長野県立信濃美術館へ

先日散歩もかねて、近くの長野県立信濃美術館へ行って来ました。
途中、ちょっとした坂道があります。
写真は、そこからの眺めの1枚です。
長野をぐるっと取り囲む山並。
積乱雲が、山の湿度を吸い込んで、夏の気配を感じさせています。
この町で、私は今立ち、静かな制作の日々を過ごしているのです。

美術館では、『没後 15年 池田満寿夫版画展』と東山魁夷館の『初夏の予感』を見て来ました。
池田満寿夫が30代にニューヨークで制作した、初期の銅版画やドライポイント。
自宅に持ち帰りたいような小品が幾つもありました。
初めて、池田満寿夫の偉業に触れることが出来ました。

作家が前に出過ぎると、作品の真意を評価し難いものです。
池田満寿夫は、そういう作家だったと感じました。
おそらく50年もする頃に、ようやくその業績が改めて見直されることでしょう。

人が純粋に美術作品に向き合うためには、雑多の情報が一度忘却され、
残されたほんの一握りの美しい記憶が浮上して来なければならないからです。
それが神話というものです。

信濃美術館には、東山魁夷の記念館があります。
もうここに来て3度も通って、毎回の展示替えを楽しみにしています。
まじめで几帳面なお人柄を偲び、いつも襟を正します。
日本画家というのは、神格性というのを重んじる世界だと感じます。
人間臭い部分というのを見せないようにしていますから、
だからそれを堂々と見せた片岡珠子の異業が光るのでしょう。
そして東山魁夷の人間臭さが出ている部分は、あの白い馬なのだと思います。
私はそれを見る時いつも「見てしまった」という感じが残ります。
『道』の作品のように、日本画で具象と抽象のギリギリの境界を究め尽くす画家であって欲しかった。
だからやはり、長い年月を経て、いいものだけが残されていくような自然淘汰も、
ある意味幸せなことかもしれないのです。
それが出来ない不幸もあるということです。

以上は、生きている間に作家が有名になると、この自然淘汰ができなくなるという二つの例です。

私は、学生時代にフランスのコルマールへ一人旅して、
ドイツルネッサンスの画家グリューネヴァルトの祭壇画を見に行ったことがあります。
もともとはイーゼンハイム修道院のために描かれたもので、その修道院へも足を伸ばしました。
グリューネヴァルトの作品は、その祭壇画とわずかながらのデッサンしか発見されていません。
しかしそのスケールには、思わず跪かざるを得ない、そういうそびえるような存在感があります。
そしてそれで充分とも言えるのです。

これは「もっと残されていたら、と思わせるくらいが丁度良い」という一つの例です。

画家として活きながらも、有名になりすぎず、黙々と制作に励める状態がベストです。
今まさに私はそういう状態。
心から感謝して制作しています。

これも皆様のご支援の賜物です。
また本日、ご寄付が振り込まれました。
心から感謝申し上げます。ありがとうございました。

複製芸術と資本主義ー国立国際美術館コレクション展

前回、国立国際美術館で開催中の草間弥生展とコレクション展について書き込みましたが、書き残しがあったせいか、制作中に文章が頭の中を駆け巡ってしまい、邪魔で仕方ありません。今日は日曜日でもあるので、しばしキーを打ち込むことにしました。遠慮なく、自分の立場など考えずに、自由に書いてみようと思います。ですから、多少未熟でもご容赦願います。

国立国際美術館のコレクション展は、女性の作品を集めたから重要な展覧会なのだ、という評価もあるかと思いますが、それをさらに深めて、それらの表現の何が美術表現として重要なのかを書き残しておきたいと思います。

コレクション展の作品リストの表紙には、下記のような文章が掲載されています。

「今回のコレクション展は、女性作家による作品を中心に展示します。西洋美術史上、女性の身体はそのほとんどが男性芸術家によって客体化されましたが、時に女性芸術家はこれに抗い、また時にそれにならって創造しました。やがて、パラダイムシフトが進む現代社会において、既成の価値観にとらわれることなく多様な表現を行う女性作家が数多く登場しました。当館では6,500余点の作品を所蔵していますが、その中から女性作家によって制作された作品群に注目し、彼女達がいかなるアティテュード(=態度)により困難な生を越え、より広範な可能性を提示しているかを展覧します。」

「既成の価値観にとらわれることなく多様な表現を行う女性作家」そして「困難な生を越え、より広範な可能性を提示している」この部分は、作品のどこに表わされているでしょうか?

それぞれ個々に表現は違うのですが、私は一つの見方を提示したいと思います。
それは「複製芸術」あるいは「複製技法」という切り口です。

ブリジット・ライリー

例えば、イギリスのオプ・アートの作家ブリジット・ライリーの「カラード・グレー」(1931-)シルクスクリーン版画。この作品は、彼女特有のストライプがゆるやかに蛇行し、彼女らしい作品であるとともに、近くで見ると、そのストライプに2色の色味を感じるのに、少し離れ始めると、その2色が目の中で混合されて、グレーのストライプとして立ち現われる、色の錯視・錯覚(=オプティカル)の作用を利用した作品なのです。

