の限界と可能性から解き放たれるのみならず、人間のはかなさ、正確に言えば、そのはかなさの究極の形である死からも解き放たれる。芸術的創造は、時間を止めるのである。』(p.12〜13)

前回の記事に「人生を変えるアート」について書きました。「芸術家とは運命からの抜け道を見出す者」そのような画家として制作する力を発揮したいものです。エリアーデの著作には『聖と俗』を20年程前に読んだ記憶があります。氏の芸術論を読むことで、自分自身が「聖なる時間」「聖なる空間」をどのように守れるか、そして表現し続けられるか、改めて考えてみたいと思っています。

聖職者、聖なる場所というものがあるとして、それらが大衆の手で俗なるものとして暴かれることが往々にあります。かつて画家も聖なる人に属していたはずですが、今や「可哀想な人」「痛々しい人」に成り果てているのかもしれません。宗教的な寺院や宝物館が、「観光資源」となる時代です。何か大切なものが失われないよう、注意深く見守る必要がありそうです。

私自身にしても、通信誌やブログなどに、自分の姿を出すようになりましたが、それによって芸術の神秘性が損なわれぬよう注意しなければなりません。

私が美術館や図書館が好きで、ブログにご紹介しますのも、そこが私にとって聖なる空間だからです。その場所が、聖なる場所でなくなってしまったら、私の生きる糧が失われてしまうも同然のことになります。聖なる空間としての美術館について優れた記事が書かれていましたので、ご紹介致します。

『実存の危機における美術館の可能性』

長野県立図書館からー空

昨日アルバイト帰りに県立図書館に寄りました。
公園を見下ろせる大きな窓が開いていて、爽やかな緑の風の中、しばし読書しました。
写真はそこからの1枚です。

kenritunaganotosyokan-sora.jpg

森鴎外の『天寵』を読んでみました。
私は全く文学や小説には疎く、やはりピンと来ませんでした。

「事実は小説よりも奇なり」
小説を読む必要がない程に、自分の人生に翻弄されておりますので、
架空の人物の人生に付き合うような心の余裕がないのかもしれません。

『天寵』の主人公の画学生は画家宮芳平と言われています。
インテリ臭い文章で、残念ながら私の好みではありませんでした。
『天寵』よりも宮の自伝の方が数倍面白い文章だと思います。

借りて来た本は、リチャード・ドーキンスの『盲目の時計職人ー自然淘汰は偶然か?』。

ドーキンスの本は『虹の解体』以来の2冊目です。自然淘汰について、あるいは自然界の「デザイン」について考えを深めたいと思っています。

図書館あちこち

ご案内状を送った方々から、手紙やメール、その他何やら送って頂き、返事が間に合っておりません。この場をお借りしまして、心からお礼申し上げます。
また、チケット申し込みもチラホラ頂いております。ありがとうございます。どうぞ、また引き続きご遠慮なく、どしどしご応募下さい!

頂いたメールに、マルクス『資本論』序文、ダンテの引用文が書かれていました。

Segui il tuo corso,e lascia dir le gentil !
汝の道を行け、そして人々の語るにまかせよ

すばらしい言葉ですね。『神曲【完全版】
』に出て来るのでしょうか?
ダンテの『神曲【完全版】
』は、高校生の時図書館から古い本を借りて読んだのですが、あまりに古臭い翻訳で、完読できなかったことを思い出しました。ということで、早速『神曲【完全版】
』をもう一度読み直そうと、長野県立図書館に初めて行って参りました。

図書館と言えば、これまでにいろいろな図書館にお世話になっています。育った横須賀市立図書館は、京急横須賀中央駅から長い坂を上り切ったその名も平坂の上にありました。全然平らな坂ではないのです。その通りの途中には、平坂書房という本屋がありまして、そこにも随分お世話になりました。つまり横須賀で本を読むには、大層体力と気力が求められました。余程、知に飢えていなければ、その難関の坂道を上がろうとは思えないものです。しかし、昭和の横須賀時代の私にとっては、それが唯一の娯楽だったとも言えます。

大学生の頃に課題レポート等を書くために、初めて国立国会図書館に行った時のことも忘れられません。当時コンピューターで、文献を検索して、書庫から本を出してもらうということが、とても画期的で、目に見えない蔵書の立ち並ぶ様を想像するだけでもわくわくしました。

そしてお世話になった女子美術大学の図書館は、卒業後相模原時代も通っていました。あまり人には言わずにいたのですが...、というのは、知られると借りたい本が借りれなくなるからです。ここは芸術関係の本の言わば秘湯です(笑)。とりわけ美術専門書の洋書関係が素晴らしいです。そして、学生があまり利用していないせいなのか、今では手に入らなくなっている絶版の名著さえも借りれてしまうのです。卒業生の権益というものかもしれませんが。

