暑中お見舞い申し上げます

昨日までの猛暑のせいか、今日はとても涼しく、
日が暮れてからは、上着を1枚羽織りました。
室内の温度計は26度です。

PCを立ち上げていなかったので、
しばらくブログやFacebookなどから遠ざかっていました。
プロバイダーを格安のものに変えたため、
インターネットの使い勝手が変わったことに原因があるかも知れません。
でも、かえって無駄にPCに時間を束縛されることもなく、
ありがたいことと感じるようにもなってきました。

この数ヶ月間は、大作の130号を制作をしながら、
日々の習慣を少しずつ見直し、
制作に集中出来る環境づくりや健康的な生活を心がけていました。

食生活ではコーヒーをやめました。
未練がなく、あっさりやめられたのは意外でした。
身体にどうのというよりも、ゴミ箱に入っているコーヒーの匂いがダメでやめました。
長野では、冬にほとんどゴミが匂わないので、
暑くなって来ると、とても気になるようになるのです。

そういう意味で、肉や魚も1ヶ月に1〜2回ゴミの日の前の日に食べるだけにして、
後は、とにかくタンパク源は大豆食品を中心に摂取するようにしています。
それから保存食としても助かるナッツ類をすり鉢で潰し、
ジャムと合わせてパンに塗るのがこのところのマイブームです。

甘いお菓子は食べず、新鮮な果物でジャムを手作りしています。
今はとにかく地産のプルーンが安く、美味しいです。
長野産の果物が店頭に並ばない少し前の時期には、
宇和島産の宇和ゴールドというグレープフルーツをマーマレードジャムにしていました。
少し苦みが強いのですが、これがかえって新鮮で美味しく感じました。
来年は、あんずジャムに挑戦出来ればと思っています。

生活用品では、市販のシャンプーやヘアクリームをやめて、
小麦粉シャンプーに切り換えました。
肌や顔に使う化粧水も市販のをやめて、
薬局で購入したグリセリンと尿素と水でつくる手作り化粧水に変えました。
つくり方は、ネットで検索するといろいろな情報が手に入ります。
こういうのを「脱ケミ(カル)」というのだそうです。
無駄な容器も捨てずに済み、肌荒れが解消し、
環境問題に少しでも出来る範囲で努力出来ることが何よりも嬉しい。

日々の制作環境も整えるべく、断捨離を心がけながら室内の模様替えをしています。
持っていたソファを一つ解体しました。
長年の使用で、クッションに癖がつき、それが腰に悪いことがわかり、使用を断念。
全て自力でバラバラにしました。
ほとんど骨組みにハリボテのような構造で、こういうものの上に座っていたのかと、
少し騙されたような気持ちにもなりました。
大量のクッション材は小さくして廃棄処分。
スウェードの皮革は、これからスリッパ等に再生してみようと思っています。
解体しながら、もし変なものが出て来たらどうしようという、
ゾクゾクしたりわくわく感すらありましたが...、
なぜか、古く錆びた100円玉が発掘されました(苦笑)。

そして、今日は思い切って、
これまでアトリエに置いていたキャビネットを
ヤフオクに出品しました。
ほとんど、物置にすぎなかったので、
より活用して下さる人の手に渡ることが大事と思います。

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それから暑さ対策として、
これまで窓からの熱を室内に入れないために、
窓に反射シート(NASAの断熱材と言われている商品)を貼っていたのですが、
しかしこれでは、室内が暗くなりすぎてしまうため、
透かし彫りの衝立てを窓辺に立てるようになりました。
これまで西向きの窓辺で眩しかった左目が楽になりました。

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読書は、長野市図書館と長野県立図書館へ足しげく通い、
読みたい本と読書のスピードに折り合いがつかず、歯がゆい思いをしています。

プラトンの「国家」を読み始め、
下巻に登場する「洞窟の比喩」というソクラテスの話しに興味を持ち、
『ハイデッガー全集 真理の本質について』におさめられている
「洞窟の比喩」のハイデガーの解釈に奮闘しながら、
ヤコブ・ベーメの著作やヘルダーリンの著作も調べたくなっているところです。

ハイデガーの全集が、県立図書館の閲覧室でいつでも手に取ることができるのは、
とても恵まれていることです。

「洞窟の比喩」はYOUTUBEでとても分かりやすく説明されている動画を発見しました。
興味がありましたら、ご覧下さい。

平行してハイデガー著の『貧しさ』も読んでいる最中です。

ヘルダーリンの言葉

「我々においては、すべてが精神的なものに集中する。
我々は豊かにならんがために貧しくなった。」

についての、ハイデガーのどこまでも底なしのような奥深い洞察と解釈を楽しんでいるところです。
この場合の「貧しさ」とは、「ものを持たない」「つましさ」と解釈出来るのかなと思いました。
何でも手に入り、便利で、何もかも行き届いた飽和状態の生活は、果たして幸せと言えるでしょうか?
もの足りなさががある方が、人は努力し、生きる意欲が湧いて来るものだと今まさに実感しています。

