フクロウ

今日は雷とともに夕立がありました。
地面がすっかり冷えて、冷蔵庫の冷気のような風が窓から入って来ます。

このところ、真夜中に制作するようになりました。
長野は寒暖の差があり、日中は30度を越しますが、夜はとても過ごしやすいのです。

そして辺りが静まり返ると、どこからともなく、
「ホッ ホッ、ホッ ホッ、ホッ ホッ」と毎晩聞こえて来ます。
この鳴き声が聞きたくて、夜更かししてしまいます(苦笑)。

子どもの頃に聞き覚えが...。
フクロウかミミズクではないかと思い、調べてみました。
ちなみにフクロウとミミズクの違いというのは,基本的には無いそうです。

http://www.bird-research.jp/1_shiryo/koe/aobazuku_060606_utsunomiya_hirano.mp3

そうそう、この鳴き声です。
アオバズクというのだそうです。
鳴き声が聞こえるだけなので、姿を知りたくて調べてみました。
wikipediaの画像があまりにも可愛かったので拝借致しましたが、
今はリンクが切れています。

250px-Ninox_scutulata.jpg

鳥の鳴き声がわかるこんな便利なサイトもありました。

http://homepage2.nifty.com/birding/link/song/37fukurou.html

近くに神社が沢山ありますが、そういうところの大きな木にフクロウは飛来するそうです。
神秘的な鳥ですね。

ギリシャ神話では、技術や学問、知恵の女神アテーナー(ローマ神話ではミネルバ)の聖鳥です。アテナの肩に止まっている姿が描かれることもあります。

ヘーゲルは「ミネルバのフクロウはたそがれに飛び始める」と言ったそうです。
「フクロウが夕暮れになって飛び始めるように、人間の知恵や哲学というものはいつも文明の発展に遅れてやってくる」という意味だそうです。

それにしても、毎晩フクロウの鳴き声が聞けるなんて,,,。
私はつくづく幸せ者だと実感します。

花の色は うつりにけりな

相模原での暮らしは、それはそれでとても充実した日々でした。
17年過ごしましたので、自然に親しい人が出来、今でも懐かしく思う人ばかりです。
相模原での最後の住まいは3階でした。ベランダが北と南にあり、南の方は二部屋に渡って長く、バルコニーになっていましたので、そこで朝食を摂ることもありました。

sagamihara-beranda.jpg

今の季節ですと、夕顔を育てていた時期もあります。
部屋を空け渡した時に、不動産屋さんから、「3階のバルコニーの植栽が無くなって残念です」と言われました。
いつも誰かが何気なく見てくれていたと思うと、それはそれで良かったと思います。
花は近くのおばあさんが店番をしている種屋さんで、ついつい買っていました。

しかし、水戸でワークショップのために2〜3日家を空き家にしなければならない時等は、気が気でありませんでした。お風呂の残り湯を活用して水やりをし、手入れをする毎日でした。そのせいか花も増え、冬を越して毎年咲くので、生き甲斐を感じる反面、家を空けられない制限ができていました。

この度長野の自宅を1階に決めたのは、土のある庭に既に植栽があったからです。自分で特に世話をしなくても、勝手に花が咲き、鳥が集まって来て、何て気楽なんだろうと実感しています。
相模原からは、ひとつだけ観葉植物を持って来ただけで、他は専門の業者に頼んで引き取ってもらいました。
手放した時に、とても心が痛みました。人間は勝手なものです。
とても反省をして、今後はむやみに植物を育てないようにするつもりです。

近くの家の庭には、さまざまな花が次々と咲き、長い冬から解放された喜びを見せるかのように鮮やかな彩りです。都会の花よりも、生き生きとしています。そういう花達を、だからといって私は自分で所有することはもうないでしょう。人間の世話のいらない自然のままの花がいいと思います。
いつもふらっと旅に出る、ブルジョア・ボヘミアンでいたいからです。

近くのお庭では、6月に素晴らしいバラが咲きましたが、先日その前を通ったら、7月の陽射しの強い日に、一斉に色を失っていました。
「花の色は うつりにけりな いたづらに わが身世にふる ながめせしまに」(小野小町)

作品を個展に見に来て下さった人に、ちょっとお話をしたことがあります。

「花のように水やりもいらないし、手入れも必要ありません。
家族旅行をしている間も、枯れることなく、黙って主の帰りを待っています。
仕事が忙しく、たまの休みは家でじっとして居たい、そういう人にこそ、アートがおすすめです。」