大学院時代にお世話になった横浜国立大学の図書館は、机と椅子がお気に入りでした。座り心地がとても良く、机が広く重く、長く居ても疲れないのでした。書き物をする、読書するには快適な環境が必要不可欠であることを教えてくれた図書館です。

そういう意味では、ハンブルグの駅の近くの美術館(Hamburg Kunsthalle Museum) 図書室は、おそらく私の人生の中で最も格調高い立派な図書館です。1986年当時は閲覧室の机も椅子も歴史の重みを感じさせる重厚な材質で、何よりそこで読書に耽る方々の様相、佇まいが、気高く高貴なのでした。各机にライティングの設備があったのも、贅沢と思いました。そして、そこに居るだけで、その方々の香り高さが身体に染み付くように思えたものです。映画『ベルリン天使の歌』に図書館のシーンがあり、長いコートを着た天使が、読書に耽る人たちの耳元でインスピレーションを囁いていた記憶がありますが、まさにドイツの図書館は、私にとってもそのような聖なる場所というイメージがあります。

日本でも風格のある図書館があります。上野の国際子ども図書館です。国会図書館の前進として建てられた旧帝国図書館が、現在は贅沢にも子供のための図書館になっています。ルネッサンス様式を取り入れた明治建築は、安藤忠雄氏の設計のもと、ガラスのカーテンウォールで補強されて、立派な佇まいにリニューアルされています。ここも上野の雑踏から逃れて足を向ける、私のお気に入りの秘密の休息所です。

相模原時代は、町田市立図書館も良く利用しました。こちは、ホテルの建物の中にあり、最寄りの駅から歩いて2分程で、とても便利でした。町田市と相模原市との連携も出来ていて、相模原市民でも自由に借りることができる、ありがたい図書館でした。ありがたさはそれだけでなく、どのように専門的な図書でも、新刊ですらも、大抵蔵書されていました。ネットで検索する度に、「これもあるの?」と驚く程、蔵書の質が素晴らしいのです。但し、新刊本と人気のある本は、なかなか借りれません。予約の数も半端ではありません。

相模原では、鹿沼台と橋本の図書館も利用しましたが、一番利用したのは、ウェルネス相模原という保健所等が入っている新しい現代風のガラス張りの建物の1階の図書室です。ここには、健康に関する図書が集められていて、そういう意味でも興味深かったのですが、新聞も各社そろっていて、新聞代が浮くのでした。また、相模原市は市内の図書館の連携が良く出来ていて、どこでも中央図書館の本を取り寄せたり、どこでも返却を受け付けるようになっていました。いつもインタネットから予約をして、ここに取りに行ったものでした。

そうそう、JR相模原駅の上、相模原市民ギャラリーの資料室は、美術館カタログだけを専門に閲覧出来る珍しい図書コーナーです。美術カタログを蔵書している市立図書館はなかなかないものです。直接手に取って見られることがどれほど、素晴らしいことか。ところが、ほとんど知られていませんので、ここも穴場のひとつです。そして本棚の上には、市内在住のアーテイストの個展案内のポストカードが沢山並べられているので、アート情報の拠点としても活用されています。

今日行った長野県立図書館は、広い公園の敷地内にあり、向かい側に県民ホールと同じ赤煉瓦の風格のある建物でした。おそらく長野県の総合文化拠点というような位置づけなのだと思います。駅の善光寺口とは反対側のせいか、あまり人が集まるような場所でないのか、とても空いていていました。町田の図書館を見慣れているせいか、本当に落ち着いて静かで助かります。町田では、まず閲覧室で座席をゲットすること自体が、常に不可能でしたから、今日は午後からじっくり調べものが出来ました。

そしてお目当ての、ダンテの『神曲【完全版】
』、ありました、ありました。受付で、「なるべく新しくて、別冊毎に分かれていないものがいいのですが」と調べてもらったところ、何と「2010年刊行の河出書房新社の完全版が最近入荷されたばかりです。」とのこと。早速出して頂きました。まだ一度も何人の手にも触れられていないような真新しい本を借りることができたのでした。

そしてしばし閲覧室でめくって読むこと3時間。ある一つの長年の疑問に思っていたことが、解けたのでした。それは、地獄篇 第二十歌 ここは第八の圏谷の第四の壕で、生前不遜にも未来を占った者が、胴の上に頭を後ろ前につけられて処罰されている人々が描かれています。

