2017年06月24日 大腿骨頸基部骨折4年半後

昨日、病院で右の骨折部分と脊髄のMRI撮影をしてもらい、医師の診察を受けて来ました。
私はCTの撮影は経験したことがあったのですが、MRIはどうやらはじめてのようです。
これら二つを混同していたかもしれません。

MRIは、狭いドーム型の筒の中に入って、20分程かけて撮影されます。
ダダダダ、ウィーン、ドドドドッ、ガガガ....、というように、
うるさい音がしますが、造影注射を打たれることはありません。
その代わり、20分ずっと動かないで仰向けに寝ていなければならず、とても緊張しました。

撮影された画像は、すぐに医師の診察室のPC上に届くようで、それを見ながらお話を伺いました。
親切にも、プリントアウトしたものをお土産?に頂いて来ました。
よく考えてみると、私の股の中身がそのまま映されているわけで、
人によっては破廉恥極まりない!と嫌がれるかもとも思いましたが、
私自身は、人間の身体のどこも恥ずかしいとは思わない方なので、
「人によっては、気分を損ねる場合のある画像がありますので、ご注意下さい!」
と警告して、恥ずかしげもなく、この記事の最後に画像をアップ致します。

刺激の強い画像に弱い方は、絶対に画像を見ないよう、早めにスルーして下さい。

下の画像からもわかりますように、右大腿骨頸基部をボルトでしっかり接合されておりまして、
長野で受けた接合手術は、とても上手く行っている、とのことでした。
しかしながら残念なことに、頸基部の変形が始まって、
左と比較しても少し小さくなっていると指摘されました。

これはどういうことかというと、本来は頸基部の付け根の血管から、骨が栄養を得て形を維持しているのですが、この血管が損なわれた場合は、骨の反対側の血管から栄養をカバーすることになって、なかなか栄養が充分届かず、骨の変形が始まるという事でした。

しかし、私が昨年夏に長野市の病院でレントゲンを撮った時から、それほど形が変形しているようには思えなかったので、事によると、この状態から変形が進行しないのではないか、と内心楽観的にお話しを伺いました。

医師は、「とにかくこの状態を維持しないと、やがては人工の頸基部に変えるか、人工股関節にする大手術を受けなくてはならない事態になる可能性もあるので、次の事をよ〜く注意して生活するように」と、ご忠告下さいました。

1.重いものは絶対に持たない。
2.あまり長い距離を続けて歩かない。
3.変な傷みが出たら、絶対に無理せず、安静にする。
4.歩かずにいると、今度は筋肉が萎えてしまうので、自転車に乗ること。
5.自転車も、坂が多い場合は負担になるので、電動のアシスト付きの自転車が良い。
6.運動としては、水泳が最も好ましい。
7.定期的にレントゲン撮影し、変形が進んでいないかどうかをチェックすることも大切。

ということでした。
これまでちょっと勘違いしていたところがあります。

運動不足で筋肉が萎えてしまうといけないと思い、少し無理して歩くようにしていた事。
昨年はヨガで、無理な動きをしてしまったこと、右片脚になってお祈りのポーズみたいなのも意地になってやってしまっていました(汗)その時にちょっと骨が削れてしまったとも限りません(痛)

つくづく気をつけなければならないことは、
「良くしよう」とか「治そう」と、ついしてしまうことです。
そして、「安静にする」ことを「怠けている」とか「あきらめてしまう」とか
「ほったらかしにしている」と思ってしまう事です。

昨今は、運動を良くする事や、よく歩く事をしきりに美徳として持ち上げますが、
それが当てはまる場合とそうでない場合があることを、よく注意する必要がありそうです。

人それぞれに身体の事情は異なるので、一概に人に運動や健康法を、
あたかもよく知っているかのように忠告する事は、とても危険なことです。

人間の身体について、人間が解明していることはほんのわずかなことであり、
実はほとんどわかっていないことの方が多いからに違いありません。

私の右足も、ことによると最悪の事態になる事もあるのかもしれませんが、またもしかしたら何か運の良いことが身体の中で起こって、案外このままの状態を維持して行く事も出来るのかも知れません。

それにしても今回の引っ越しで、沢山の所持品を処分する際に、その中にはとても重いものが多く、かなりの負担を自分の身体に強いてしまいました。今後は、よく自分の身体の事情をわきまえて、丁寧な扱い方をして行くよう、自省したのでした。

新年のご挨拶ー猿も木から落ちる

昨年12月の個展の間に、安泰寺のネルケ無方老師から、
自給自足で作られた無農薬の玄米を頂きました。
勿体無いやらありがた過ぎて、食べるのも躊躇うほどでしたが、
個展で上京する際に、玄米を粉にする専用のミルと、スープジャーと梅干を持って行き、
個展会期中は、この玄米を食べながら頑張ることが出来ました。