そして、より多くを求め過ぎ、執着する生き方は、返って卑しく、貧しく目に映るものではないでしょうか?
最低限必要なものを見極め、敢えてそれ以上を必要としない生き方は、
たとえ端からものを持たない貧しさに映ったとしても、
実は、既に充実した状態であり、
そういう生き方が、潔く、美しく、豊かであるように思えてなりません。

自然と同調し、ひっそり静かに制作出来る喜びを充分噛みしめ、
そう出来ることへの感謝の気持ちをいつまでも忘れないようにしたいと思います。

そんなこんなで、毎日が矢のように過ぎて行きます。
一方制作はいままで以上に時間がかかるような方法になっていて、
とにかく日々コツコツと粘り強く、忍耐強く取り組んでいます。

お財布と冷蔵庫の中身

ブログにこういうことを書くのははしたないと思って書かないことが幾つかあります。
例えば、その一つが経済的に厳しい状況を説明する記事です。

何度もご寄付を送って下さる方や、思いもよらない方がご寄付を送って下さった後に、
さらにご寄付を呼びかける記事を書くのは、とても心苦しいものです。
ここまで、ご寄付が集まってやって来れただけでも、十分なのです。
これ以上どうしたら良いのか、一時は記事が書けなくなり、途方に暮れたこともありました。

それでも、冷蔵庫を開けるたびにガランとし始めると、「どうにかしなければ」と思い始めます。
二日前に果物がなくなり、一昨日人参がなくなり、昨日は最後のじゃがいもを使い果たしました。
その時お財布の中を見ると、600円程あり、栄養で足りないものを慎重に決めて買うことにしました。
3日前、58円の納豆3パックと138円のヨーグルトだけ買いました。
これで、カルシウムやたんぱく質を補えます。

冷蔵庫にひとつまみのとろけるチーズと自家製ジャムがタッパーの底に3回分。
緊急時用のナッツ、コーヒー、鰹節はまだ大丈夫。
味噌は、約2週間分。
野菜室は、ネギが5cm、大根5cm、ピーマン1つ、長芋3cm、キャベツ1回分、きゅうり半分、トマト1個半。
冷凍庫には、パンが約3日分。
主食の玄米とパスタは当分あるし、そうめんも2回分あるので、何とか1週間は食べれそうな気配です。

お財布の中の440円をどう使うかは慎重にしなければなりません。
銀行の口座には、かき集めても900円ちょっと。
県内にない銀行の口座なので、ATMから引き出すのは難儀です。
1000円単位でしか引き落とせないからです。
それでも全く無いよりは心強いものです。

こういう時には、料理の腕を発揮して、とびきりに美味しいものを少ない食材で作ります。
一昨日の晩に最後のうどんで作ったカレーうどん。
素麺のつゆとカレーフレイクとネギ少々で十分美味しく頂くことが出来ました。

昨日のお昼の最後の人参半分のきんぴらも、醤油の加減が良くて芳ばしく出来ました。

晩は、大事にし過ぎて白くなってしまったキャベツと最後の1個のジャガイモのすり下ろし、お好み焼き粉で、美味しいチゲ風お好み焼きが焼けました。

卵は1ヶ月くらい買っていませんが、今のところ問題がありません。
ケチャップとマヨネーズもないのですが、何とかなっています。

そうです。
「どこまで頑張れるか、挑戦する気持ちで、残りの食材を工夫して美味しく食べて、後は制作に集中しよう!」
そう自分に言い聞かせます。

そうは言っても、頭の片隅で問答が始まります。
「そろそろ手紙かメールを書いた方がいいんじゃない?」ー「誰に?」
「暑中お見舞いの葉書はどう?」ー「もう残暑お見舞いよ」
「展覧会のチラシが出来たら送るついでにっていうのは?」ー「チラシが出来て来る前に多分食べるものは無くなっている」

そんな時に読む星占いにはこんなことが書かれていました。

『何も解決する必要はありません。結論に到達する必要もありません。深く関わる 必要もありません。取引をする必要もありません。話をつける必要もありません。無理してまでそうする必要はないのですが……それでも行動を起こしたくなるかもしれません。もし行動を起こしたくなったら、自分の気持ちを抑(おさ)えるよう努めてください。「行動を起こす必要はない」ということをしっかりと肝 (きも)に銘じておきましょう。義務感に駆られて行動を起こさないように。本当にやる気になった時だけ行動を起こすよう心がけてください。あなたが思っているよりも時間的な余裕はあります。』(8月4日 ジョナサン・ケイナー)

ジョナサン・ケイナー恐るべし!