彼女は、このようなストライプ作品をさまざまなバリエーションで制作していますが、キャンバス作品にしても、シルクスクリーン版画にしても、徹底して自分のハンドメイドでは敢えて制作せずに、カラー指定と下絵を職人やアシスタントに渡して、制作させました。これは彼女が出来ないからとか、やりたくないというような単純な話しではなく、美術の一つの革新的な手法として、彼女は挑んだことなのです。「選ばれた一人の天才のみが芸術を創造する」という価値観や世界観から脱皮して、「誰もが芸術の制作に関われる」そういう世界、仕組みをつくろうとしたからです。しかしそれは、当時のイギリスのファインアート界には全く理解されませんでした。むしろデザインの世界に一大センセーショナルを巻き起こし、衝撃を与えたとも言えますが、美術界の軋轢と批判と無理解に、彼女は勇気をもって立ち向かい、生涯その姿勢を崩すことなく貫き通しました。日本ではまだまだ、紹介が遅れている作家であり、オプ・アート自体が広く伝わっていないと感じてなりません。

カンディーダ・ヘーファー

この展示室には、また複製芸術として写真作品も数多く展示されていました。はじめて知った作家ですが、カンディーダ・ヘーファーのロダン彫刻作品のシリーズは、本当に目からウロコです。世界のあちこちの美術館にロダンの有名な「カレーの市民」という作品が、設置されているのですが、その展示風景を見せる作品です。

彫刻というのは、作家は粘土で原型を制作しますが、ブロンズ製造する時に、必ず鋳型をつくりますから、いくつか複製を作れるものなのです。また。静岡県立美術館のように原型からではなく、作家没後にパブリックの公共機関が認可して鋳造作品からさらに鋳型をつくって複製した作品も存在するのです。

コペンハーゲンのカールスバーグ彫刻美術館、パリのロダン美術館、上野の国立西洋美術館、ソウルのロダンギャラリーこれらの美術館で展示されている「カレーの市民」。その展示空間に佇んでしまうと、客観的にその事実を知る事はできませんが、このように写真で比較する事で、私たちが単純に美術作品を美術館で見ている行為には、このそれぞれに固有な空間が作品に大きな影響を与えていることに気づかず見過ごしている、そういうことをまじまじと考えさせられます。

またそれとは別に、一方で複製芸術作品の存在力が世界を駆け巡り征服して行くようなロダン芸術の力強さもひしひしと感じさせられます。彫刻の複製可能性については、まだ多くの人が実感として感知出来ない部分かもしれませんが、このように同じ「カレーの市民」が複数存在することをロダンを通してというよりも、彼女の写真によって初めて認知することができる点が重要なのです。また彼女の視線あるいは写真技術が、グローバルに世界を駆け巡る事を可能にする柔軟な制作手法であること、それが女性の活動をいかに自由にし、支えているか、ということまで伝えています。

草間弥生

さて、草間弥生の作品は、この複製という問題にどう取り組んでいるでしょう。彼女の作品には常に「増殖」というテーマが仕組まれています。それは女性特有の生命の維持とか継続、生殖本能のようなものが、ある時は不気味に執拗に制作のエネルギーの源泉として存在するからに違いありません。その増殖の手法として、例えば初期には油画のネットのシリーズや、また近年の鏡をつかった万華鏡の部屋によるインスタレーションが思いつくかもしれません。

しかし実は、人があまり取りあげていない秘密?(少なくとも私はそうなのかと思っていたのです。もしかしたら暗黙の了解なのかもしれません)の部分があります。それは、キャンバスにシルクスクリーン版画で原画を複製する手法です。これまでに国際的なアートフェアで何度か彼女のキャンバス作品が販売されている風景を見て来ましたが、これらはどれも、手法についてはあまり触れられていなくて、単にアクリル、キャンバス作品とキャプションに明示されているだけでした。これを「版画です」とは言わないことになっているのです。なぜなら、現在ではキャンバス作品の中にも、このシルクスクリーンの技法をうまく忍ばせて、油画作品あるいはアクリル作品として発表している作家が数多くいるからです。つまり、版画技法が、絵画技法のひとつの手法になって来ていることを、この草間弥生の作品からも読み取れるのです。

版画という手法は、ある意味「プロトタイプ」というイメージを払拭する事がなかなか難しいものです。しかしモノタイプなどの複雑になる仕組みを取り入れて、それを実現している成功例もあるわけで、おそらくここの吟味が今回の特別展の草間作品に、まだ可能性として残されているのだと思います。本人がそれを解決しようとはしないかもしれませんが、後に続く者がそこを足がかりに制作出来るということです(ここは、わかる人にしかわからない内容です)。

資本主義社会における複製手法の意味

シルクスクリーン可能な支持体は、紙だけではないのです。さまざまな工業製品・材質がかつてこの手法で、カラーリングされ、印刷されたのです。そしてキャンバスにも印刷が可能というわけなのです。また現在では、インクジェットプリントの台頭で、シルクスクリーンの技術者が減り、技法そのもが希少価値として芸術への格上げが始まっているとも言えます。また、版画技法そして職人を取り込む事それ自体が、技法と見なされる世界が現実にあるということも、多くの人に知ってもらいたいと思います。それは日本の社会では、まだタブー視されているかもしれませんが、もうそろそろ、それをあたりまえのこととして、認識してもいいように思うのです。

それは写真芸術が資料としてではなく、芸術作品として美術館の収蔵になって来ていることからも理解出来る事だからです(まだ材質の強固さとか保管の永久生について、疑問の残る問題があるにしてもです)。