毎朝、粉にした玄米をスープジャーに入れ、
熱湯を注ぎ、梅干を入れてよくかき混ぜ、蓋をしっかり閉めておくと、
お昼には、ちょうど良いホカホカの玄米ミルクが出来上がっています。

玄米の量を加減すれば、スープとしても楽しめました。

玄米は、万能の栄養食で、おそらくこれさえ食べていれば、
おかずなど食べなくても生きていけるのだそうです。
そこまで徹底して確かめたことはありませんが。
こういう食生活は、甲田式の食事方法を勉強して、
そこからヒントを得たものです。

私は自分の人生を、制作に捧げるつもりで生きていますから、
自分の食欲を満たす最低限の食事を心掛けていて、
それ以上の過度に美味しいものや、
贅沢な食事はしないようにしているのです。

それは長生きをしたいからという理由からではありません。
自己コントロールが出来ることが、制作する上でとても重要だからです。

食生活すら自分の意思で管理できないようでは、
自分の思い描くような人生は生きられない、
思い通りの作品を生み出すことは出来ない、
といろいろな人たちを見て経験的に感じて来ました。

何のために、どのような食事を取るべきか、
なぜそれを食べたいのか、
いつも自問自答して注意深く食べるようにしています。

まずは、それを作った人の顔がわかることは、すごく大切なことで、
もっと言えば、その原材料までよく知った上で食べることは、
自分を丁寧に生きることにつながります。

その頂いた玄米ですが、
感謝しながら袋の三分の一くらいをジップロックの袋に入れて、
上京する時に持って行きました。
その際に思わぬものが、米袋から出て来ました。
それが画像の写真が印刷された葉書です。

「猿も木から落ちる」これを見つけた時は、
思わず大笑いしてしまいました(爆)

saru

ネルケ無方老師の気取らない、
底抜けの明るさに感動するとともに、
襟を正して、猿は我が身と、
くれぐれも気をつけようと自分に言い聞かせた2回目の上京。

ところが、木から落ちたのは、
今のところ私ではなくて画廊のオーナー、
ということになってしまったのは、大変驚くべき展開でした。

生きている間には、こういうこともあるものだなぁ、
と不測の事態に驚きながらも、
何とか乗り越えた2015年の年末でした。

画廊オーナーは、軽度の脳内出血で入院したものの、
お陰様でゆっくり回復に向かっています。

12月20日の朝、ご自分で異常に気づいて、
電話で救急車を呼び、玄関もご自分で開けたのだそうです。

その際に、右足が動かなかったそうですが、
いつもスポーツジムで鍛えていたことが功を奏して、
左足、左手で玄関までたどり着き、
一命を取り留めたと仰っていました。
どこかで諦めてしまっていたら、
このような話を書くことは出来なかったかもしれません。
やはりこのお話も、日頃の自己管理の大切さを物語っている話しです。

31日に病院へお見舞いに行きましたところ、
すっかり元気なご様子で、
相変わらずしっかりした眼力で、
個展の後片付けの報告や、
次のスケジュールの打ち合わせもすることが出来ました。
「もう右手で文字を書けるけど、こんな汚い字なんだ」
って仰ってましたが、
元々とそれ程変わらないように思ったのですが(汗)、
「読めればいいんじゃないでしょうか」と、答えておきました(苦笑)。

「これは、まだ生きてて良いってことだと思うから、ありがたくて、ありがたくて」
と、すっかり涙もろくなられていました。

人にはいろいろな側面があると、
私は常にそう感じて人と接してきました。
例え厳しい人、付き合いの悪い人、
愛想の悪い人として、敬遠される人であっても、
全く違う側面を持っている場合が多いものです。
一方的に表面的な通り一遍な付き合い方では、
それは感じ取れないようになっています。

よく咀嚼して、味わうことで、食べ物の滋味を知るように。
人もまた、よく知らない内にその人を判断してはならないとつくづく感じます。
さまざまな場面で、人に対して大らかに、そのような機微を感じ取れるよう、
より一層精進しなければと自分に言い聞かせました。

大抵の人間関係の問題は、この一言に尽きると思います。
今回の事態に、少し疲労が増しましたが、
私自身は、今後の予定に気が張っているせいか、
特に動揺することもなく、
平然と新年を迎えることが出来ました。

不測の事態にあっても、ふと、
昨年の秋に長野の寂れた映画館で見た
2つの名前を持つ少年」を思い返し、
大丈夫と思えることが出来たからです。

その映画は、実話を元に、
少年少女のために書かれた物語が映画化されたものです。
ナチスのゲートから逃げ出したポーランド生まれのユダヤ人の少年が、
ナチスに追われながらも、極寒のポーランドの森を旅しながら生き抜く話でした。