最近は、ようやく行動を起こす前に慎重に経過を見守れるようになって来ました。
それは消極的というのではなくて、信頼することに繋がると思うからです。
すでにやるべきことはしているのです。
私がするべきこととするべきではないことの分をわきまえなければなりません。

こういう時は、無いということに集中するのではなくて、まだあるものに目を向けることが鉄則です。
そして、節約方法について考えます。

インターネットのプロバイダーの契約を明日見直すことにして、昨晩は早めに床につきました。
そこに1通のメールが届きました。

「氷の誓い」を見た旨の感想が書かれていました。
その人は3度も画廊に足を運んで見て下さったそうです。

「何か、大変、強くて求心力がありながらも爽やかで、これまでの貴方の作品とも違うものが感じられました。」と書かれていました。

そして「見る度に受ける感じが違うので、二度目までは、どう受け止めて良いかよくわかりませんでしたが、」
3度目の正直で作品のご購入を決めて下さったとのことです。

窓からは、ひんやりとした心地良い空気が流れて来ます。
私はホッとして、眠ることができました。

ということで、皆様にご心配おかけしておりますが、今月も何とか無事に制作出来る見通しがつきました。

ありがとうございました!

自然の制作とエマソンの「自己信頼」

一つの制作が形となったので、しばらく読書を楽しんでいます。制作の間でも、グレン・グールド、バッハに関する本を読んでいましたが、それを経由して、芥川也寸著の『音楽の基礎』を読みました。音楽の世界については、妹の領分であったので、これまであまり立ち入らないようにしていたところがありましたが、彼女の蔵書を実はこっそり覗いていたこともあって、音楽の仕組みへの興味は尽きません。

一方で、長い間少しずつ読んでいる本があります。『世界の歴史23 アメリカ合衆国の膨張』です。この中央公論社の全集を、実は子供の頃から蔵書していたのですが、もったいないことに一度全冊手放してしまいました。子どもの頃は1巻から読んでいましたから、今度は読み残した後ろの番号から買って読むようにしています。この全集はどの巻も著者の力のようなものを感じて、とても感動します。今回もこの本を読む事で、これまで漠然としたイメージでとらえていたアメリカというものを、歴史的に捉えることが少しだけできるようになった気がしています。特に後半部分の「アメリカ文化の展開」をとても興味深く読みました。ふと、例えばスティーブ・ジョブズという人の仕事が生まれた理由を自分なりに考えてみました。一人の天才が生まれるには、その国がその人を生み出す理由が必ずあり、その人の個という存在の渇望というよりも、その存在を共有する人々全体の渇望が個と一致している、という見方も出来るのかもしれません。

この「アメリカ文化の展開」の中にラルフ・ウォルド・エマソンの名前が出て来ます。アメリカの文化をヨーロッパから独立させ、独自の特徴を確立すべく努力した人々。彼らの思想基盤になった第一人者がエマソンであると紹介されています。その思想の中心となるキーワードが「自己信頼」です。改めて、エマソンの説く「自己信頼」について、言葉をたどってみました。著作は岩波文庫の『エマソン論文集』の上巻に治められているようですが、残念ながら現在古本でしか入手出来ません。そのかわりにいろいろな人が訳してサイト等で紹介しています。

例えばエマソンは、「自己信頼」で次のような言葉を残しています。

『自分の思いを信じること、自分の心のなかの自分にとっての真実はすべての人にとっての真実だと信じること、それが才能なのです。』(「自己信頼」)

その自己とは、世界中の賛同を得られるような神聖な高潔さが求められています。だから天命であったり天職という言葉になるわけです。これが「宿命」とか「とりあえずの仕事」という場合には、どこか天から見放された感がありますものね。それは高潔な精神にふさわしくない生き方ということでしょう。

『人にはそれぞれ天職があります。才能は天賦のものです。人には、限りない努力を傾けるよう暗黙のうちにいざなう能力が備わっています。この才能とこの天命は、人の本質、すなわちその内部に具現化された普遍的な魂のあり方に依拠するのです。人は、その人には簡単で立派にこなせるけれども、他人にはできないという仕事をするのです。そこに競合者はいません。なぜなら、自分の力を真摯に頼るほど、その仕事が、ほかの人の仕事とは大きく異なってくるからです。ーー略ーー 人は自分の仕事を果たすことで、自分が貢献できる事柄を他人に実感してもらい、自ら味わう楽しみを得ることになります。自分の仕事を果たすことで、自分を解放するのです。全身でほかの人々に自分のことを伝えられるようになるまでは、その人が天職を見つけたとは言えません。人はそこに自己の内面を表現する手段を見出すべきであり、それによって自分の仕事の正当性を人々に示すことができるのです。』(「精神の法則」)