実はイタリアの彫刻家ファッツィーニの作品に、木彫で「予言者」という作品があるのですが、これまでなぜ不条理に頭や胴や手足の前後がねじれてつくられているのか、不思議で不思議でなりませんでした。今日はじめて、これがダンテの『神曲【完全版】
』から触発されてつくられているのかもしれないと思う事が出来たのです。これが完全な答ではないのかもしれませんが、一つの見方を探り当てたような気がしました。『神曲【完全版】
』をじっくり読み解き、さらにファッツィーニの制作意図を探り当ててみたいと思っています。

このように、美術作品は、本当に長い年月をかけて、さまざまな気づきを私に与えてくれます。優れた美術品は、生きるさまざまな糧を内包しているものです。それを教えられて知るのではなく、自分の力でひとつひとつ気づいて、驚き、感動し、楽しんで行く、素晴らしい世界が広がっています。

今日は長野県立図書館でそのような素晴らしいひと時を過ごすことができました。帰りに、この『神曲』とマルクスの『資本論』もついでに借りてみました。大層分厚い大著です。私に読みこなせるかどうか自信はありませんが、第1編第4節「商品の物神的性格とその秘密」という項目が気になります。今夜はしばし読書してみます。

マルクスの『資本論』を紹介している楽しいサイトがありました。ご興味のある方は、こちらをどうぞ。

サマセット・モーム『人間の絆』・アラベスク模様・草間弥生展

昨年を表わす漢字は『絆』でした。ラジオで未だに、この言葉を耳にする時、私が思い起こすのはフランス生まれのイギリス育ち、そしてロシア革命時には、イギリス情報局秘密情報部で情報工作員でもあったとされるサマセット・モームの『人間の絆』という小説です。10年程前に英語本の多読にハマっていた頃に、この人の小説やエッセーに夢中になりました。私が小説を読むというのは、滅多にないことなので、余程ツボに入ったということになります。

この『人間の絆』は、モームの自伝的な小説で、自らの不幸な生い立ちが題材となっているのですが、主人公フィリップを通して、彼独自の実存的な人生観が描かれ、深く心に染み入る作品です。巻末の翻訳者の中野好夫氏の解説に「柳は緑、花は紅と、われわれはここで付け加えたいところであろうか。それとも幸福の否定において、寂滅(ニルヴァーナ)の幸福に達したといえようか。...」という文章から仏教的な人生観を読み取り、いわゆる大衆小説を超えた深い死生観に、ため息をついたものでした。

しかしモームの小説自体には、仏教的な用語は使われてはいなくて、その代わりに「ペルシャ絨毯の模様」という言葉になっています。原文には確か、patern of arabesqueと書かれていたと記憶しています。その意味するところは、人間の人生模様というようなものは、意図してその個人が創造するというようなそのような狭い規模の問題ではなく、生きとし生きるものが、複雑にアラベスクの模様のように絡み合い、どこをどう切り離そうと、自分が意図してそのようになった部分など見極められるものではない、むしろさまざまな関係性の中で、それがそのように生きる以外なかったのだ、というような諦めの境地を、このアラベスク文様に託して語られているのです。

モームの中では、おそらくペルシャのアラベスク文様は、無意味、無個性、パターン化の象徴なのでしょう。人は創造的に自分らしい生き方をしようと苦悩する、しかしそうしようとすればする程、自分の無力さと、愚かさを思い知るばかりです。そして、なぜそのように生きなければならないのか、と自問しても、それはただそういう運命であったとしか言えないことばかりです。

「人生に意味などは、なにもないのだ。宇宙を突進している一恒星の、そのまた一衛星にすぎないこの地球上に、この遊星の歴史の一部である、或る種諸条件が揃った時、それによって、生物はただ偶然に生まれたのであり、したがって、他の或る種条件が揃えば、それは永久に消えてしまうだろう。人間とても、他のもろもろの生物と同様、無意味な存在にすぎないことは、すこしも変わりなく、創造の頂点として生れたものなどでは決してない。ただ環境への物理的反応として現われたものにすぎぬ。」(モーム『人間の絆』)

しかし、この諦めが決して深刻な二ヒリズでは終わらないのです。そこが、所謂ニーチェ的なニヒリズムと仏教的な虚無感の匂いを嗅ぎ分けられる、モーム小説の大衆小説に徹した力強さ、真骨頂と言えましょう。

「もし生が無意味だというならば、世界はその残忍性を剥奪されたも同様だった。彼がしたこと、し残したこと、いずれもみんな無意味なのだ。失敗も無ければ、成功も無。彼自身は、この地球の表面に、ほんの束の間存在し消える夥しい人間群の中の、最も小さい生き物にしかすぎないのだ。しかも混沌から、その虚無の秘密を探りとった彼は、その故にまた全能者でもあるのだ。彼は躍り上がって歌い出したくなった。....ひっきょう人生は、一つの模様意匠にすぎないと、そう考えてよいのだ。特にあることをしなければならないという意味もなければ、必要もない。ただすべては、彼自身の喜びのためにすることなのだ。行動といい、感情といい、人生の錯雑した、さまざまの事実の中から、人は精巧、整斉、複雑、華麗、それぞれの好みの意匠を織りなしてゆけばよいのだ。」(モーム『人間の絆』)