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ハード系パンを求めて

私がドイツで過ごしたのは学生時代で、ほんの約14ヶ月くらいのことなのですが、その経験の影響で、未だにパンは硬くなければ食べたら心地がしません。美味しいパンとの出会いは、私にとってかけがえのないものです。

私の数少ない経験で、お勧めのハード系都内のパン屋さんは、新宿西口メトロ食堂街のレストラン墨絵(すみのえ)さんのパンです。お店の外に、パン販売コーナーがあります。外側が薄くて硬いフランスパンです。オニオンやチーズの香ばしさがたまりません。その代わり、口の中、血だらけ(苦笑)、でもやめられなくなります。レストランには、昔から椿の素晴らしい大きな横長の墨絵が飾ってありまして、それを眺めるのも楽しみの一つです。残念なことは、いつでも満席で、待たされること。もう少し静かで落ち着いた地上にあったら...、贅沢な要求ですね。

それから渋谷の東急Bunkamuraの、美術館のある地下のレストランのメニューに、ほっそーいカリカリフランスパン約30cmくらいを上下に切り割って、中にバターとうっすーい生ハムが挟んであるものがあるのですが、このパンと生ハムとバターの風味が格別に良いです。白ワインも頼んで、パラソルの下で頂くのは、至福のひと時です。おまけにすらっとしたイケメンのボーイさんがいて、ここではチップを払った方がいいのかしらと悩むほどです(苦笑)。ただ、ここも地上ではありません。パンも別販売はしてくれません。

花の寺 高照寺

関西花の寺第五番 木蓮と白萩のお寺 高野山真言宗高照寺から、注文した密祐快住職さんの法話のCD『旅の空の下で』が届きました。ポッドキャストの『高野山の時間』での法話があまりにも心に残ったので、インターネットで調べて、CDまで注文してしまいました。楽しく、また、とてもありがたく拝聴しながら制作しました。まるで、映画を1本見終わったような素晴らしい内容でした。住職さんは、造形作家としてもとても活躍されている方です。

高照寺公式ホームページ『高野山の時間』をご案内致します。

私と音楽

私と音楽とを結びつける最初の記憶は、都はるみの『好きになった人』を大勢の親戚が集まる場所で、歌っている幼児体験から始まります。よく歌わされました。私も図に乗って率先して歌っていたかもしれません。今でも大勢の人の前で物怖じしないのは、このおかげです。なぜか、叔母たちは私が宝塚歌劇団に入るものと思い込んでいたそうです。

小学生低学年ころまで、流行歌以外に特異な習慣をもっていました。トイレで、即興の歌を歌うのです。それを私は自分で「でたらめのうた」と名付けていました。詞も曲も、口からつぎつぎと流れて来ました。誰かに聞かせるつもりで歌っていたいたのではなく、そうすることがとても楽しいからできることでした。自分の日常のできごとや気持ちを、その気持ちにあったメロディにのせて歌うことが出来ました。でもある日、それを聞いた父が、「今日のは今までで一番いい歌だった。」と言ったころから、歌えなくなりました。聞いている人がいることを意識すると何を歌ったらいいのかわからなくなってしまったのです。そういうことを意識しないから、歌えていたのかもしれません。

家にはピアノがありました。妹が3歳から毎日ピアノの練習を2時間くらいしていました。最初に家に来たピアノは、不思議な色をしていました。湖の底に沈んでいる古木から作られたという、木目の見えるピアノで、深い緑色をしていました。毎日毎日ピアノの音を聞いて育ちました。でも私は一度も弾こうとしたことはありません。その緑色のピアノが、妹が高校生になってグランドピアノが必要になり、処分されてしまったのは残念でした。

はじめてレコードを買ったのは、中学2年生の時で、荒井由美(松任谷由実)の「あの日に帰りたい」が収録されているアルバムでした。当時、一人で鎌倉に遊びに行き、「私の部屋」の店内で聞いたのがきっかけで、買いました。当時「しらけている」という言葉が流行し、この曲を聴きくと「しらけムード」にどっぷり浸ることができました。でもそのアルバムはしばらくすると、別のレコードと交換してしまいました。