父や出会ったユダヤ人の子供たちは、皆囚われ、殺されてしまい、
それでも今日よりも明日をと前を見て、
自分の持てる知恵と勇気とで、果敢に生き抜きます。
途中、粉挽の仕事にありついて、
乞食の生活から一変して明るい兆しが見えて来るのですが、
そこで事故に巻き込まれて、右手を切断することになってしまうのです。
自暴自棄になりながら、それでも挫けずに、
しかし彼は、その右手が無いことで救われていくことになるのです。

ピンチがチャンスに変わることがある。
そう教えてくれた心に残る映画となりました。

今回のピンチにしても、かえって、様々な方々からご心配頂いて、
個展で発表した大作「揺光の花」が個人の所有となるなど、
大きな成果をあげて、締めくくることが出来ました。

このような明るい展望を持って新年を迎えられますのも、
一重にご支援して下さる方々のお力添えのお蔭様です。
心より感謝申し上げます。
ありがとうございました。

新年がこのブログ記事を読まれる方々にとって、
輝ける1年でありますように!

追伸1
個展感想のメール、お手紙、年賀状など、沢山頂きました。
ありがとうございました。
ゆっくりお返事を書いて行きますので、遅くなりますが、お許し下さい。

追伸2
画廊を応援して下さる方が、
ブログに励ましの記事を書いて下さいました。
オーナーに、この記事を読んで差し上げたところ、
涙で顔がびしょびしょになりながらも、
みるみる元気になりました。
本当にありがとうございました!
http://blog-shozo.com/life-cafe/

肌荒れー自然治癒力ー脱皮

このところ、制作のピッチを少し緩めて、余裕のある生活を心がけています。
お陰さまで、作品の完成もある程度見えて来ました。
油断をするというわけではなくて、夏の疲れをとって、体調の微調整期間にしています。

涼しくなって来ると同時に、身体が軽くなって来たような感じがして、
いかに夏の暑さで体力が消耗していたを実感します。

それと同時に実は、顔の両頬と両耳に肌荒れが起きて、
ぴりぴりした痒みと赤味、腫れ、皮剥けが始まったのが9月に入って5日頃。
外に出かけられない日々が続きました。

栄養...問題ないと思いましたが、思い切って乳製品、玉子、コーヒーを止めました。
     代わりに小魚(めざし)と大豆食品、頂きものの緑茶に変更。

時間...夜10時には必ず寝て、早起き、ラジオ体操を心がけました。
     昼にもラジオ体操をしました。

化粧品...基礎化粧品が切れていて、使わなかったのも原因と思い、
     集めていた上質なオリーブオイル化粧品の無料サンプルを
     この際全部使い切ることにしました。
     ファンデーション等は一切止めて、眉毛だけ整えました。

寝具...そば殻枕を全部解体し、中身を天気の良い日に天日干しし、外側は洗濯。

洗濯...台所洗剤として活用している重層は、殺菌作用もあるので、
     洗濯の際にも使用して、衣類やタオル、洗濯機自体を殺菌。

風呂...湯船に重層を少量入れると、お湯が柔らかくなり肌に良いとされています。

瞑想...寝る前に布団の中で仰向けのまま、30分程座禅の呼吸法をやってみました。
     なぜか透明な蓮の花のようなものが見える程になりました。何でしょうね?

ご褒美...これまで一生懸命頑張って来た自分へのご褒美をしてみようと思いました。
     考えに考えた挙げ句、思い切って一番小さいアトリエイーゼル(2万3千円)
     を注文することに決めました。心から欲しいと思っていたからです。
     本当は、お金に余裕が出来てからと思って、これまでずっと我慢していました。
     しかし、大作制作とは別に同時並行で、どうしても小作品が描きたくて仕方ありません。
     これは決して悪いこととは思えませんでした。
     きっと何倍にもなって返って来るものがあると思われたからです。

一時は、病院に行くことも考えましたが、よく症状を調べて、
専門医の治療(例えば自己免疫疾患)の必要性はなさそうだとわかり、
自分の自然治癒力に任せてみることにしました。

結果、今日は22日ですから、20日弱ですっかり回復しました。
赤味も弱くなり、ぴりぴりもなくなりました。
皮剥けも終わりました(ホッ)。

自然治癒力に感謝の気持ちで一杯です。
お金の余裕があったら、真っ先に病院に行っていたかも知れません。
あるいは、高い民間薬や化粧品に手を出していたかも。
そう思うと、イーゼル2万3千円はそう高いものでもないと思います。
そして一概に経済的な余裕が必ずしも幸せとは限らないように思えてなりません。