このような諦めからの逆転的な発想が、この小説の『人間の絆』という題名の「絆」に込められています。昨今の日本で使われている「絆」とは、かなり異なる内容なのです。「絆」という言葉に某かの違和感を感じている方は、是非この文字の理解のためにも、お勧めの1冊です。

さて、私はちょうど10年前の2002年に『BIO-ARABESQUE』(227.5x145cm)という作品を制作しました。偶像崇拝をしないイスラーム文化の美術表現と抽象表現とはどこか地下の経路で繋がるものを感じていたこともあり、ペルシャンブルーを基調とした絵具層をスクラッチし、模様と絵画の境界を探るようにして制作したのでした。この作品はその後、2002年に女子美アートミュージアムの企画グループ展『絵になる瞬間』展に出品し、そのまま女子美術大学の所蔵になったのでした。

抽象と模様とは、絵画の上で際どい問題を露呈させます。私はよく「模様のような絵ですね」と、よい意味で親しみをこめて感想を寄せて下さる人が多く、その言葉に戸惑いながらも、しかし冷静にそれについて考え続けて来ました。常に模様と風景と抽象の狭間で葛藤し、答をハッキリさせずに立ち止まり、ある時は思い切って失敗をしてみます。その立ち止まりと失敗こそに、新しい世界が見えて来る瞬間があるからです。「模様」と言われるときの、何らかの後ろめたさとは一体何なのか、人々が風景を見て喜び、安心しようとする。その心のよりどころを分ちようとする反面で、冷たく引き離し芸術に立ち向かう姿勢は、厳しく、孤独で、身が引き離されそうになることもあるのです。しかし勇気を持って前を向き、再び姿勢を正すのです。

画家として生きて行くことは、時に辛苦を味わい、矛盾に苦悩し、人生に迷い翻弄されます。ここ数年、とりわけ震災後、私は「もう画家であることを止めよう」と何度思ったことでしょう。しかしその問いは常に、いわゆる人としての「正しさ」の判断が、いかに愚かで手ぬるいものかを味わされるだけでした。人のためにとか、正しさを見せる、というようなことなど、所詮私の力の及ぶ事ではなかったのです。私は、筆を持ちカッターナイフで絵具を削るという方法でしか、満足に自分を活かす方法がないのだと、やっと気づくことができました。

昨日は、往復高速バスで大阪の国立国際美術館の『草間弥生 永遠の永遠の永遠』を見て来ました。私としてはむしろ同時開催のコレクション展に、心励まされ帰って来たと言えるかもしれません。コレクション展は、国立国際美術館が所蔵している女性作家の作品を中心に構成されていました。海外では、キキ、ブリジット・ライリーやウングワレー、国内では辰野登恵子、松本陽子、町田久美、内藤礼、高柳恵里、風間サチコ等。このようにまとめて良質な小品を見たのは初めてだったかもしれません。本当に楽しむ事が出来ました。でも、草間弥生のもっとずっと初期の作品を見たかったのですが、それがニューヨーク時代のネット作品止まりだったのは、かなり残念でした。草間弥生の長野時代の作品には、胸にぐっと来るものがあるのです。それが何なのか、ずっと知りたいと思っています。松本に行けば何かわかるのでしょうか?

女性がその一生を芸術に捧げることができるようになるのには、太古の昔から連綿と続く沢山の女性の少しずつの勇気と努力の積み重ねの果てにあるのです。けっして一人の女性作家の力のみでは、成し得なかったことです。それらの大いなる力に深く感謝し、その感謝を作品に還元して行かなければならないと決意したのでした。

ここでお知らせです。

4月7日(土)~6月3日(日)
横須賀美術館所蔵品展「横須賀・三浦半島の作家たち」にて下記作品が展示予定です。
『sea and stone 硯海』2006年作 227x91cm4枚組

kaneko2006展示風景
Continue reading “サマセット・モーム『人間の絆』・アラベスク模様・草間弥生展”