このシルクスクリーンの手法の利点は、原作をコピー機で縮小拡大すれば、小さな原作から自由に縮小拡大した制作が可能である事。また、明確でフラットな表現が得意であるということです。広い面積を平坦に均一に絵具で塗る事は、とても時間がかかり技術を必要としますが、熟練のシルクスクリーンの職人にとっては、それはスキージーという道具の機械的な操作が可能とする、得意表現のひとつなのです。

さて、このシルクスクリーンという武器は、油画だけでなく日本画というジャンルも、積極的に取り込まれて来ています。ご存知でしたか?例えば、桜の花が無数に咲き乱れ散り行く表現、あるいは複雑に草が生い茂る風景に、このシルクスクリーンの技法が活用されていたりします。そう言うと、日本画の大家の幾人かの名前に気づく方もいることでしょう。

もともと日本画というのは建築の中の障壁画や屏風という装飾から独立したもので、その源に大型制作のノウハウが蓄積されながら発展して来ました。従って、ファインアートということよりも職人的な技術の世界を根強く維持していて、それを今日では、芸術の資本主義への挑戦、あるいはむしろ挑発的な表現にまで高めようとしているかもしれないのです。例えば村上隆という人にしても、そもそも日本画を学んだ人である事を挙げれば、その意味するところがお分かりになるでしょう。日本画はよい意味での伝統的な装飾としてのアプローチを、現在の芸術と資本主義の葛藤に、一つのテーゼとして着々と突き進んでいるかもしれないのです。

そして、この「芸術と資本主義」というテーマの一つの答えとして、この複製芸術・技法による表現があると言えるでしょう。

この時代において、作家は世界市場に向けた作品の量産、制作のスピード、グローバルな活動、あるいは大きな空間に対応する作品のスケールが求められています。これをどうしても克服しなければ、多くのチャンスを逃すことになり、また現実社会に即したアピールができなくなっています。

その解決策が、複製可能な手法であり、彫刻の複製はもとより、版画、写真、映像、あるいは空気でふくらますバルーンという材質が使われることになるわけです。

しかし芸術性と資本主義という二つの相矛盾した対決、ここから新しい作品が生まれている事は確かですが、その葛藤は、それ程生易しく超克することは出来ていないというのが現実です。

例えば、アンディ・ウォーホールの「キャンベルスープ」のシルクスクリーン作品にしても。それはかなり成功している制作かもしれないけれど、理屈で納得しながら、どこか空しさとか違和感が残るのです。それはおそらく、それを認識する側が、まだ真の意味での新しい価値観に刷新していないせいかもしれない。あるいはまた逆に、その価値観をまったくに変化させるものに、まだ社会全体が出会っていないとも言えるのです。

芸術性への志向と資本主義での成功とは、なぜか相容れない、パラドックスが存在するのです。ニーチェは「神は死んだ」と言ったけれど、私はこの問題を考える度に、「少なくとも芸術の神が死んでいない」ことを直感します。人々はやはり芸術における資本主義的な成功者よりも、神の与えた才能がこの資本主義の社会にあっても汚される事無く、奇跡的に存在する事を期待しているからです。つまり資本主義はあくまでも、一時的な乗り物にすぎず、いつ新しい乗り物に乗り換えるかもしれない、という冷静さもあるからなのでしょう。

もっと簡単に言えば、「芸術と資本主義をジンテーゼする先に新しい芸術が生まれる」のかもしれないし、実はそのことに惑わされると、「芸術」ということが見えなくなる仕組みがあって、その先ではなく、別のところから現代の重要な芸術が遺される可能性だってあるということです(これじゃ、何も言っていないのと同じだし、あまり簡単になっていないけれど...苦笑)。

しかし一方で人々の意識は、まだが芸術と資本主義との矛盾を解決しようとする作品に、感動し開眼するところまで到達していない、とも言えるのかもしれません。だからこそ、芸術とは何かを問いながら、飽くなき挑戦が繰り広げられます。もし、複製によってオリジナルあるいはたった一つしか存在しない芸術の唯一性という問題を超克する作品が現われたなら、その時はじめて、大衆にアートが受け入れられ、芸術を基盤とした新しい社会がはじまるかもしれない、そういう願いで作家は制作するのです。芸術作品にはそのくらいの大きな革新を起こす力が宿るのです。あるいはそういう社会の動向が必ず宿るものなのです。

それはちょうど、レオナルド・ダ・ビンチが、空気遠近法などの科学的な目で絵画を制作し、それが人類の科学主義の世界へ移行した象徴になっている、と見ることができるように。

あるいは、これにはパラドックスがあって、そこの道にはその答えはなく、むしろ少しはずれたところに、その答がみつかってしまうという場合もあるかもしれませんが....。

しかし日本の現代に生きる多くの一般人の目から、これらの芸術の複製あるいは芸術の資本主義への挑戦は、どのように感じ取られるでしょう?おそらく多くの人が、その制作姿勢をあまりまだ本当に理解出来ていない、あるいは評価出来ないとまで感じる人が多くいるのが現実でしょう。日本人の価値観には、「ほんもの」志向とか「手技」を愛でる価値観が根強くあり、それは善くも悪くも、日本の文化を支えたり、あるいはそれが一つの既成概念として壁となり、革新的な制作を阻むのです。

女性性と複製ということ

しかし、このコレクションに見られる女性達の制作は、そういう社会の軋轢に勇気をもって複製で挑んでいる、そのことが重要です。つまり、これらの女性達の作品には、女性だからというジェンダー的な社会の圧力があるという解釈とは別に、実は一方で女性ならではの、柔軟でしたたかな資本主義そのものに立ち向かえる勇気と力強さが、その複製芸術にそのまま宿っているということです。