私の中に新しい音楽の波がやってきたのです。当時川崎、横浜や都内から、公害に病んだ子供を持つ親たちが、三浦半島の北下浦地区の野比やハイランドに引っ越してきました。クラスが2倍に増え、グランドに臨時のプレハブ校舎ができました。その転校生たちが、これまで読んだこともない本や、聞いたことのない音楽を一緒に持って来たのです。寺山修司の本はすべて借りて読みました。友達同士で貸し借りを頻繁にするようになったからです。それから交換日記が流行りました。借りて読んだ本の感想や、気に入った文章を書き込んで、それも交換して読み合ったのです。借りたレコードを録音するテープレコーダーもそういうタイミングで販売され始めました。

グランドが使えないということは、体育系の部活動が出来ないことになり、若いエネルギーを持て余していました。そこで、皆が共通してロックに夢中になりました。同じ学年にコピーバンドが5つくらいでき、体育館でコンサートをするようになりました。ディープ・パープル、レッド・ツェッペリン、キッス、フリー、ザ・フー、ジミ・ヘンドリックス、ジェフ・ベック等の曲をコーピーとはいえ、生で聞くことができるようになりました。当時思い起こせば、よく楽器がそろっていたものだと思います。とくにドラム担当者は、それをどこで手に入れ、どう運んでいたのかと不思議に思います。エレキギターやアンプ、マイク、皆親に買ってもらっていたのでしょうか?それはともかく、演奏している姿は、たとえ学生服でも素敵に見えたものでした。女の子たちはきゃーきゃー言って騒いでいました。私はすこしシラケながらも、ポスターとチケットのデザインを担当していました。

この中からプロになる人が出るのかもしれない、と思うほど皆夢中になって、毎日放課後に練習をしていました。電気代かかっていたでしょうね。(その中からアメリカに留学した人もいたようです。今彼はどうしているのでしょうか...。)毎日学校でロックが聞けるというのは画期的でした。心ははるかアメリカやイギリスにあるような感じなのです。もっぱら読む本もそれに関する本や雑誌になりました。『MUSIC LIFE』はそういう気持ちを十分満たしてくれるバイブルのようなアイテムでした。ページをめくるたびに、ロックミュージシャンの熱い言葉が目に飛び込んで来ます。「音楽のない生活なんて考えられない。ロックは生活そのものなんだ!」インタビュー記事の一言一言から、ミュージシャンの哲学を学びたいと熟読しました。ザ・フーのファンクラブにも入会し、評論を書いて賞を頂いた記憶もあります。

今でも当時聞いていた曲をiPodに入れていて、あきもせず繰り返し聞いています。ジェフ・ベックの『Blow By Blow』のレコード・アルバムは、今でも大切にしていて、ずっと聞いています。O君はこのような、「人を酔わせるような曲をつくりたいんだ」と言って音大に進学しました。私は、その言葉をそのままずっと心に持ち続け、作品をつくっている時によく思い出します。そして必ず「人を酔わせるような絵画」について考えるのです。ジミ・ヘンドリックスやジェフ・ベックの歌のないインストゥルメンタルな曲を聴きながら、そのようなものを絵画に置き換えた絵画作品を考えたりもします。そして、私の作品が即興的なのは、多分にこの時代のロックの強い影響があると思います。

幻想音楽夜話というサイトで沢原馨氏が、このジェフ・ベックの『Blow By Blow』を「この音楽は映像的なイメージを喚起したり、物語性を秘めた展開を見せるわけではない。むしろそうした音楽とは対極にあり、音像のもたらす附加的なイメージを削ぎ落としたところに存在する。」として、それを「体感的な音楽」と分析して紹介されています。私はこのインストゥルメンタルな表現を、絵画における抽象表現と解釈し、これを出発点にして制作してきたといえます。私の場合、絵画が先にあるのではなく、音楽から抽象に入って行ったのです。

私が絵画制作をするようになったきっかけは、さまざまな事象が絡みあっていると思うのですが、このロック音楽から出発していると言っても過言ではありません。そしてそれらの事象は、個々にバラバラにあるのでなく、納豆のように糸をひいて、互いに関連し合っています。私の中では、例えば仏教への関心は、このロックの扉から入っていったとも言えるし、その扉はすでに父に用意されていたが、その扉は見えるようになっていなかったのを、このロックが見えるようにしてくれたというべきでしょうか。