近代について

先日東京駅の丸善でチャールズ・テイラーの著作『自我の源泉 近代アイデンティティの形成』『〈ほんもの〉という倫理 近代とその不安』『近代 想像された社会の系譜』『今日の宗教の諸相』を購入しました。丸善には、読書テーブルのコーナーがあって、重たい本を立ち読みしなくてもよいようなサービスがあるのですが、残念ながらその日も、満席でした。いつもなんですけどね。それもほとんどの人が、休憩か居眠りをしているようにしか見えない。いや、もしかしたら「全部買いなさい」ということかもしれないと、その時勝手に判断し、全部買うことにしたのでした。本当はセレクトして買おうと思ったのですが(言い訳)。

本は1冊ではそれ程重いと思ったことはないのですが、数冊になると最近は無理せずに宅急便を使うようにしています。丸善のレジで配送サービスがあるかどうか尋ねてみましたら、何と「1万円以上のお買い上げは送料無料」だそうです。聞いてみるものですね。早速無料で配送をお願いしました。いつからそうなったのでしょうか?これまで随分重い思いをして来ましたが、あれは何だったのでしょうか(苦笑)?ま、深く考えるのはよしましょう。このようなお得な情報は、最近はそれを必要とする人にしか伝わらないようになっています。プロバイダー契約も、ネットからするとプリンターが貰えたり、契約金が安くなったりする時代ですからね。

話が少し脇道にそれましたが、チャールズ・テイラーの本を、それ以来、同時並行して読んでいます。この著作者のことはこれまで全然知らなかったのですが、とても読みやすい文体なのでお勧めです。これまで「近代美術」と言う時と「現代美術」という用語を使う時のニュアンスの違いについて、ずっと違和感とか、疑問を抱いて来たので、このテーラーの本から「近代」とはどういう概念かが少しずつ明確になって行き、こんがらがった糸の綾が解され、少し柔らかくなっていくような感覚があります。

まだどれも途中までしか読んでいないのですが。やはり「私たちはまだ近代という概念の中に生きている」ということを、当たり前のことですが、再確認することができました。近代と現代とを一本の線上の延長として横並びに結びつけている人が結構居て、そういう認識にずっと疑問を持ち続けていました。つまり「近代美術って、現代美術以前のアートでしょ?」というような意識です。確かに、最近世界的にあちこち「現代美術館」という名称の建物が立つようになったので、いかにもそれが新しい美術の発信源という感じがしてしまいます。確かにそれは全くの間違いではないのですが、やはり認識としては不十分なような気がします。

私たちは、近代に生きているという場合のこの「近代」は、歴史的な位置づけをした上での認識なのですが、「現代」とはこの歴史的な土台から遊離されている感覚があります。例えば現代美術でいえば、とにかく最先端技術を使ってみたとか、これまでの脈絡に関係なく、突発的に趣向の変わったものが出て来た、という内容になるのです。それがいいかどうかとか、評価に値するかどうか、という考察は全く意味をなしません。なぜなら、歴史に切り離されていること自体が重要だからです。もし歴史に裏打ちされていれば、それは「近代」のカテゴリーに含まれることになるわけです。評価は必ず時代という考察なしにはあり得ないわけで、そういう意味で「現代美術」はそもそも評価をすることのできないものなのです。

そしてその「現代美術」も10年も経てばもはや「現代」とは言えなくなってしまいます。そこで多くは消え去るものです。ただリアルタイムで「近代」的な位置付けがすぐにはわからない形で、暗に仕込まれていた場合、突如としてそれに気付いた人によって「近代」の脈絡で評価され、それが歴史的に重要な遺物として残されて行く。そういうものなのではないでしょうか。

今のところチャールズ・テイラーの著作に、そういうようなことは全然書かれていないのですが、読みながら、「そういうこと書いてないかしら?」と探しながら読んでいる自分があります。

さて、丸善に行った日は、その足で東京国立近代美術館の「ポロック展」を見に行きました。あまりに有名ですし、数年前にニューヨークのグッゲンハイム美術館でペーパーワーク展を見て、良い作品を堪能できましたから、今更見に行くかどうかということも感じなくもなかったのですが、そういう時に限って後から後悔するものですからね。やはり見に行くことにしました。結果、やはり見て良かったと思います。初期の珍しい作品がたくさんありました。ポロックらしい作品しか知らない人は、きっと目に鱗でしょう。久しぶりに展覧会カタログも購入して、内容がとても充実していて満足でした。特に「具体美術協会とジャクソン・ポロック」については、わくわくしながら読めました。

ところで、その日は予定していたバスに乗り遅れ、相模原の東横インに1泊してしまいました!そうそう、最近引越しをしたのです。でも結局これまでの生活とそれ程違いもないので、まだほとんどの人にそのことはお知らせしていません。引越しをした理由もいろいろな理由を言い当てることも出来ますが、一番の理由は、「どこに住んでも同じだから」です。たまたま住んで見たくなるような物件との出会いがあり、これまでの相模原の生活に終止符を打つことになりました。