これは男たちが例えば大衆の娯楽性、笑いに食い込むようにして漫画という複製文化を武器にしながらも、オタク性の中に閉じこもっている方向性があるのとは対照的です。女性たちは、自分の身の丈を計りながらも、女性の存在というテーマそのものが複製と関連していることを訴える制作で外に向かう力強さを持っていると言えるかもしれません。つまり、「人類は複製によって生命を伝えているのである」というテーマが底に流れているのです。あるいは、女性の受難の歴史がある意味強さとなって、複製芸術の受難の歴史に重ねることができる、ともいえるのかもしれません。オタクの受難は、今のところ社会的な深刻な問題にまではなっていない、ということでもありましょうか。

プラトンが「芸術はイデアの模倣にすぎない」とした意味を、男性性の歴史は、それを卑しみ解釈した。それを「芸術は人類の生命のように力強く模倣・複製され、永遠に増殖し続く」と解釈するのが、女性性の芸術解釈であり、草間弥生展の「永遠の永遠の永遠」に込められた思いではないか。私などは自由にそう解釈して美術展を楽しむことができるのです。

おわりに

でも、芸術における男性性と女性性を対比することはあまり意味のないことですね。現実はもっと複雑で相対的なものではないからです。

久しぶりに長く書きました。そして書きながら自分を振り返り、私自身はどうかと問えば、答はひとつしかありません。

そのような動向にあっても、「自分を見失うことなく、自分らしくあろう」と制作に向かうのです。

このような動向は、実は作家それぞれがはっきり意識しているわけではなく、もっとあいまいで、無意識的に動いている事だからです。つまり作品は、意識する、しないに関わらず、必ず時代の空気を背負うものです。

私は、女性であることとは関係なく、人間としてニュートラルに生き、私自身の中にある自然の声に耳を傾けながら、自分本来の制作の方向を手探りで、一歩一歩進めていくしかありません。このような文章を書いてしまうのは、またその自然の声のなせる技と言えましょうが、私の至らなさを露呈する事でもあるかも知れませんからね(苦笑)。

追伸:
最後になりましたが、今日は昨年の3月11日大震災からちょうど1年経ちます。
被災されて亡くなった方々のご冥福を心からお祈り申し上げます。
とともに、生き残った者として生命の尊さを改めて自覚し、自分の生を全うする、画家として生きるということを、今まで以上に真剣に、心新たに取り組んで行くいく所存です。

サマセット・モーム『人間の絆』・アラベスク模様・草間弥生展

昨年を表わす漢字は『絆』でした。ラジオで未だに、この言葉を耳にする時、私が思い起こすのはフランス生まれのイギリス育ち、そしてロシア革命時には、イギリス情報局秘密情報部で情報工作員でもあったとされるサマセット・モームの『人間の絆』という小説です。10年程前に英語本の多読にハマっていた頃に、この人の小説やエッセーに夢中になりました。私が小説を読むというのは、滅多にないことなので、余程ツボに入ったということになります。

この『人間の絆』は、モームの自伝的な小説で、自らの不幸な生い立ちが題材となっているのですが、主人公フィリップを通して、彼独自の実存的な人生観が描かれ、深く心に染み入る作品です。巻末の翻訳者の中野好夫氏の解説に「柳は緑、花は紅と、われわれはここで付け加えたいところであろうか。それとも幸福の否定において、寂滅(ニルヴァーナ)の幸福に達したといえようか。...」という文章から仏教的な人生観を読み取り、いわゆる大衆小説を超えた深い死生観に、ため息をついたものでした。

しかしモームの小説自体には、仏教的な用語は使われてはいなくて、その代わりに「ペルシャ絨毯の模様」という言葉になっています。原文には確か、patern of arabesqueと書かれていたと記憶しています。その意味するところは、人間の人生模様というようなものは、意図してその個人が創造するというようなそのような狭い規模の問題ではなく、生きとし生きるものが、複雑にアラベスクの模様のように絡み合い、どこをどう切り離そうと、自分が意図してそのようになった部分など見極められるものではない、むしろさまざまな関係性の中で、それがそのように生きる以外なかったのだ、というような諦めの境地を、このアラベスク文様に託して語られているのです。

モームの中では、おそらくペルシャのアラベスク文様は、無意味、無個性、パターン化の象徴なのでしょう。人は創造的に自分らしい生き方をしようと苦悩する、しかしそうしようとすればする程、自分の無力さと、愚かさを思い知るばかりです。そして、なぜそのように生きなければならないのか、と自問しても、それはただそういう運命であったとしか言えないことばかりです。

「人生に意味などは、なにもないのだ。宇宙を突進している一恒星の、そのまた一衛星にすぎないこの地球上に、この遊星の歴史の一部である、或る種諸条件が揃った時、それによって、生物はただ偶然に生まれたのであり、したがって、他の或る種条件が揃えば、それは永久に消えてしまうだろう。人間とても、他のもろもろの生物と同様、無意味な存在にすぎないことは、すこしも変わりなく、創造の頂点として生れたものなどでは決してない。ただ環境への物理的反応として現われたものにすぎぬ。」(モーム『人間の絆』)