自分自身を振り返り、そもそも自己をどのように信頼して来たかを思い出してみました。ターニングポイントになった出来事がいくつかありました。何度も違う道にそれて行きそうになったのですが、その度に自分の中に理由の分からない違和感が沸々と湧いて来るのでした。その直感のようなものは、決して一般的な理性的な判断、例えば経済的な事とか、家族の意見、「普通の人は」というような固定概念と全く相反するものでした。ですから、必ず葛藤や焦燥感があり、社会から孤立したような気持ちになる時期がありました。ですから何度も失敗して、一見居心地の良さそうな理性的な判断に流れそうになりました。

私の場合、そうするとろくなことが起きませんでした。不愉快な問題に巻き込まれたり、理不尽な扱いをされたり、居心地の悪い空気が用意されていました。あまり我慢し過ぎて病気になったり、どこに隠れていたのだろうと思うような自分の弱い部分が出てしまい、惨めな思いをすることにもなりました。それでも自己が萎縮せずに、進路を修正し、むしろその弱さを自覚する事で、少しずつ自分の許容範囲を大きくする事が出来たかもしれません。少々の失敗や自分の不甲斐なさも、自分のものと愛おしむことができたのだと思います。それは、おそらく子どもの頃あまり背伸びせずに、のんびりとした環境で育ったおかげでしょう。そしてそういう経験すらも今となっては全て、画家としての制作の活力や糧になってしまっています。

しかし、画家への道のりに軌道が乗るまでには、かなり時間を要しました。それでもおそらく「ここが画家になると決意した出発点」と自覚した地点があります。それは私にとってとても衝撃的な1日になりました。でも、これを文章にしてもあまり人には何が衝撃的なのか伝わらないかもしれません。ですから自分の自覚のために書くことにします。

それは1995年の3月16日か17日だったのではないかと思います。私は知り合いの作家のDMを持って東京の神谷町の小さな画廊に行きました。地下鉄の神谷町の駅を地上に上がると、なぜかあたりはものものしい状況でした。車両から大音量のマイクで何かに反対する抗議放送をしていました。とにかく煩くて、落ち着かない空気に包まれていました。それは画廊に入っても聞こえていたのです。その人の個展を見ている内に、私は言い知れぬ強い気持ちが込み上げて来て、それは外の騒々しさが相乗しているのか、やがて身体全体がバクバクと脈打つかのような異常事態にまで変化したのです。そういう経験は初めてでした。長い人生上には、頭が真っ白になって気が遠くなった経験が1度あり、それも一つのターニングポイントとなるような事件でしたが、この二つ目はまた全然違う衝撃でした。

その原因はその個展の作品にあるのでもなく、騒音によるものではなく、むしろそれらは、バクバクすることの心象風景として外に現われているかのように思われました。私自身の内側に、その原因がありました。この瞬間が私が明確に「私は画家になろう」という言葉になった地点になったからです。このニュアンスをもっと細かく説明すると「そうか、これまでいろいろなことに煩わされて自分が見えなくなっていたけれど、それは自分がこの瞬間に至るためにあったのかもしれない...。私は画家になると決意するためにそうなっていたのだ。」というようなニュアンスです。そしてそれは「自分でも信じられない、まさか自分がそのような大それた気持ちになるなんて...。」という驚きによるものだったのです。

私は立っていられなくなって、画廊に用意されていた椅子にしばらく呆然と座り、ほとんど作品は見えていなくて、ひたすら自分がこれからどのような行動に移るべきかを考えていました。結論として次の日に、「とりあえずしていた仕事」の「辞職願」を出す決意をしたのでした。

その3日か4日後の20日に、あの「地下鉄サリン事件」が起きました。六本木と神谷町の駅の間でサリンの異臭が起きたということでした。私はこのニュースを耳にした時に、私の中にも何かが終わったことを自覚したのです。それは私にとっての狂信的な思い込み、つまり「美術を研究する」役割という大きな勘違いの終焉と読み解きました。私は何かに向かって広く美術を学ぶ時期ではあったのですが、それが仕事になるのではなく、それを糧にして「美術をする」側の能力を持っていたことにようやく気づいたのです。しかし、その道程はとても険しく、常識では無謀な判断のようにしか思えませんでした。しかし、私にはもうこの道しかないと思う程に、自分の存在を持って行く場所が他になくなっていたのです。