「地震の影響ですか?」と聞く人もいるのですが、日本中というか世界中のあちこちで頻繁に地震があり、世界のどこに行っても、安全な土地などどこにもありません。画家にとっては、どこでもサバイバルな人生です(笑)。たとえ筆が無くても、キャンバスが無くても、画家は絵を描き続き続けます。絵とは何か?
……人生そのものが絵であり、夢であり、希望なのです。
Continue reading “近代について”

ハイデガー芸術論の「ピュシス(=自然)」

今回は、ハイデガー芸術論の「ピュシス(=自然)」について私なりに考えていることを書いてみたいと思います。

カント哲学の「芸術美」と「自然美」

ちょっと遠回りのようですが、渡邊二郎著の『芸術の哲学』の第13章「カントの判断力批判」を読んでいて、とても触発されましたので、ここから文章をはじめたくなりました。

カント哲学については、これまでカント先生は誰からも慕われていた希有な哲学者であった、くらいの知識と、父の書斎にあったカント全集を実家の引っ越しの際に、手放してしまったことをたまに悔やむくらいでしょうか。原典を読んでみようという気は、これまで全くありませんでした。

渡邊氏の著作のような、芸術哲学のダイジェスト版のような著作があると、さまざまな角度から芸術を考えるきっかけとなり、とても啓発されます。そして、是非とも原典に目を通して、自分なりにもう少し思索を深めたいと思わせてもらえます。

昨晩寝床の中で、触発された言葉は「自然美は芸術美に勝る」と「芸術は自然のように見えるとき美しく、自然は芸術のように見えるとき美しい」というカントの思想です。

結構この何気ない言葉は、日本人にかなりわかりやすいというか、どの人も大なり小なり、この価値観を持っているように思われてしかたありません。

例えば絵画作品を飾るよりは、「眺めの良い窓のある家に住みたい」という気持ちがあるでしょうし、美術館を建てようとした時に、「自然環境が損なわれるという理由で反対運動が起きた」というようなことも、そういう価値判断が根底にあると思うのです。

一方で素晴らしい景色を見た時に、「わぁ、まるで◯◯の絵のようだ」と思うこともありますね。

だから、カントの言っていることは、すごくわかりやすいと感じてしまいます。

でもこの感覚のおかげで、切り落とされてしまう吟味というものがあるとも感じ、ちょっともの足りなさも感じてしまいます。おそらくカントの原典を紐解くと、もっと詳細に吟味されているでしょうし、そういうところを勉強しなければならないのかもしれませんけどね。

美術における「自然」としての「ピュリスム(純粋主義)」

これは私なりの経験を通して考えることなのですが、「神」「宇宙の原理」「自然」「無意識」「共通感覚」「天才」というような言葉は、実はあるひとつのことを視点を変えて違う言葉で言い当てているだけなんじゃないか、と漠然に感じています。

例えば「神」という言葉を「人間を超越した力」と置き換えると、それが「宇宙の原理」というものなのではないか、と思ったり、人間が自然のような存在である時に、「無作為」に事物を作り出し、それが自然と一体化した状態、すなわち「無意識」を使うことであり、その「無意識」部分は多くの人と繋がることのできる「共通感覚」であって、そのようにして生まれた作品が、時代や場所を問わない、普遍的に芸術と看做されるものなのではないかと思うからです。

そういうものを作れる人が「天から与えられた才能」「天才」とされるわけで、これは特殊な才能を持つごく限られた人間とする時代もあったのですが、近年は原始的な人々や子供の美術が着目されるようになって、純真無垢な存在こそに「自然」と同じような力強い美の発露があるのだという見方があると思います。

「美」とは何か?という問題になって来ますね。そのことでひとつ思い出す経験があります。美大生の時に母校の高校で教育実習をしたのですが、その時に鑑賞教育として「ヴィーナスの変遷」というテーマでスライドを70枚程用意して授業をしました。ヨーロッパの美術史に連なるヴィーナス表現の脈々たる流れ。それはそれは面白いのです。

う~ん。。。でもですね、担当の恩師が指導案の段階で「こんなに裸の作品ばかり見せちゃうと、思春期の特に女生徒にはどういう反応があるか、ちょっと心配(汗)僕は男だから、女生徒のデリケートな部分はわからないから」って、言われました(苦笑)。

「大丈夫です。私は女ですし、先生がされると抵抗があっても、私がやるなら平気っていうことあるんです。」と、妙に説き伏せてしまいましたが。若いときは今よりもっと強引でした(苦笑)。