この経験が自分にとって、何を意味するのだろうかと考えてみました。
答えは、「脱皮」です。

これまでの皮膚では追いつかなくなって、
より強く厚い丈夫な皮膚を必要としているのでしょう。
「無知厚顔」ではいけませんが(苦笑)。
そして、自然の力に任せる、ゆだねることの大切さを学びました。
病にはそれなりの意味があり、薬で回避してはいけないように思います。
それよりも日頃の生活習慣をもう一度見つめ直し、
改めるべきところは改めることが重要と痛感しました。

そして、瞑想を久しぶりにして感じたことは、
より冷静に自分を内観し、
静かで、穏やかな、フラットな気持ちや目を持つことはとても重要だと気付きました。
そうすることで、現実に起きて来る様々なことに一喜一憂せずに、
客観的にものごとを判断出来るように思われてなりません。

物事を短絡的に優劣や善悪で判断せず、
なるべくありのままを受け取れる自分でありたいと思います。

それは芸術を見たり制作する上でも重要な視点です。
さまざまな可能性を切り捨てないことが創造的な生き方に繋がるからです。

追伸
いろいろな方から、メールで励ましのお便りを頂いております。
本当にありがとうございます!
返事が遅れていてすみません(汗)。

大腿骨頸基部骨折回復記録−5

2月に右大腿骨頸基部の骨折をしてから、半年が過ぎました。
8月3日に定期検診があり、レントゲンの結果、定期検診はこの日が最終日となりました。
お陰さまで、今のところは無事に回復に向かっているようです。

頸基部に異常な形態がないかどうかがレントゲン画像で確認され、医師から説明を受けました。
骨に血液が回らなくなると、折れた部分が次第に壊死して形がぼろぼろになるそうで、今のところはその兆候は観られないということでした。
でも足の長さが5ミリ程短くなったそうです(トホホ)。
何となく不安のよぎる話しではありましたが、それは想定内の変化だそうで、心配はないそうです。
そう言われてみると、何となく今までのバランスと違うようにも感じて来ます。

実際に折れた部分が本当に接続出来たかどうかは、レントゲンでは確認出来ないそうです。
「骨がボルトで止まっているだけの場合もあるので、ボルトを抜く手術は、余程の事がない限りは止めておきましょう。」
ということでした。
ボルトが骨に馴染むと、逆に抜く手術も困難になるそうです。
反対に、再び同じ箇所を転倒などで損傷するようなことがあると、今度はボルトが凶器になる可能性もなくはないそうです。
くれぐれも、転倒だけはしないように注意しなければなりません。

普通に買い物に出かけるくらいは、何も困る事がないのですが、駅のホームの階段を上るのだけが唯一困難です。
右足で1段上がろうとするとお尻と腿に激痛が走ります。
長らく右足を安静にしていたために、右のお尻と太ももの筋肉が全く衰えてしまったのです。
日常生活、とりわけラジオ体操も出来るようになっていて、すっかり油断していました。
調べてみると、過度なリハビリも良くないそうです。
これから少しずつ自分なりに工夫して、出来る範囲で、無理せずに筋力アップのリハビリを心がけるつもりです。

今回病院に定期検査で通ってみて、一つ気付いたことがあります。
医師は、手術と検査をしても、回復するための治療は一切しないということです。
痛み止めと化膿止めの投薬は、退院後しばらく飲みましたが、それは治療ではありません。

看護師さんがおしえてくれたのですが、骨折は、必ず誰でも治るのです。
骨って、凄いものですね。そして人間の身体は本当に素晴らしいと思いました。
痛いという事も、「身体を大切にしなさい」ということを伝えるためなのだと気づき、つくづくありがたいと感じました。

そして治療の必要がないのは、とにかく身体が本来持っている「自己治癒力」に任せるしかないからなのです。

つい私たちは、骨折を早く治す薬があるのではないかとか、骨折に効き目のある食べ物があるのではないかと考えがちです。
しかしよく考えてみると、この「早く」治すということは、どれほどの価値と意味があるのでしょうか?
「早く」と言っても、人それぞれの個人差がありますし、実際どのくらい短縮したら、納得出来るでしょうか?

よく考えてみると、私のように制作になんら支障がなければ、知らないうちに回復してくれれば事足りるので、「早く治す」意味がありません。
痛みを抑えるために、シップ薬を処方して頂いたのですが、気になる程の痛みがなかったので、実は全て制作の疲れをとるために肩に貼って使わせてもらいました。

私の自己治癒力がどの程度うまく行くかは、今後痛みのシグナルでわかるそうです。
壊死してしまった場合は、痛んで来るそうで、その時は人工股関節を入れる手術を考えなければならないそうですが、使える限りはなるべく長く自分の骨で耐えて行く事も必要になるそうです。人工股関節にすると、しゃがむことが出来なくなるからです。

しゃがむことができなくなると、制作方法にも変化があるかもしれません。
でも、よく考えてみると、その変化が作品に何らかの変化を与える事となり、それが良くなるか悪くなるかは、足には関係なく、制作する気持ち次第のように思えて来ます。ですから、どちらにしろ制作が何とかできるのであれば、例え不自由な事があっても、何とかなりそうな気がしています。

ありがたいことに、今こののような経済的困難さの中でも、制作は出来ているのです。
困難さが二つに増えても、耐える気持ちはさほど変わりはありません。
逆に困難がまったくない人など誰一人としていないことでしょう。
皆、何とか工夫して生きているものだと思います。

それにしても自己治癒力がうまく行くか、行かないかは、損傷の受け方の運に左右されることはもちろんですが、
自分の身体の力に賭けるしかありません。

生命の力のようなものは、いったいどこから湧き出るのでしょうか?