このロック文化には、当時のヒッピーたちの宗教観が色濃く反影されていて、そういうものを私は受け継いだという自覚があります。ザ・フーのピート・タウンゼントが、曲作りのためにヒマラヤへ修行にこもったことがあり、そこからソロアルバム『現人神』をつくりました。『トミー』や『四重人格』にしても、仏教の華厳思想の唯識論や曼荼羅の世界観をもとにつくっているのではないでしょうか。こういうものが、私の基盤にあることは間違いありません。

NHKラジオ講座

バルセロナ旅行を契機に、4月からNHKラジオ講座を聴きながら制作しています。聞いているのは、英会話入門、フランス語、ハングル語、ドイツ語、スペイン語と、とても欲張っています。

2003年にKIAF(KOREA ART FAIR)で出品したことがきっかけで、韓国で発表する機会が増えました。親しい人が増えてきたので、なんとか片言でも気持ちの通じ合う会話をしたくなります。今まで必要最低限の文章をまる暗記してきましたが、もっともっと「ヨルシミ コンブハゴ シップンデヨ」。

今年はフランス語も必要になりそうです。フランス語は、大学で第二外国語で受講して以来、これまで何の縁もありませんでした。動詞の活用を憶えるのに随分苦労した覚えがあります。とりあえず旅行中に必要な文章をマスターするつもりです。

英会話とドイツ語はブラッシュアップのためです。せっかくの旅行中に、現地の言葉になれてくるのに時間がかかり、人のしゃべっている言葉を聞いて、そういえばそんな言い回しがあったと気づくことばかりです。日頃から聞き慣れておく必要を感じています。

スペイン語までは欲張りすぎているかもしれません。簡単な単語と文法のおおまかな仕組みの知識くらいは持ちたいと聞き始めました。

制作はごく単調な作業なのですが、のめり込むと音も聞こえなくなる瞬間があります。どこまで可能か、しばらく挑戦してみます。一方、能率の良い方法はないかと考えてみました。パソコン上にデータが残るような方法があれば、作業をしない夜の時間にまとめて聞くこともできると思ったのです。昼間聞き流し、夜復習することもできます。

いろいろな方法があることがわかってきました。例えば、TalkMasterというラジオ付きMP3レコーダー。どこかiPodに似ていて魅力的です。でも¥39,800-と、今の私にはハードルが高い価格です。それにもともとiPodを持っているので、両方持って出かけるのは嫌でした。もし携帯で音楽を聴いている人がいたとして、その人はiPodもTalkMasterも買うだろうか?とか、ワンセグを電車で見たい人は、ワンセグ用の携帯と、iPodとTalkMasterとを持ち歩いているのだろうか?などと余計なことを考えてしまいました。早く、iPodがテレビとラジオをAIFFのデータ形式で読み込んだりその場で楽しんだり、テレビ電話もできるという統合的なアイテムに進化して欲しいものです。

ラジオを録音するというのは、中学生以来のことです。とても新鮮な気持ちになりました。明日からは、スケジュールを設定して、各語学講座を録音することになります。

RadioSharkを購入するにあたって、役立った情報を記録しておきます。
http://haobuhao.exblog.jp/1396110/
http://www.griffintechnology.com/products/radioshark/index.php
http://www.rakuten.co.jp/clevery/464805/#433980

RadioShark

RadioShark
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外付HDD

先日ある人に、「画家はパソコンを使えないイメージがあるけれど...。」と言われてしまいました。何を隠そう私はMacを愛好する画家です。「パソコンを使って作品を制作しているのですか?」と質問されることがあります。答えは「ノー」です。でも私にMacがなかったら、制作の意欲がわかない程の中毒症状があります。

今使用しているのは、Power Book G4 12インチ 1.33GHz ( Mac OS 10.4.2)です。キーを打つ右手には、iMac GS spetial edition snow white で、もう今年に入ってから残念ながら使っていません。もったいないので、飾っています。ミラーリングをしてディスプレイとして使おう、と試みて悪戦苦闘した後、iMacはそのように作られていないことがわかった時は、本当にショックでした。snow whiteはリンゴにとっての白雪姫という意味があり、その白いボディーデザインは未だに私を魅了しています。

そのようにMacを愛好しているにも関わらず、実は自力でここまで使用できるようになったので、「こんなこと?」というような基本的なことに無知だったりします。最近、shiftキーを押すだけで、簡単にカタカナ表記ができるということを知り感動しました。いつまでたっても、わからないことばかりということが好きなのです。