しかし、この諦めが決して深刻な二ヒリズでは終わらないのです。そこが、所謂ニーチェ的なニヒリズムと仏教的な虚無感の匂いを嗅ぎ分けられる、モーム小説の大衆小説に徹した力強さ、真骨頂と言えましょう。

「もし生が無意味だというならば、世界はその残忍性を剥奪されたも同様だった。彼がしたこと、し残したこと、いずれもみんな無意味なのだ。失敗も無ければ、成功も無。彼自身は、この地球の表面に、ほんの束の間存在し消える夥しい人間群の中の、最も小さい生き物にしかすぎないのだ。しかも混沌から、その虚無の秘密を探りとった彼は、その故にまた全能者でもあるのだ。彼は躍り上がって歌い出したくなった。....ひっきょう人生は、一つの模様意匠にすぎないと、そう考えてよいのだ。特にあることをしなければならないという意味もなければ、必要もない。ただすべては、彼自身の喜びのためにすることなのだ。行動といい、感情といい、人生の錯雑した、さまざまの事実の中から、人は精巧、整斉、複雑、華麗、それぞれの好みの意匠を織りなしてゆけばよいのだ。」(モーム『人間の絆』)

このような諦めからの逆転的な発想が、この小説の『人間の絆』という題名の「絆」に込められています。昨今の日本で使われている「絆」とは、かなり異なる内容なのです。「絆」という言葉に某かの違和感を感じている方は、是非この文字の理解のためにも、お勧めの1冊です。

さて、私はちょうど10年前の2002年に『BIO-ARABESQUE』(227.5x145cm)という作品を制作しました。偶像崇拝をしないイスラーム文化の美術表現と抽象表現とはどこか地下の経路で繋がるものを感じていたこともあり、ペルシャンブルーを基調とした絵具層をスクラッチし、模様と絵画の境界を探るようにして制作したのでした。この作品はその後、2002年に女子美アートミュージアムの企画グループ展『絵になる瞬間』展に出品し、そのまま女子美術大学の所蔵になったのでした。

抽象と模様とは、絵画の上で際どい問題を露呈させます。私はよく「模様のような絵ですね」と、よい意味で親しみをこめて感想を寄せて下さる人が多く、その言葉に戸惑いながらも、しかし冷静にそれについて考え続けて来ました。常に模様と風景と抽象の狭間で葛藤し、答をハッキリさせずに立ち止まり、ある時は思い切って失敗をしてみます。その立ち止まりと失敗こそに、新しい世界が見えて来る瞬間があるからです。「模様」と言われるときの、何らかの後ろめたさとは一体何なのか、人々が風景を見て喜び、安心しようとする。その心のよりどころを分ちようとする反面で、冷たく引き離し芸術に立ち向かう姿勢は、厳しく、孤独で、身が引き離されそうになることもあるのです。しかし勇気を持って前を向き、再び姿勢を正すのです。

画家として生きて行くことは、時に辛苦を味わい、矛盾に苦悩し、人生に迷い翻弄されます。ここ数年、とりわけ震災後、私は「もう画家であることを止めよう」と何度思ったことでしょう。しかしその問いは常に、いわゆる人としての「正しさ」の判断が、いかに愚かで手ぬるいものかを味わされるだけでした。人のためにとか、正しさを見せる、というようなことなど、所詮私の力の及ぶ事ではなかったのです。私は、筆を持ちカッターナイフで絵具を削るという方法でしか、満足に自分を活かす方法がないのだと、やっと気づくことができました。

昨日は、往復高速バスで大阪の国立国際美術館の『草間弥生 永遠の永遠の永遠』を見て来ました。私としてはむしろ同時開催のコレクション展に、心励まされ帰って来たと言えるかもしれません。コレクション展は、国立国際美術館が所蔵している女性作家の作品を中心に構成されていました。海外では、キキ、ブリジット・ライリーやウングワレー、国内では辰野登恵子、松本陽子、町田久美、内藤礼、高柳恵里、風間サチコ等。このようにまとめて良質な小品を見たのは初めてだったかもしれません。本当に楽しむ事が出来ました。でも、草間弥生のもっとずっと初期の作品を見たかったのですが、それがニューヨーク時代のネット作品止まりだったのは、かなり残念でした。草間弥生の長野時代の作品には、胸にぐっと来るものがあるのです。それが何なのか、ずっと知りたいと思っています。松本に行けば何かわかるのでしょうか?

女性がその一生を芸術に捧げることができるようになるのには、太古の昔から連綿と続く沢山の女性の少しずつの勇気と努力の積み重ねの果てにあるのです。けっして一人の女性作家の力のみでは、成し得なかったことです。それらの大いなる力に深く感謝し、その感謝を作品に還元して行かなければならないと決意したのでした。

ここでお知らせです。

4月7日(土)~6月3日(日)
横須賀美術館所蔵品展「横須賀・三浦半島の作家たち」にて下記作品が展示予定です。
『sea and stone 硯海』2006年作 227x91cm4枚組

kaneko2006展示風景
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近代について

先日東京駅の丸善でチャールズ・テイラーの著作『自我の源泉 近代アイデンティティの形成』『〈ほんもの〉という倫理 近代とその不安』『近代 想像された社会の系譜』『今日の宗教の諸相』を購入しました。丸善には、読書テーブルのコーナーがあって、重たい本を立ち読みしなくてもよいようなサービスがあるのですが、残念ながらその日も、満席でした。いつもなんですけどね。それもほとんどの人が、休憩か居眠りをしているようにしか見えない。いや、もしかしたら「全部買いなさい」ということかもしれないと、その時勝手に判断し、全部買うことにしたのでした。本当はセレクトして買おうと思ったのですが(言い訳)。