今朝ベルクソンの『精神のエネルギー』をもう一度最初から読んでみました。
この本は「意識と生命」という項目から始まります。

ベルクソンは、物質と生命との違いとをこのように区別します。
物質が行う事で予見不可能な事はない(例えば日食や月食)のですが、生命は選択をするので、予想が不可能なのだというのです。

なるほど、物質の変化というのは、ある決まった規則性があるので、その法則を知ることができれば不可思議な事がなくなります。
しかし、生命あるものは、必然性にゆだねる時と、意志の力で選択する時とがあります。
意志ではどうにもならない時のことは、何となく必然に流されて結末がわかるけれど、意志の力で行った事は、かなりジタバタした上で、予想外の事が起きて来るものです。

実際、私の骨折が大怪我になってしまった原因は、実はこのジタバタの結果でもあり、自分でも落ち着いて対処しなかったことによる出来事なのです。

しかし、ベルクソンは「生命は必然のなかに入って、必然性を生命のために役立たせる自由」があるだけでなく、
人間だけは突然の飛躍が出来るといいます。
それは他の生命体が予想出来ないかたちをつくれたとしても、「生きる」ための幅の狭い選択であるために、一度創られると機械的に反復させてしまうからです。その自由が鎖に繋がれていて、その鎖を伸ばすことぐらいしかできない程度のものなのです。

しかし、人間の選択の幅は、ダイナミックです。
たとえその日食べなくても、種の保存と関係なくても、好きなことのためには一生懸命になれるという、他の生命体ではありえない選択が起きて来るからです。

人間の力は底知れません。

私に飛躍があるとしたら、それはこの経験を通して得られた気づきです。
この気づきは、ただ制作に埋没していては得られなかったものです。
そしてこの気づきから、自分の身体に対する信頼といたわりを学びました。
それは、制作への図り知れないエネルギーとなっています。

ベルクソンのこの本には、他にも多くの重要な事柄が書かれていますが、今はうまく文章にすることはできません。
ただ、感じたのは、自分という存在はこの大きな世界の中であるべくして存在し、周囲との関係でものごとはうまく成り立つようになっている、どのようなことが起きても、何ひとつ間違いなどはないということ。
今こうして自分が存在することも、世界が求めてそうあるようにしているらしい、そんな感覚です。

大腿骨頸基部骨折回復記録−4

お陰さまで、家の中は不自由なく歩けるようになって来ました。
制作への集中力もまた元に戻って来た実感があります。
しかし、くしゃみと寝返りには、激痛が走る瞬間があり、困らされています(苦笑)。

ほぼ毎日のように、お見舞いのメールや美術館での展示を見に行って下さったご感想を頂いています。
返事がなかなか書けず、失礼しており、申し訳ございません。

「風はみちびく」については、送った方からこのようなご意見を頂きました。
ありがとうございます!

「風はみちびく」良いタイトルですね。
以前も申しました通り、私はタイトルはあまり気にしないタイプですが、
今回は、川田さんのお手紙にもありました、
「新しい道をきっと風がみちびいてくれることを願ってやみません」
のお言葉も手伝ってか、心に響きました。
すると不思議なことに、頂いた絵も、無題で見る場合と違って見えました。
風の音とか、季節とか、天気とか、周りを舞っている、葉っぱとか、花びらまで感じられました。
ただの線だけではなく、有機的な情景も感じられました。
タイトルも絵の一部を担っていると、充分思いました。

これまで、絵だけで純粋に表現しようと思い過ぎていたところもあり、たまにこういう作品があってもいいかなぁと考えられるようになって来ました(あまり文章やタイトルに頼り過ぎてもいけないとは思うのですが)。

感想を下さった方には、作品の題名の由来を書いてお返事しました。
ここでもご紹介したいと思います。

「風はみちびく」は、最初は仮題として「枯れ木に花を」と名付けていました。
「花咲か爺さん」のお話しが頭の隅にありました。
お手紙の最後に、
「この作品を見る人が、自分なりの花を咲かせて下さるように、あえて花は描きませんでした。
どうぞ、この枯れ木に心の花を咲かせて下さい。」と書きました。