その地点で、それまで少しずつ作品を描きためてはいたものの、周囲の人を説得するような理由や立証できるような成果は何もありませんでした。そしてまず「個展をしながら生きてみよう」と決意し、これまでの生活が全く変わってしまう事の大きな不安がある一方で、それでもその強い衝撃と不確かな直感に身をゆだねることにしたのです。ゆだねるというよりも、自分をためしてみよう、という気持ちの方が正確かもしれません。それがエマソンの「自己信頼」に値するものであったのかどうか,今もってはっきりとは判断出来ません。しかし、エマソンによると、その人の確固とした意志というよりも、もっと自然の成り行きに身を任せるような本能的な選択というもののようですから、やはりこれにあてはまるのかもしれません。

『実際の生活においては自然が意志に優越します。歴史においては、私たちが考えるほど意志は働いていません。私たちはカエサルやナポレオンの深遠で洞察に満ちた構想があったと思っていますが、彼らの力の真髄は自然にこそ備わっていたのであり、彼ら自身に備わっていたのではありません。彼らが成功したのは思いの進み行くままにその身をまかせたからであり、その思いもまた彼らのなかに障害のない道を見出したからなのです。そして、彼らが目に見える案内役となったゆえに実現した驚くべき成果が、彼ら自身の行いであったかのように見えるということなのです。』(「精神の法則」)

私が制作をすることに関して言えば、それをする分には何ら支障が起きることがありません。1995年から発表活動をして来ましたが、その間に起きた問題というのは常に制作以外のことに手を伸ばした場合のみです。その度に「余計な雑念を捨てて、制作に集中しなさい」と叱られているような気になります(苦笑)。思えばいろいろなことがありました。そしてもう制作はできないのではないかと事態にいたっても、何もせずにはいられなくて、やはりキャンバスに向かっている自分があります。

制作をして、一つまた二つと作品が完成してしまうと、それはもう手から離れてしまい、自分のものではないという感じになります。もちろん出来上がると嬉しいし、しばらくは「こういうものを制作出来る力がまだ自分の中に眠っているのか」とつくづく思いますが、もう次の制作の事に気持ちが移ってしまうのです。うまく出来ているなと思います。だいたい完成のちょっと手前で、その作品では出来なかったことが見えて来ます。それをその作品に入れてしまうと、また一から作り直すことになるので、それは次の作品にすることにします。それが消えないうちに、次のキャンバスの下地作りを始めることになります。

今は10号のキャンバスに向かっています。130号の作品で起きたアイデアを試しているのです。これがだいたい思うように行っているので、もっと内容を膨らませて100号の作品にしたいと思い、昨日木枠を組み立てました。10号キャンバスの隣では、30号キャンバスの地塗りが始まっています。これは来月KANEKO ART TOKYOに送るつもりで用意しているものです。130号の新作では、最初から構図をある程度決めておくといかに制作がはかどるかを今更ながら実感しましたので、そこでは使わなかった別の構図をこの30号で試してみようと思っています。

構図はいつも買い物がてら、空を見上げて教えてもらいます。空にいつもヒントが用意されているのです。昨日も素晴らしく気持ちの良い空でした。シンプルなのに複雑で、必ずはっとするような恵みがあります。それをスケッチすることはなく、身体の中に記憶させます。何かを見ながら写して描くという事を私はしません。目はいつも制作するキャンバスを見ていたいからです。記憶したものがスクラッチの時に手の動きになって流れ出て来ます。空の雲の形状と配置は、目に見えない大気の動き、風の成せる技だからです。この風を自分の中に持つのです。そして目にははっきり見えなくなる下地のスクラッチに入れるのです。

自然と共に生き、制作する事が今の私の幸せです。

私の調書

今、JR長野駅構内には、長野県立信濃美術館で開催中の池田満寿夫展の大きな広告が掲示されています。このポスターの池田満寿夫の顔は、自身の肖像写真を使ったシルクスクリーンの作品を取りあげたものです。この作品を表紙にした、池田氏自身の著作『私の調書』という本を以前所有していました。鎌倉の小町通りの古本屋で、確か1000円くらいで買い求めたものでした。国際的に活躍している当時の生き生きとした様子が窺い知れる、わくわくするような著作です。この本は残念ながら、引っ越す前に売り払ってしまいました。今思えば、もう少し手元に置いておいても良かったかもしれません。本は沢山読みますが、それを所有しているとキリがありませんから。本はキレイによく読んで、後は必要とする人に手放すというのが私の習慣になっています。

「調書」ということを、思い出したのは、一昨日近くの交番に落とし物の件で相談に行って、むしろ私が事情徴収を受けたからです。そこでなぜ私が不信に思われなければならないのか、不愉快な気持ちにさせられました。そこで自分という者が何者であるかということは、案外顔に書いてありませんから、知らない土地では不便なものだと思った次第です。