Appleコンピュターを初めて見たのは、もうかれこれ25年前、当時は買うものではないと思っていました。その時簡単な描画を当時も今でもめずらしい、あの文具会社のぺんてる社が開発した、何色ものペンが平面の台の上で右往左往して印字する機種でプリントしました。その操作が、あまりにも要求からかけ離れた遠回りの行為だったので、はまることはありませんでした。

その後すぐに、富士通のOASISのワープロを活用していた時期が長く続きました。これも誰に教えてもらうわけでもなく、一人でマニュアル片手にマスターしました。それを使って仕事をしてほしいと言われた場所に、使い方を知っている人が誰もいなかったからです。

その間に、出版社の編集の仕事で、漢字の偏とつくりの書かれているキーを両手で打ちながら漢字を入力していくコンピュターを半年ほど使ったこともあります。これはマスターするのにとても大変でした。でもその時の経験が、パソコンにより引きつけられる性格を形成させました。

10年前に再会したMacはモノクロモニターのたぶんMacintosh(128K)です。FileMakerを使う仕事で触れることになりました。たまたま遊びでIllustratorを使った時、カーソルが画面をふわふわ動いて、あらためて「これはワープロと完全に違う」と感じました。フリーズという経験を幾度も経験し、大海原を漂流しているような日々が続きました。

最近はあまりフリーズしなくなりました。経験から得たいろいろな解決方法も、次第に使う必要がなくなりつつあります。それでもたまに、人からMacが故障して大変な思いをしたという話を聞くと、びくっとします。先日、言水制作室の言水へリオ氏のMacが壊れたそうで、美術情報誌etc.の発行が遅れました。原因を伺うと、どうもハードディスクの損傷らしいということでした。そういえば、言水氏のパソコンのデスクトップには無数のアイコンが並んでいました。外付ハードディスクにバックアップなんてことはしていない様子でした。

私自身HDDの存在はもちろん知っていましたが、長い間必要性を感じることはありませんでした。1.3GBのMOディスクドライブを持っていて、バックアップをたまにとるようにしています。でも本当に「たまに」なので、これまでに失われたデータへの哀悼の気持ちは拭いきれません。

先日『Mac Power』の10月号を買ってページをめくっていると、Maxtor One Touch 2についての記事が大きく掲載されていまいした。それで、やっと気がついたのは、「バックアップを早くとらなけでば」でした。どのようなデータを失うことが一番怖いかというと、今書いているような文章です。私は一度書いた文章を、記憶をたどって二度目に書くのがとてもつらいということと、どんなによく憶えていても、どこか違うと思うとやりきれなくてしかたがないのです。

話は少しはずれますが、私はこの『Mac Power』という雑誌を今年に入ってから買うようになったのですが、たぶん編集者の思う壷にどっぷり浸かっていると言って間違いありません。馬鹿だ馬鹿だと知りつつ、毎月『Mac Power』を買ってしまう私。何よりも掲載されている写真図版、そこに映されるMacの置かれている風景が気になって仕方ありません。紹介されるクリエイターの横顔、そしてMacを操る姿、背景の本棚、インテリア。私は書斎とか仕事場の風景に対して特別な興味と憧れがあります。いろいろな人の仕事場を覗いてみたいのです。そこにMacがあれば、なおさら胸がときめきます。

ということで、本日、ネット上のApple storeに入って、HDDを注文してしまいました。Power Bookを持って出かけることがあり、そのたびに、これが紛失あるいは故障した場合を覚悟できているだろうか、と問いかけることがしばしばあります。先月デジカメが故障して修理に出した時の苦い思いがよぎります。早くこの不安を解消したいものです。

実はブログは、私にとって外付HDDのようなものかもしれません。このように雑多な文章を毎日書くのは、中学生のときの交換日記以来のことです。懐かしいですね。1日に5~10ページも書いてくる人と、もう一人はすてきなイラストを丁寧に入れてくれる人と二人かけもちでした。(お二人ともお元気でしょうか?やはりブログをされていますか?)それ以来、目的のある文章しか書かずに来てしまいました。ですから山積している雑多な事柄を、文章にして頭の中から出して、安心したいという気持ちが、私をこのように動かすのでしょう。

絵画作品は、私の経験の雑多なそれらを、腐葉土にして生まれてくる植物のようなものです。

サルバドール・ダリは、海面をめくって海底を探る絵を残しています。私は海面や海底を行き来しながら絵を描きますが、人はそれを海面と見ているというようなもどかしさから、文章を書くのかもしれません。