しかし、下書きをしている段階で、送り先の年配者の方たちのお顔が浮かび、
「枯れ木」は失礼とも思い、削除し、作品の説明文から
「風はみちびく」という言葉を捻出しました。

「花咲か爺さん」の話は、私の制作にとても通じる内容を読み取ることが出来ます。
正直な気持ちで、キャンバスに向かい、自分の中のポチが、
「ここ掘れワンワン」と鳴く声に耳を傾けて、
キャンバスに塗られた絵具層をスクラッチ技法で掘り進めるからです。
自分が正直でなければ、ガラクタの山、正直であれば、宝の山が築けます。
ポチは正直でないお爺さんに殺されて、骨になりましたが、
それを正直な爺さんが枯れ木に撒くと花が咲きました。

誰もが心の中に正直な爺さんと、そうでない爺さんを持っていそうです。
あるいは、正直爺さんとは無意識のことであり、
正直でない爺さんとは意識のことかもしれません。

向月台」というブログ主様からも、沢山の感想をお寄せ頂きました。
謹んで拝読させて頂きました。
そのほんの一部をご紹介させて頂きます。

「風はみちびく」は、ほんのりと赤茶色の色合いであることに気づきました。これが黒一色であれば、先の見えない荒涼とした不毛な真冬のような情景になってしまいます。しかし、かすかに暖色方向の色であることによって、期待や希望の萌芽・向日性などを内包していることが感じ取れます。(これがピンクや赤であったら、能天気で無分別であったり、ギトギトしてトゲトゲしい欲望むき出し、になってしまいますが…笑)
良いことも悪いこともあった様々な経験を経た上で、今がある。選択されなかったもう一方の自分自身の欲望が心の奥から突き上げてくる事もあるけれど、それもこれも肯定的に飲み込んで、白と黒の枝が複雑に絡み合うようにしながら、今の自分自身は構成されている…。まっすぐ天に向かって伸びているのではなく、風雪に横ざまに吹き付けられて今の姿はあるけれど、新芽はまっすぐに伸びる…!今現在はそんな事を想起させられる「風はみちびく」ですが、5年後10年後はどんなであろうか…?

ブログ主様は、「秩父25番・鬼女」の写真を私にご紹介して下さいました。
「鬼女」怖いですね〜(苦笑)。

私は、次のような画像とともに我が家に言い伝えられる次のような「鬼子母神」の話しを書いてお返事にしました。

私の母は、3歳の時に、丹毒という病気にかかり、全身が腫れ上がって、死にそうになったのですが、曾祖母がこの鬼子母神に拝みに行って、一命をとりとめたそうです。
その一命をとりとめた時に、曾祖母は裏のお稲荷さんの上空を、鬼子母神を祀る寺に向かって、長く大きなしっぽを持つ白い狐が飛んで行ったのを見たそうです。
母の生れ育った三浦は、今でも陸の孤島と呼ばれていて、昔からの言い伝えと現実とが混在するような場所です。
私はそういう話しを沢山聞いて育ちました。

しかし、お写真の鬼女はもっと怖いような、リアリティのある像ですね。

不気味なもの、恐ろしいもの、そういうものから目をそらせてしまいがちですが、逃げれば逃げる程、それは襲いかかって来そうです。
むしろそういうものと対峙して、なぜそれが自分にとって恐ろしいのかを、問わなければならないような気がします。
つまり恐ろしく思える自分の中にこそ、恐ろしさがあると自覚しなければならないのでしょう。

実はこういうことがありました。
もう20年くらい前の事ですが、私はその日横浜の繁華街で、ぼーっと歩いていたところ、突然自転車が目の前に突っ込んできました。
その瞬間、スローモーションのように自転車があたるであろう部分に、先に痛さが生じたのです。
そして、その自転車は、私にぶつかる事もなく、すっと避けて行きました。
その時に気付いたのです。何かがぶつかるから痛いのではなく、痛みというのを自分の意識か身体がつくっているのだと。
痛みは確かに先にあったのです。しかし、安心した瞬間にさっと消えました。

今回骨をおりましたが、自覚がないほど痛みがなかったために、私は救急車を呼ぶということを考えられずに、
治療を先延ばしにしてしまい、返って悪化させたかもしれないと言われましたが、
こういうことも全て自分の意識がつくっているとしたら、それは一体どういう意味があるのだろうかとずっと考えているところです。

また、何かはっとわかるようなことがありましたら、ぜひブログに書いてみようと思います。

伊豆大島波浮港の松の思い出を重ねて「風はみちびく」のご感想を書いて下さった人がいます。
この方は、「嵐の中に堂々とそびえ立つ黒松」を見て、このような松のように生きようと誓った時のことを書かれていました。そして、復活祭(Easter) の日にとして、次の文章が添えられていました。

人は自然という現象を見ながら生きていく意志や心、優しさや愛、厳しさや無常、美、ときには神などを感じることがあります。
あなたの「風はみちびく」にはどのような予感が込められているのでしょうか?