私の父方は、もともと四国の高松出身です。家紋の「上り藤に三階松」は高松の殿様から頂いたものだそうです。庄屋としてその地域をよく治めたそうで、家紋の使用を許されたそうです。しかし、明治に入って廃藩置県となり、川田家は殿様もろとも北海道開拓のために大移動をしました。この話しは、映画『北の零年』に垣間見ることができます。映画では沈没した船に乗り込んでいて亡くなった川田姓の人が何人も読み上げられるシーンが出て来ます。高松には川田という名字が沢山集まっている地域が今でもあるそうなのです。我が家の先祖は、船で四国を出た折りは、手持ち金品の一部を塩にかえて乗り組んだそうですが、途中嵐にあって、その大半が海に流れそうになったため、皆が着ていた、あるいは持っていた衣服全部に塩を染み込ませたという話しです。この先祖は、かなりの大酒飲みで有名だったそうで、亡くなった時には、棺桶に生前集めていた舶来物のブランデーの瓶を入れたそうです。このご先祖様とどういう関係にあるのかは、はっきりわからないのですが、遠い親戚に川田男爵という人が有名です。この人が男爵芋を北海道で栽培するよう力を尽くしたのです。それで男爵芋という名前が残っています。この人の系統に川田文一という造船会社を設立した人がいまして、父はその人から漢字二文字をもらって名づけられたそうです。北海道開拓時代は、当初は大変大きな一族だったようですが、開拓の厳しさに次第に分離し、父も幼少は婆やがいたようですが、火事やら親族のごたごたで、北海道から出た後は、生まれた土地にあまり帰りたくない様子でした。

母方の曾祖父は、郵便局長をしていた人ですが、その妻すなわち私の曾祖母は、岩崎弥太郎が別荘に来ている間に見初められて、子供たちの御養育係に抜擢され、長年岩崎家に勤めた人でした。母はその曾祖母に育てられ、お花やお茶などの稽古ごとを幼い頃から学ぶ機会に恵まれました。子供の教育にとても厳しい人だったようです。その家に嫁いだ祖母は、厚木で大きな絹問屋をしていた家の三女として生まれました。その家は絹の貿易で名を成した、三渓園で有名な原敬の家と関係があったそうです。原家に養女として貰い受けたいと申し出があったそうで、相当しつこく説得されたようですが、祖母は幼いながらに、苦労はしたくないと断ったそうです。母はその話を残念がりますが、もし養女に出ていたら、今の母も私も存在しません。

祖母は蝶よ花よと育てられ、「厚木小町」と噂された人です。大正時代の娘時代の写真を見せてもらったことがありますが、洋装に、短髪、モガ(モダンガール)と呼ばれる当時流行の最先端を行く女性でした。婦人運動もしたそうです。「関東大震災の際は、大磯の駅に居て、随分揺れたけれど、それ程怖いとは思わなかった」と言う、丙午歳生れの豪傑です。6人の娘と息子1人を生み、戦争で誰一人失う事が無かった、というのが自慢の一つです。今年数えで107才になりますが、未だ一族のゴットマザーとして健在です。

私は誰に似たのか、という話になると、祖母曰く、私の曾祖父の弟にあたる人が、東京の美術学校に通って勉強したそうで、その人の血筋ではないかと言います。私の叔母の一人にやはり美術教師をしていた人がいますので、そういうこともあるのかなと思います。この曾祖父の弟という人は、浜から爺やが小舟を出して、最初は毎朝東京の学校まで通ったのだそうですが、天気の悪い日に通えないこともあり、都内に和菓子屋を出店し、その1階で爺やが店番し、そこから学校へ通ったそうです。しかし、惜しいことに若く亡くなっています。本当に残念です。一方曾祖父は長生きでした。祖父よりも長生きし、病気知らずで、最後は老衰で眠るようにして静かに亡くなりました。私の幼い記憶にも残っている懐かしい人です。

祖母は母方の血筋を主張しますが、私が画家である影響は、一重に父の影響に間違いはありません。父は今の武蔵野美術大学を大学にする運動をした人でした。「髭の川田」と言えば当時の人は覚えているそうです。3つ程上の先輩に水木しげるさんが居たそうで、卒業制作展で、妖怪のような暗い油絵を出品されたのを見たことがあると言っておりました。武蔵美に当時講師で教えに来ていた山口薫に父は師事し、卒業制作は油絵の抽象絵画でした。その作品は、長く物置に置いてありました。緑色の田園を彷彿させ、ドローネのような太陽の表現も見られました。国画会に出品していた時期もあったようです。物置には、kusakabeのチューブ絵具が沢山残されていましたが、生前に描いている姿を見ることはありませんでした。書道との出会いで、書の方に向かったのです。沢山の書物に囲まれて生活しましたが、自己の表現を追求するということがありませんでした。