本は1冊ではそれ程重いと思ったことはないのですが、数冊になると最近は無理せずに宅急便を使うようにしています。丸善のレジで配送サービスがあるかどうか尋ねてみましたら、何と「1万円以上のお買い上げは送料無料」だそうです。聞いてみるものですね。早速無料で配送をお願いしました。いつからそうなったのでしょうか?これまで随分重い思いをして来ましたが、あれは何だったのでしょうか(苦笑)?ま、深く考えるのはよしましょう。このようなお得な情報は、最近はそれを必要とする人にしか伝わらないようになっています。プロバイダー契約も、ネットからするとプリンターが貰えたり、契約金が安くなったりする時代ですからね。

話が少し脇道にそれましたが、チャールズ・テイラーの本を、それ以来、同時並行して読んでいます。この著作者のことはこれまで全然知らなかったのですが、とても読みやすい文体なのでお勧めです。これまで「近代美術」と言う時と「現代美術」という用語を使う時のニュアンスの違いについて、ずっと違和感とか、疑問を抱いて来たので、このテーラーの本から「近代」とはどういう概念かが少しずつ明確になって行き、こんがらがった糸の綾が解され、少し柔らかくなっていくような感覚があります。

まだどれも途中までしか読んでいないのですが。やはり「私たちはまだ近代という概念の中に生きている」ということを、当たり前のことですが、再確認することができました。近代と現代とを一本の線上の延長として横並びに結びつけている人が結構居て、そういう認識にずっと疑問を持ち続けていました。つまり「近代美術って、現代美術以前のアートでしょ?」というような意識です。確かに、最近世界的にあちこち「現代美術館」という名称の建物が立つようになったので、いかにもそれが新しい美術の発信源という感じがしてしまいます。確かにそれは全くの間違いではないのですが、やはり認識としては不十分なような気がします。

私たちは、近代に生きているという場合のこの「近代」は、歴史的な位置づけをした上での認識なのですが、「現代」とはこの歴史的な土台から遊離されている感覚があります。例えば現代美術でいえば、とにかく最先端技術を使ってみたとか、これまでの脈絡に関係なく、突発的に趣向の変わったものが出て来た、という内容になるのです。それがいいかどうかとか、評価に値するかどうか、という考察は全く意味をなしません。なぜなら、歴史に切り離されていること自体が重要だからです。もし歴史に裏打ちされていれば、それは「近代」のカテゴリーに含まれることになるわけです。評価は必ず時代という考察なしにはあり得ないわけで、そういう意味で「現代美術」はそもそも評価をすることのできないものなのです。

そしてその「現代美術」も10年も経てばもはや「現代」とは言えなくなってしまいます。そこで多くは消え去るものです。ただリアルタイムで「近代」的な位置付けがすぐにはわからない形で、暗に仕込まれていた場合、突如としてそれに気付いた人によって「近代」の脈絡で評価され、それが歴史的に重要な遺物として残されて行く。そういうものなのではないでしょうか。

今のところチャールズ・テイラーの著作に、そういうようなことは全然書かれていないのですが、読みながら、「そういうこと書いてないかしら?」と探しながら読んでいる自分があります。

さて、丸善に行った日は、その足で東京国立近代美術館の「ポロック展」を見に行きました。あまりに有名ですし、数年前にニューヨークのグッゲンハイム美術館でペーパーワーク展を見て、良い作品を堪能できましたから、今更見に行くかどうかということも感じなくもなかったのですが、そういう時に限って後から後悔するものですからね。やはり見に行くことにしました。結果、やはり見て良かったと思います。初期の珍しい作品がたくさんありました。ポロックらしい作品しか知らない人は、きっと目に鱗でしょう。久しぶりに展覧会カタログも購入して、内容がとても充実していて満足でした。特に「具体美術協会とジャクソン・ポロック」については、わくわくしながら読めました。

ところで、その日は予定していたバスに乗り遅れ、相模原の東横インに1泊してしまいました!そうそう、最近引越しをしたのです。でも結局これまでの生活とそれ程違いもないので、まだほとんどの人にそのことはお知らせしていません。引越しをした理由もいろいろな理由を言い当てることも出来ますが、一番の理由は、「どこに住んでも同じだから」です。たまたま住んで見たくなるような物件との出会いがあり、これまでの相模原の生活に終止符を打つことになりました。

「地震の影響ですか?」と聞く人もいるのですが、日本中というか世界中のあちこちで頻繁に地震があり、世界のどこに行っても、安全な土地などどこにもありません。画家にとっては、どこでもサバイバルな人生です(笑)。たとえ筆が無くても、キャンバスが無くても、画家は絵を描き続き続けます。絵とは何か?
……人生そのものが絵であり、夢であり、希望なのです。
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オキーフの白い花の絵

空と鳥 絵と画家

鳥の囀りに耳を傾けると
此処に居ながら彼方の空を感じる

鳥は空ではないけれど
飛べない私に至高を教える

一枚の絵の前に足を止め
そこに佇み、画家の息吹きに触れる

絵は画家そのものではないけれど
画家の愛した美が私の中で目覚める

今朝なんとなくこんな詩が浮かびました。

先日、ジョージア・オキーフの作品を偶然見ることが出来たので、そのせいかもしれません。
遠く小さく見える山並みの空に、大きく開いた一輪の白い花。
薄塗りのフラットな画肌。
シンプルでスキのない心地良い緊張感。
ただただ無心にうっとり見惚れました。