この授業の主眼は、「ヴィーナスの主題はヨーロッパの美術表現における『美』という観念のアレゴリーである、ということを鑑賞を通して知り、美について洞察し、考えを深める」というものだったと記憶しています。

授業の最後に、アンケートをとりました。

「あなたにとってのヴィーナスつまり『美』とはどういうものですか?もしそれを絵画に表現するとしたらどのような作品になりますか?」

かなり熱心に生徒たちは優秀な意見を書いていましたが、中にひとつだけ今でも忘れられないものがありました。(実際、あとの大量のアンケートの答えは全く忘れてしまっています。余程、この答が印象的だったのでしょう。)

それは「私のヴィーナスは赤ちゃんです」という女生徒の意見でした。「姪がつい最近生まれて、こんなに素晴らしく、感動的な存在は他にはないと思ったからです」と理由が続きました。後は細かいことは忘れてしまったのですが。「純真無垢」という言葉が書かれていました(笑顔)。

確かに「赤ちゃん」は「神様からの授かりもの」とよく言われます。でもそういえば、ヴィーナスは赤ちゃんの姿で表現された例を私は知らないかもしれない。その時そのように感じて、強く印象が残っているのでしょう。

このようなピュリスムの影響が見られる芸術というのが、例えば1940年代のフランスの「アンフォルメル」の画家の一人、デュビュッフェのアール・ブリュット(Art Brut 生の芸術)と言えるでしょう。彼は、子供の純真無垢さから美術制作の原動力を引き出そうとしたわけです。

但しアンフォルメルですから、ヴィーナスの姿形は消えてしまうわけですけど。

あ、この部分は、教育実習当時の私には、まだ見えていなかった部分ですから、四半世紀も経ってから、この場を借りまして補足となります(苦笑)。

ハイデガー芸術論におけるキーワード「ピュシス(=自然)」

このピュリスムの根底には、ヨーロッパのギリシャ哲学の「ピュシス」という言葉があることを最近ハイデガーの著書から私が知ったことは、前にも書きましたが、それが「自然」という意味であったことに驚いています。そしてハイデガーは芸術におけるテクネーというのは、このピュシスによって、単なる職人のテクニックと一線を画すと見做しているのです。

これはおそらく、技術に振り回されるのではなく、それを我がものとした時に、無心に制作することとなり、そこから「自然」との経路が結ばれる、あるいは「自然」と一体化して作品が生まれることを意味しているのではないかと、私は勝手に解釈しています。

技術が自分の手足同様になる時、その時こそ「自然」が舞い降り、カントの言う「自然美は芸術美に勝る」を超越してしまう。ハイデガーの芸術は、カントの言うところの芸術をはるかに越えてしまっている概念のように思われてなりません。2つの区別がないと言っているようなものなんですから。

というか、ハイデガーはその区別のない概念がすでにギリシャ語の中にあるじゃないか、と言っているわけです。そこにハイデガー芸術論の力強さがあるんですねぇ!この部分が、芸術家にとってとても心強い。だからやっぱり私はハイデガーに戻って来ます。

ハイデガーはあまりわかりやすくカント流に芸術を断言しません。全ては繋がっているから、切り離せないのよ、と言うかのごとく。それをわかりやすいように説明すると、その時はすっきりした気になりますが、実は大切なことが抜け落ちてしまう。。。で、全貌がよくわからなくなってしまう。そこで、ふわふわとした言い方にならざるを得ないのでしょう。それだけにハイデガーの語り口は、私にはとても心地よいものになります。

というように、何だ、つまりぐにゃぐにゃ漠然とした感覚のようなものは、皆わかっているけど、それを格好良く言葉にしてしまうと、いろいろな言葉に惑わされて、本質がわからなくなってしまうのだから、黙って絵を描きましょうよ、ということもあるでしょうね。

そうそう、でも上手く言い表すことができたら、確かに素晴らしいし、感動するから、やっぱり哲学は面白いし、芸術ということを作品にするだけでなく、少しは言葉にして芸術を多くの人と共有する努力をしたい、と私は思っているところなのです(笑顔)。

追伸1:『芸術の哲学』と平行してリチャード・E.ルーベンスタイン著の『中世の覚醒』を読み始めました。これがめちゃくちゃ面白いです。これを機にアリストテレスの『形而上学』を読まないと、と思い始めました。そして、そう言えば、ハイデガーが『アリストテレス「形而上学」』を残しているではありませんか!全集の33巻です。早速、注文することにしました。そのうちジョルジョ・モランディの「形而上学絵画」について書いてみたいものです。

追伸2:ハイデガー・フォーラムの2012年の統一テーマは「自然と技術への問い」だそうです。今から楽しみです。
Continue reading “ハイデガー芸術論の「ピュシス(=自然)」”

