大災害が起きた時ーその時私も時代も変わった
わたしのことこのブログに地震雲の事を書いたせいか、アクセス数が突然増えて、驚いています。 情報を求めて、ネットを検索している人が多いのでしょう。 こんな時に、少しでもお役に立てるようなことができれば、と思いますが、 画家はお呼びでな
我が家の一枚 故郷そして源流
わたしのこと50号作品制作の追い込みに入りましたが、ここでこれ以上筆を進めるべきか、止めるべきか、 かなり難しい判断が突きつけられています。 これ以上手を出したら、せっかくの調子が壊れるか、 それを越えてより素晴らしいものになるかの
日々の思索
わたしのことハイビスカスが、次々と赤い花を開いています。
ねじれて咲く花は、1日限りの命。
花からも生き様というものを考えさせられます。
制作の毎日は、淡々と同じことの繰り返しなのですが、
その単調な作業を支えるものが、自分の信念であったり、
強い衝動、情熱というような、わけのわからない想念であったりします。
このようなわけのわからない想念というのは、ではどこから来るかというと、
過去の自分の生き様と言えるかもしれませんが、
こと芸術という普遍的な仕事に常に身を置いていますと、
個人の枠だけでの経験ではどうにもこうにも問題になりません。
恋愛とか、巷の刹那的な人間模様のようなものは、
小説や文学作品にはなり得ても、
美術作品の存在を根底から支えるものにはならないものです。
もっと普遍的なテーマでないと、長く多くの人の目に耐えうるものにならないからです。
ですから、アウトプットばかりでなく、インプットも大切なのです。
私の場合は、「画家は万巻の書を読み、万里の道を行く」という言葉に従って、
読書と旅行は欠かせません。
今年は既に、山形と京都へ旅行しました。
遠く離れた場所に、話しを聞いてみたいという人がいるということは、
とても素晴らしいことです。
自分の存在がいかに限られ小さなものであるかを思い知ります。
また、その土地にしかない空気を五感で捉え、身体に刻むことは、
大きな制作の糧になります。
旅は空間に向かって自己を広げて行くような経験と言えましょう。
そして、今夢中になって読んでいるのが、哲学書です。
私には、『哲人』と尊敬する人がいて、
その人と出会い、親交を深めながら、これまで枯渇していた哲学の世界が、
突然豊かに広がり始めたのです。
最近は、ハイデガー『野の道での会話』、ベイトソン『精神の生態学』、
ユング『赤の書』、道元『正法眼蔵』、『ウパニシャッド』、
マルチン・ブーバー等々を時々の気分で読み散らかしています。
ハイデガーの全集は102巻あるので、
これから死ぬまで毎日読み続けていくのが楽しみです。
わからないながらも、ほんのわずかな休息の時間に、
文章をひとつひとつ丁寧に味わって読む時間は、
他に代わるものが考えられないくらいに、尊く気高い時間に思えます。
そして、その集中する時間はそう長くは続かないのですが、
集中の途切れた時に、急に沸き上がって来る何ものかがあったり、
ごく簡単なたわいもない一文が、大きな発見や感動のツボにはまって、
涙すら流れて来ることがあります。。。変人ですね(苦笑)。
テレビを売り、まったくラジオを聞かず、喧噪から離れた生活をしていますと、
このようなことが日常のことになって、
時間や自己というものを超越して生きている自分があります。
それらの哲学の内容が、直接制作の糧になるということではなくて、
そのような時間を生きることが、
芸術という時間を超越して存在するものを生み出す原動力になると思うのです。
哲学書を読むことで、
時間や個の存在を超越した自己、
というものを認識する、かけがえのない時間となるのです。
この世界は、人の情という部分からは、かなり遠い場所にあります。
音楽は限られた時間の中で情緒や情感に訴える即効力がありますが、
美術は永遠に続く普遍的な世界を扱うために、
人間の存在を強く押し上げて行くような、
じわじわと長く続く力強さがあるものなのです。
私自身の作品にも、そのような力を注ぎ込むことが大切なのです。
ですから、美術作品は、時間を忘れて作品を観ることが出来たり、
時間をずっと経った後から、その存在の意味がわかるということが起きます。
そういう時には、圧倒的な感動で、
自己の存在や見ている世界をも、全く変えてしまうということが起きるのです。
「何てつまらない概念に自分は縛られて、世界を見ていたのだろう?」というような。。。
少なくとも、私は美術を長く愛して見て来た経験に、
幾度となくそのような経験を持つことが出来たために、
今こうして画家である、ことになったのかもしれません。
その人が日常考えていることが、その人そのものであり、
そのつくるものも、その人そのものなのです。
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みかんが食べられない理由
わたしのこと「好き嫌いは?」と聞かれると、私は躊躇なく「みかんを食べることができません。」と答えます。 そして必ず、父の話をすることになっています。 たぶんこのような「みかん嫌い」な人間は世の中に、私と妹の2人だけに違いありません。