ふと気づくと、すぐ近くのソファに座っている女性も、
同じようにうっとりしているではありませんか。。。
何だかとても嬉しかったのでした。

大きな特別展に疲れるよりも、たった1枚の小さな作品をゆっくり堪能する贅沢。
この作品は、東京国立近代美術館の常設展示室で只今展示中です。

アンリ・ミショー展 ひとのかたち

美術は矛盾に満ちていて、そもそも曖昧なものです。その矛盾のひとつ、美術が「無から目に見えるものを生み出す」という行為なのに、「目に見える以上のもの」を、つくり手も見る者も期待するということです。「画面の奥にある何か」、画面の奥にはキャンバスが、そのまた奥には壁があるわけですが、そういうことを言うわけではありません。それをたとえば、見えるものの背後にある、目に見えないけれど感じられる「精神」と言ったらいいのでしょうか。そういうことを哲学的に「形而上学的な表現」とされることがあります。

例えば、ジョルジョ・モランディという人は瓶を机上に並べた静物絵画をたくさん制作しましたが、瓶がすばらしいからとか、瓶という物質を記念に残そうという意志で描いたのではなく、その配列や溶け合うような表現で彼自身の世界観を表明しました。その表現に彼自身が見ていた世界をそのまま私も覗くことができ、そこから彼の感性や精神を感受することができるのです。

これと似たような事象に「言葉にならない表現」があります。美術が文学と裾をわかつ重要な役割として強調されるものです。詩をつくり、それでも十分に表現することができない何か...、それを描いたのが例えばアンリ・ミショーと言えるでしょう。その展覧会『アンリ・ミショー展 ひとのかたち』を初日6月19日に東京国立近代美術館へ見に行きました。
ミショー

1940~50年代のフランスの抽象絵画の空気には、きっと「アンフォルメル」という形にならないものを求めたり、「未開」とか「子供」というような「アール・ブリュット」というような生の芸術を尊ぶ意識が一部の作家たちの制作の原動力になっていたようです。アンリ・ミショーの作品にもそのような時代の息吹が感じられます。そして、書や漢字の成り立ちを彷彿させる造形に、東洋志向が加味されています。とりわけ画風は「わび」「さび」「簡素」というような日本の特徴的な美意識を賛同しているように思えてなりません。

展覧会会場には、作品展示のところどころに、彼の残した言葉が掲示されていて、アンリ・ミショーの作品を味わうための手助けになっています。
この言葉のどれにも惚れ込んで、手帳にメモしました。その内の一部だけご紹介します。

「海
わたしの知っているもの、それは涯てしない海だ。21歳、わたしは街の生活
から逃げ出した。雇われて、水夫になった。船の上には仕事があった。わたしは
驚いた。それまでわたしは考えていたのだった、船の上では海を見るのだ、いつ
までも海を見るのだ、と。船は艤装を解いていた。海の男たちの失業が始まって
いた。
わたしは背を向けて出発した。一言も言わなかった。わたしは海をわたしの中
に持っていた。わたしの回りに永遠にひろがる海を。
どんな海かって?それなんだが、何か邪魔するものがあって、言おうとしても
どうもはっきり言えないんだ。」
(アンリ・ミショー『試練・悪魔祓い』1945年より)

唐木順三の『日本人の心の歴史』(筑摩書房)という著作で、これと同じ内容をかつて読んだことがあります。万葉集には「眼」で「見る」眼差しで歌われているのに対し、古今和歌集には「心」で「思ふ」ことが歌われているというのです。これは現代にも言えることで、たとえば目の前に美しいものがあるにもかかわらず、それに気づくどころか、見る気も力も失っているので、歌ったり、描くこともできずに、雑念に惑わされ、余計なことばかり思ったり考えて過ごしている人々の姿を思い起こします。ミショーも海の前で、その現代人の病から解放され、無心に見つめる「眼」を取り戻したのでしょう。唐木順三は日本人のことを書いたわけですが、それはどうもどの民族も共通のことなのか、あるいはミショーがまれなる日本人的性質を持った人だったということでしょうか。

「何か邪魔するものがあって、言おうとしてもどうもはっきり言えない」その「邪魔なもの」とは、本能や野生を支配し押さえつける「理性」あるいは「観念」を示すのでしょう。それをはらいのけて描こうとしたことが作品からも伺うことができます。太古の文字のような、言葉や文字以前の象形が伝えるエネルギーのようなものを感じることができるのです。

「特別な意図を持たずに描いてごらん
機械的に描きなぐってごらん
紙の上にはほとんどいつも
いくつかの顔が現われる」
(アンリ・ミショー「絵画現象について考えながら」『パサージュ』増補新版 1963年より)

このような仕事には、造形としての物質上の工夫ということは必要なく、より簡素な素材「紙」や「墨」が選ばれたのだと思います。私はそういう世界に憧れる反面、私の作品にはもっと貪欲な造形志向があることを、あらためて自覚したのでした。しかしながら、その制作の根本的な仕組みは全く同じです。「特別な意図を持たずに描き」、作品だけを見つめながら制作していくわけで、最終的な作品名を与えるあたりで、考えたり思ったりしています。