ハイデガー芸術論『芸術作品の根源』『技術への問い』など

本日、鍵付き未公開のコメントを頂きました。ありがとうございます。
見ず知らずのお客様から、励ましのコメントを頂くと、ブログを長く書いて来て、本当に良かったと実感します。
自分の作品のことはあまりうまく書けないものですから、読書のことばかり書いております(苦笑)が。。。
どうぞ末永く『画布に雨を。。。』をご愛顧の程、よろしくお願い致します。

最近は、ハイデガーの『芸術作品の根源』を再度読み直しています。
技術への問い』に出て来る、ギリシャ語のピュシス(自然)やポイエーシス、テクネーという言葉のニュアンスがとても興味深く、ハイデガーの芸術論をもっと深く読み取りたくなったからです。

ハイデガーの文章は、画家にとって、制作を鼓舞するような、不思議な高揚感を与えてくれるところがあります。

例えば、『技術への問い』の付録「芸術の由来と思索の使命」(1967年にギリシャ政府から招待を受けて、アテネ学芸アカデミーで行われた講演で朗読されたノート)の文章は、まずそのアテネの人々に向けて、このように始まるのです。

「....われわれは、ここ、アテネで、かつてこの都市とアッティカ地方との守護者であった女神アテーネーに、助言と同行とを願おう。この女神の神性の充実は計り知れない。われわれは、ただアテーネーが芸術の由来についてわれわれに語ることだけを探求したいと思う。
(略)
アテーネーは、人間たちがなにかを生み出し、なにかを明るみにもたらし、なにかを成し遂げ、なにかを実行に移し、さまざまに行動するところの、どこにおいても支配している。それゆえ、アテーネーは、ヘラクレスが行動するとき、彼のために助言し、助力する女友達であった。
(略)
...支援するときでさえ目に見えず、しかも同時にその神性のはなはだしい懸隔ゆえに遠く離れている。アテーネーは、家財道具、容器、装飾品を製作する男達に特別な助言を授ける。製作にたくみで、自分の仕事に精通し、その処理を掌握できる者はみな一種のテクニテースである。このギリシャ語を「職人」と訳すなら、われわれはその意味をあまりにも狭く解しすぎている。建物を建築したり彫刻を制作する人もテクニテースと言う。
(略)
テクネーという語は一種の知を名指している。それは作ることや製造することを意味するのではない。この知は、造形物や作品を制作するさいに必要不可欠なものをあらかじめ看取することを意味する。作品は、学問の、哲学の、詩作の、弁論の作品でもありうる。芸術はテクネーであるが、技術 [Technik] ではない。芸術家はテクニテースであるが、技術者でも職人でもない。
......」

では、何なんでしょう?ということで、その続きは、是非『技術への問い』をお読み下さい!というわけです(笑)。ヒントは、アテネの目が輝くこと、いつも知の神フクロウを伴っていることなのです。

「ふくろうの目は、燃えるように ー 輝いているだけではない。それは夜を貫いて洞察 [blicken] し、それでなければ見ることのできないものを見えるようにする。」

このあと、アテネーの沈思する眼差しがやがて、ギリシャ人の言う「ピュシス(自然)」とラテン語のナトゥラ [natura] とのニュアンスの違いに触れて、さらに芸術の深い洞察へと切り込んで行く文章になっています。

このような文章に触れる時、ギリシャ神話の世界に裏打ちされている芸術の神聖さというものを実感しますし、また神話の神々とはそもそも、物語の中の登場人物のような形をとりながらも、実は哲学的な思索の手がかりとしての寓意、アレゴリーなのだということに気付かされます。

このように芸術を哲学することで、ギリシャの神々から言い知れぬ力を授かり、制作に向かう。。。というような至福の世界がこのハイデガーの芸術論に満ち満ちております。

ハイデガーの芸術をまずは入門編として知りたい方は、渡邊二郎著『芸術の哲学』がお勧めでしょう。
アリストテレスからニーチェ、そしてハイデガー、ガダマーという「存在論的美学」の系譜を知ることができます。ハイデガーの難解な芸術論を解きほぐして、「物」「道具」「作品」という関係をよりわかりやすく整理されています。

話しは『芸術作品の根源』に戻りますが、そこでのハイデガーによるゴッホの「農夫の靴」を見る眼差しは、後のデュシャンのレディーメイドの「泉」や、ウォーホールのキャンベルスープのシルクスクリーン版画の作品を見る際にも、重要な手がかりとなる、色褪せることの無い、むしろ現代美術の理解に無くてはならない視点と言えましょう。

また気が向いたら、引き続き、ハイデガーの素晴らしい芸術論の世界をご紹介できればと思っています。