絵を描く技術を持つ人は、世に沢山いると思います。しかし、その技術で一生をかけて自分にしか出来ない表現に取り組む勇気や意欲を持てず、苦悩する人もまた多いのです。父は自己を育てる大切な時期が戦争と重なり、その機を失ったのではないかと私は理解しています。

ですから私は幼い頃書家として育てようと、毎日臨書をさせられました。しかしある日を境に「人の書いた文字を真似るのは嫌です」ときっぱり断ったのです。父は「二度と教えないからな!」と激怒しました。幼いながら私には確信がありました。「人と同じことをしない」これは私の本当の気持ちから出た本心です。それは本当に正しかったと今でも思います。これまでに自分を貫く事が人生で何度も試されました。

私が生まれるには、多くのご先祖様が必要でした。それはそれで感謝しなければなりませんが、しかしそれらのしがらみに自分を失ってしまったら、絵を描く事を貫き通せません。何度も何度も自分を見極めて、それらの家系というものから自分を引きはがさなければなりません。なぜなら普遍の存在として制作することが出来なければならないからです。親の言いなり、家族のことで遠慮していては、自己表現が見極められないものなのです。

昨日は父の命日でした。また今年も暑い夏がやって来ます。夜、庭で蛙が鳴くようになりました。
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博物館あちこち

以前書いた「図書館あちこち」の記事がご好評でしたので、今回は私の秘密の聖地、博物館のご紹介を致します。

私は大学1年生から博物館でアルバイトをしていました。横浜館内、馬車道にある神奈川県立歴史博物館。当時は自然系も合同だったので、神奈川県立博物館という名前でした。その後、小田原の地球博物館と分離して、歴史博物館となりました。ここで9年程お世話になりました。いろいろな学芸員のお手伝いをしましたが、一番多かったのは、収蔵庫の資料整理でした。

この建物は、旧横浜正金銀行を再利用したもので、ルネッサンス様式の青銅葺きのドームを持っていまして、石造りの立派な明治建築です。収蔵庫はもともと銀行の金庫。この中を総檜作りに改造したものでした。ここに学芸員と入って、絵巻物や掛け軸、浮世絵等を記録に残す仕事を手伝いました。また、浮世絵をタトウに入れて、仮額用のマットを切る仕事もしました。浮世絵を保存し、いつでも額に入れて展示出来る準備が必要なのです。浮世絵版画の彩色や細かい線描を間近で鑑賞出来る機会に恵まれました。館内には専用の写真室もあり、職員のカメラマンが女性で、この人の撮影した収蔵品の写真整理もしました。よく二人で遅くまで飲んだものでした。

当時は学芸員が沢山いましたから、毎晩のようにお酒の席があり、大学研究機関の人たちや近くの博物館、美術館の学芸員が立寄り、とても賑やかで活気溢れていました。鯨の研究をされている学芸員が南極で調査したついでに氷を持ち帰り、ウィスキーのロックを楽しむ会もありました。何がそれ程魅力的で人が集まるかと言えば、一重にこの建物の風情やロケーションも加味されてのことだったように思います。近くにはレンガ倉庫、中華街や山下公園などもあり、また町自体が古い洋館の建築物を残しています。

博物館の展示はとても地味です。有名な源頼朝像の掛け軸は、ずっと源頼朝のままだし、鎌倉時代の仏像はいつ見ても同じ姿をしています。しかしとても落ち着く場所なのです。建物の歴史的な重みを感じるからでしょう。今年で108年を迎える建物です。

この博物館とセットなのが、近くのレストラン馬車道十番館です。外人墓地にある山手十番館の本店だったと思います。私はどちらかというと馬車道の方が好きです。中二階に英国風酒場がありまして、そこでカクテルを飲むのが粋です。家具や内装も明治のスタイルで昔から変わりません。

もうひとつご紹介は、上野の東京国立博物館。もっぱら常設展と東洋館が好きで見に行きます。常設展示で見たいものが沢山あります、長谷川等伯の松林図屏風はもちろん、曜変天目茶碗、五百羅漢図の絵巻物はいつでも見たいものです。そして中庭の風情や、休憩場のタイル装飾も子供の時からずっと変わらないまま。その場所が自分の家であったらどんなに幸せだろうかと思うものです。昔の建物は、天井も高く、壁も厚く、床もしっかりしていますから、耳障りな反響がありません。東洋館(2013年まで耐震補強工事のため閉館中)は昭和に建てられましたから、あまり建物自体に魅力はありませんが、展示物はいつも興味深いものが展示替えされていて、勉強になります。アジアの呪術的な意味を持つ文様の織物や、銀製の手鏡の裏の詩文、漆器の深い色合い、青磁や陶磁器の焼き物の質感。何もかもが創造を掻き立てます。