素晴らしいご感想を私だけのものにしてはもったいないと、皆様に了解を得てブログに掲載させて頂く事に致しました。本当にありがとうございました!

大腿骨頸基部骨折回復記録−2

一昨日から家の中は、松葉杖無しで歩けるようになり、
今日は思い切って、近くのパン屋さんまで、はじめて外をゆっくり歩くことが出来ました。
やっと焼きたてパンを自力で買いに行くことができるようになりました。

まだ本当にゆっくりですし、足も痛いので、とても疲れるのですが、
とにかく歩けただけでもとても嬉しく、感謝の気持ちで一杯になりました。

近くの神社にお礼に参拝致しました。
ふと見ると、境内に1本だけ細く小さな桜の木があるのをはじめて発見。
弱々しくも桜の花が咲いているではありませんか!
長野では、梅よりも桜の方が早いというのも驚きです。
遅めの春が訪れると、花は一斉に咲き始めます。
お見舞いのお便り、展覧会のご感想、本当に毎日のように頂き、感謝の気持ちで一杯です。
「快気祝い」というものがすっかり遅くなってしまっていましたが、
ようやく昨日から用意をすることができるようになりました。
私の場合は、制作することがお礼の気持ちに繋がると思い、
ドローイング作品を制作し、これを「快気祝い記念作品」として、
限定枚数30枚としてプリント制作しました。
作品名は「風はみちびく」です。

快気祝いですから、ご希望者には、先着10名様まで無料でお送り致します。
*このプレゼントは終了致しました。
これはご寄付を強要するものではありませんので、お気兼ねなくお申込み下さい。
どうしてもお支払いしたい方は、ご都合に合わせた金額をご寄付として
サイドバー記載の指定銀行口座にお振込み頂いても構いません。

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風はみちびく 紙サイズ:22.75x30cm ジャーマンエッチッング紙/耐光性顔料インクジェットプリント 限定枚数30枚 サイン付 額縁・マットなし

松葉杖で、あまり早くは歩けなかった日に、
いつもならば見過ごしてしまうような景色に目を留めることができました。
夏には草ぼうぼうの雑木林が家の近くにあるのですが、
この時期は、葉がすっかり落ちて、樹木の枝振りを見せていました。
人にも骨組みがあるように、樹木にも骨があるのです。
そしてその枝振りは、まるで風の流れを教えているようでした。
私は枝を見ていながら、風を見ているようでした。
はっと思い、その思いの冷めぬ内に紙に描き起こしました。

ご応募お待ちしております。

大腿骨頸基部骨折回復記録−1

2本の足で立てるようになって、4日目の朝を迎えました。
今朝長野の空は、穏やかに晴れながらも、雪が舞い、冷たい風が吹いていました。

昨日は、近くのユーミーストアに野菜と果物の買い出しに、松葉杖1本で挑戦。
しかしながら、ゆっくりにしか歩けません。
目的地が、遥かかなたに遠のいたのかと思う程でした(汗)。
こんなに歩けないものなのかと、少しショックでもありました。

傷や骨が痛いのではなく、それをかばう筋肉や筋のあちこちが、右足に力を入れると痛みます。
りんごや山芋を買うだけで、もう重量アウト。
ジャガイモや大根等の重いものは断念しました(ジャガイモ食べたかったのですが...)。
帰り道、家が近づくにつれて、もうあちこちが傷み出すわ、荷物を持つ手は疲れてくるわで、へとへとでした。

今となっては、これまで歩けていた自分が、どんなに幸せを謳歌していたか、身に沁みて実感しました。

その後、大作制作を開始したわけですが、やはり持久力の衰えにもショック。

今朝目覚めとともに、「これはまずい」と思い始め、早速近くの鍼灸整骨院に出かけて来ました。

雪と冷たい追い風に向かって、またとぼとぼ歩き始めたのですが、
「あれっ?昨日よりはほんの少しだけ足が動くみたい(ホッ)」。

やはり少しでも歩く事が良いようです。

鍼灸院では、「でも慎重に」と言われました。
松葉杖なしで歩けるように心がける事も大事である一方、無理に持たずに出かけて、もし何かあってもいけない、ということでした。また、ある程度の負荷も必要だけれど、負担をかけて疲労し過ぎてもいけないそうです。
「バランス」という言葉が印象的でした。

鍼等の治療のお陰で、帰り道は少しまた、足の動きがスムーズに感じられました。

家の四方八方の程よい距離に、生活に必要な用事に応えてくれる場所がありまして、本当に助かるのですが、これがちょうど放射状に点在しています。
1日に1ヶ所行くだけが精一杯ですが、とても良いリハビリになりそうです。

制作も、少しずつ元のペースに戻れるように、根気づよく取り組んで行くつもりです。

追伸:
そんな中、とても良いブログ記事を読むことができました。
以前にもご紹介したことのある「実存の部屋」で、「美術と人間性」という優れた文章がアップされていましたので、ご紹介致します。

近況

今日は、退院後始めての受診日でした。
レントゲンの結果、「見た感じは良さそう」ということで、
今日から右足を地面につけて、歩いて良いことになりました!

