近況ー鶯とともに

毎朝、鶯の声で目を覚まします。
耳を澄ましていると、
細く長い音色が、
澄み渡る透明な朝の空気を磨きながら、
すべるようにして天に向かって響き渡って行きます。

鶯を昼間にも小枝の奥に見かけることがありますが、
その姿は美しい音色の大きさとくらべると、
落ち着きなく、すぐに姿を消してしまうような目立たない存在です。

鶯は、自分の身体を楽器にするのではなく、
周囲の空気を、それも無限に高く広がる空気全体を楽器にしている、
そう思わずにはいられません。

人もまた、心に響くという意味で、
あの鶯に学ぶべきことがあることでしょう。

先日、ハンブルグから来日されたテノール歌手、クヌート氏を迎えて、
日本人のお弟子さんたちも交えてのミニコンサートを聞いて来ました。

ハンブルグと言えば、ブラームスゆかりの地。

ブラームスの小歌曲の数々が披露され、
中でも「メロディーのように」という曲が心に残りました。

クヌート氏の声は、明るく爽やかで、
あたりの空気を包み込むようなソフトな音色でした。

強さとか、存在感は音量ではなく、
この包み込むような柔らかさにあるのではないか、
そんなことを感じて帰って来ました。

絵も同じですが、
本当は、描きたいことの反転した部分、それ以外の空気をどのように磨き、
「見えるもの」と「見えないもの」の狭間をどのように浸透させるか、
あるいは、どちらも主になるように描くこと、
そこが肝心だと感じることが多いものです。

生き方も同じで、「こうしたい」ということばかりにとらわれていると、
周囲と上手く同調出来なくなることでしょう。
「こうしたい」ということの反転したそれ以外のことにも、
折り合いがつくように生きたいものです。

鶯は、その短い一生を生命のために捧げ、
あの声を響き渡らせます。

「そのように描かなければ」
と鶯に教えられている毎日です。