展覧会は、収蔵品展示室の一部に特設された会場でした。あいさつ文には「知る人ぞ知る作家」と書かれていました。一昨年ドイツのアートフェア、ケルン・アートで20点程扱っているギャラリーのブースをみつけました。今回の展覧会で出品されていた作品より大きなサイズでした。初期の作品や、大作をまとめた展覧会を見てみたいものです。

ちなみに展覧会図録は、デザインがとてもよく、買って来て毎晩めくっています。平凡社から出版されていて、日本の展覧会図録が一般の書店で扱われるというのはとてもめずらしいことです。(ドイツではそれが普通です。)

李禹煥ーその画布上の溜

横浜美術館入り口前に展示されている李禹煥作品

本日横浜美術館『李禹煥 余白の芸術展』を見に行きました。展示室の床はいつもと様相を変えて、絨毯を取り外し、コンクリートの打ちっぱなしの床をむき出しにさせています。現代美術の床置き作品が絨毯上に展示されていることはまずありません。でも横浜美術館の絨毯の下は、なかなか見応えあって、迫力がありました。無造作な仕事の美しさは、こういうところにあるのだと、李禹煥氏がほくそ笑む顔が浮かびます。でも展示用の壁まで細かく見て行くと、難儀されている点をうかがうこともできます。

私は展覧会名の『余白』という言葉から、勝手に李禹煥氏の平面作品の全貌を紹介するような大きな展覧会を期待していました。展示されている平面作品が、かなり絞られたものだったのが残念でした。

それでも限られた平面作品(ほとんどインスタレーションに近いものでしたが)から得る、李氏の筆使いなどを堪能して参りました。

私はこれまで李禹煥の作品のこの筆のタッチが、とても気になっていました。そしてこのタッチがそうでなくなると、李禹煥の作品とは言えないという一つの特徴に注目しています。

氏の線にしても点にしても書を彷彿させている、と私は見るのです。必ず最初に線の始めに溜(ため)があって、ひと呼吸してから線がひかれ、スーッと流れていきます。それを見ると、画布に『書』の文字ではなく、『書』の美学を持って来ようとしたのではないかと感じるのです。

『書』の美学というと漠然としていますが、文字の意味とか形の象徴性も除いて、その骨格の美しさを画布に置いてみよう、ということをしたのではないか、と私は解釈しています。

その骨格にいつも寄り添っているのが、紙の美しさと墨のにじみの代替えのような、密かに地塗りされているように見える画布の地と、絵具に常に混入される白い絵具です。

キャンバスが並ぶと、照明の影響もあるかもしれませんが、地の白さはまちまちでした。また市販されているままのキャンバスのままではなく、でも布目はほどよく、つぶされていません。でも刷毛目を確認することはできませんでした。

混入されている白色の絵具は例えばグレーの線のシリーズにしても、混ぜ加減が綿密に調整されていて、あいまいな混ぜ具合になっています。ですから、例えば縦に引かれた線の左側がやや白く次第にグラデーションをつけて右に、次第にグレーの濃さが増すというようになっています。そして、その引かれた線の縦に残る刷毛筋、それが均一に並ぶ様子を観察すると、グレーの絵具はなぜかざらついた粒子のように見えました。石の粉末でも混ぜているのでしょうか?そのグレーが重厚で気品すら感じさせる質感を持っています。線のはじまる溜のブレによる絵具の混濁としたふくよかな立体感から、しだいにそれが引き延ばされてかすれていく様が丁寧につくられていました。

そういえば、韓国のハングル文字も墨で書かれるために、点画がはっきりした字体で書かれます。線のはじまりに、やはり溜がつくられます。中国の画家の筆によるドローイングにもこの溜をみつけることがあります。筆と墨と紙を持つ文化に固有の造形物と言えるかもしれません。

氏のつくる点は、その筆(あるいは描材?)の動きを記憶していて、まるでスローモーションのようにそれを開示させています。そしてそれが、紙に墨がにじむ時に私たちが感じる「物質の性質に由来する動勢」、それが見せる美しさと同質のものだということに気づくのです。紙に墨が滲むことが美しいのではなく、その紙の上で墨が滲むその動きに美しさの秘密があるのです。そういうことを画布と油絵具に置き換えて伝えているようでした。

そういう意味で、この白い絵具はとても重要な色です。画布の白さに描線がとけ込むように選ばれた色なのです。そのとけ込むことによって、地と図を照応させようという意図があるのです。今回の展覧会に出展されている作品からはわかりませんが、私がこれまでに見て来た作品は全て、この白を赤や青の絵具に混ぜて使われたものばかりです。ですから、この白さが、光をはねのけて、褪せた印象を作品に与えていました。そしてその印象が、浜辺の近くでよく見られる光の強さや、塩を含む風とか、塗装の褪せた町の様子を思い出させることがありました。浜辺で育った私には、それが懐かしいような、でもちょっとセンチメンタルな調子をかもしだしているように思えてなりません。

そして氏の画布に残す『溜』を見るたびに、「李禹煥の作品だ。」と、まずは識別します。そして、普段丸文字やゴシック文字に囲まれて生活している目から、「古風だな。」と感じるのは私だけでしょうか?ーきっと私だけですね。

会期
2005年9月17日(土曜)から12月23日(金曜・祝日)
毎週木曜日と11月4日(金曜)は休館
※但し、11月3日(木曜・祝日)は開館 10時から午後18時まで開館
金曜日(11月4日を除く)は午後8時まで開館延長 (入館は閉館の30分前まで)