しかしいざ歩こうにも、1ヶ月近く使っていないと、思うようには歩けなくてびっくりです。

筋肉も落ちていますし、やはり骨折した時の嫌な記憶が残っていて、力を入れられないものですね。
階段もまだ無理です。当分はリハビリの日々が続きそうです。
松葉杖を使いこなすまでにも苦労しましたが、今度は使わないようにするのも、骨が折れそう(苦笑)。

実際は半年後の結果次第では、人工股関節に代替えする場合もあるということなので、しばらくはよく注意して生活しなければなりません。こればかりは、自己治癒力に任せるしかないそうでうす。
自己治癒力を高めるための民間療法は、いろいろありそうですが、何かのきっかけがあれば、試してみたいとは思います。骨折に効く温泉も長野にはあるようですし・・・。

病院からの帰りも、階段を避けるためにタクシーで最寄りの駅に送ってもらい、そこからリハビリのため、松葉杖を使いながらも、ゆっくり歩いて来ました。

郵便局で、国民健康保険料を払い、いつも声を掛けて下さる郵便局員さんと立ち話しをしました。
私の日頃のそそっかしさをよくご存知なので、「やっちゃいましたか(汗)」って心配して下さいました。
ふと振り向くと、壁に大きな信州らしい山々の風景画。
100号くらいの大きさだったでしょうか。
足が悪くなかった時は、いつも急いで用事を済ませるだけでしたので、絵のことに気づいたことがなかったのです。
「天井が高かったんですね。絵も立派ですね、始めて気づきました。」
そんなことを立ち話しして、内心「今まで見えていないものが沢山あったのかも」と痛感しました。
私はあの突然の大雪の日、皮肉にもその郵便局の前の道で転倒して、骨折したのでした。

大切なこと、美しいもの、チャンスが身の回りにあったのに、いつの頃からか、目を向ける心の余裕がなくなっていたに違いありません。「無い無い無い」と一つの方向ばかり見て、先走りし過ぎていました。

「世の中は、絵画など飾るような余裕はなくなった」と、自分勝手に思い込んでいただけだったのです。
ただ見えていなかった、見ようとしていなかった私に問題があったに違いありません。

「あるところにはある」それがようやくわかり、それで充分と、笑顔で郵便局を後にしました。
近くの神社に寄って、無事の回復にお礼をしました。
この地に足をつけて制作に励みます、と誓いました。

この数日、励ましのメール、ご寄付、に大変心を強くさせてもらっています。
本当にありがとうございます!

無事退院

昨日、無事に退院することができました。
18日までは、松葉杖の生活で不便ですので、ゆっくり出来ることから始めて行きたいと思います。

今朝、次のような励ましのメールが届きました。

昨日、「損保ジャパン美術賞」展2013に行ってきました。
最後の展示室であなたの「雲のアルペシオ」が存在感を放っておりました。

背景の白い壁に、青を基調とした画面に白が躍動を持って伝わってきました。
神様が与えてくれた作品のように感じました。

会場の椅子に腰かけたりし、しばらくの時間この作品との空間に身を置いて過ごしてきました。

隣の展示室にはゴッホの「ひまわり」などの美術の教科書に載っているような絵も見ることができ、豊かなひと時を過ごすことができました。

制作に向かう事でしか、今はお礼の気持ちをあらわすことは出来ません。
画家として、再び絵筆を持てる幸福を実感しながら、制作して行きたいと思っております。
ありがとうございます!

明日退院予定

お陰様で、思ったよりも順調に回復し、
骨折した右足も元どおりに動くようになりました。

手術して下さった医師の腕と、
リハビリの先生のご指導の賜物です。
ありがとうございました。
また優しく接して下さった看護師の方々、
美味しく滋味のある食事を楽しませて頂いた栄養士さん、
その他病院関係者の皆様に厚くお礼申し上げます。

感謝の気持ちでいっぱいです。

術後20日間は、右下肢免荷と言って、
体重を掛けて歩くことが禁止されていますので、
慎重に生活するつもりです。

メールを下さった方々、
ご寄付をお寄せ頂いた方々、
影ながら応援して下さっている方々、
本当にご心配お掛けしました。
改めてお礼申し上げます。
ありがとうございました。