そしてたまに本当に気心が知れて、この人はと思う時にご案内する場所があります。それが法隆寺宝物館です。ここの素晴らしさは、まず建物に入る手前の水辺を渡る橋から、見る準備が整います。建築自体は新しい建築様式なので、最初はピンときませんが、この中に入ると、独特の雰囲気が用意されています。何と説明したら良いのかわかりません。ここにしかない雰囲気なのです。お寺でもない、お化け屋敷でもない(笑)、教会でもない、信仰とか宗教をまったく取外した聖地というものを表現したのだと私は解釈しています。銅製の百済観音菩薩立像が何十体も立ち並んでいます。これは廃仏毀釈の際に、法隆寺から国が寄贈を迫ったものと聞いています。それがいいことだったのか、信仰の対象としてどうなのかという疑問は、私ごときが判断する内容を越えています。そういう歴史の深層をふと覗いて圧倒されるようなものがそこにあるのです。それが聖地と私が見做す所以です。

この法隆寺宝物館の1階には、ホテル大倉のミニレストランが出店しています。内容とお値段がどうかなと思う方には向きませんが、静かに上野で食事をしたい方には穴場です。まず法隆寺宝物館は、人々が素通りする場所にあり、めったに混むことがありません。でもお昼時をちょっと外してご利用下さい。

国立博物館で法隆寺宝物館まで見てしまうと、必ず閉館ギリギリになります。夕飯も上野でということでしたら、最後にお勧めは、森鴎外ゆかりの鴎外荘です。ここは水月ホテルというのが経営していますので、宿泊も出来ますが、お座敷でゆっくり食事をとるのに快適です。古い佇まいが落ち着きます。本格的な懐石料理というほど気取った場所でもありません。上野に行った話しのついでに寄ってみようという場所です。ビジネスプランの宿泊ですと、お料理付きでもかなりお安いです。

上野はその他、不忍池の鰻屋伊豆栄が有名です。もう長く行ったことがありませんが。

長野では長野県立歴史館があるということなので、その内出かけてみようと思っています。今は「長野県の満州移民」の企画展中です。池田満寿夫も満州帰りの人でした。この度お便りを頂いた方々の中に、池田満寿夫と同じ長野県立高校の2つ下の後輩であった人や、小学生の頃池田先生に絵を習ったという人がいらっしゃることを初めて知りました。満州帰りという人たちがどういう運命を背負っていたのか、池田満寿夫を通して知りたい衝動に駆られています。

博物館の素晴らしさは、その土地の歴史、そこに住まう人たちのルーツやアイデンティティに出会える場所だからです。今を生きる事は大切なことですが、ハイデガーも言うように、今そして未来を生きるために、過去の歴史から生きる力を学ぶのです。そういう時間と場所を博物館が用意してくれています。
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自分を信じて生きること

最近、小学3年生の頃にはじめて泳げた時のことを思い出しました。
学校で泳げる人と泳げない人とに分けて、プール授業がはじまりました。
私はなぜか泳いだ事も無かったのに泳げる方に手を挙げてしまいました。
それは、泳いだことはないけれど、海に入ったことはあったので、
「きっと泳げる」と思ったのです。

でもいざプールに入ったら、やはり勇気が必要でした。
身体が浮くようには思えないし、息を止めておくのも苦しいですし...。

でも担任の先生は、根気づよく「顔を水に入れられれば、大丈夫」と励ましてくれました。
けっして「本当は泳げないんじゃないか」などと言ったりはしなかったのです。
身体が浮くまで、真剣に見守ってくれました。
そのおかげで、10分もしない内に泳げるようになったのです。
嬉しくて嬉しくて仕方ありませんでした。
泳げる事がこんなに楽しいとは想像もしていないことでした。
その夏は、何度もプールに通ったものでした。

今長野で、そういうことをしているのではないかと思うことがあります。
思い切って長野に飛び込んだのです。もう後には引けません。
そしてただもう絵を制作して生きて行くしかないのです。

不安というのは、いくらでも考えつきます。
用心に越したことはありませんが、しかし恐怖にすくんで動けなくなるのは、
不安のためではなく、自分の弱さのせいです。
何もできないと思い込むことで、何もできなくなるのに違いありません。
たとえ綱の上を歩いていたとしても、あたかも大橋を渡るかのように、前を向いて進むのです。
たとえ息が苦しくても、それを上回る喜びに目を向けて、自分を信じてみようと思います。

芸術制作には、いろいろな側面がありますが、やはり厳しい世界に身を置いていることは事実です。
そういう厳しさに目をそらさずに、自分を信じたその先に、
大きな喜びがもたらされるものだと思っています。

今月も乗り越えることができそうです。本当にありがとうございました。

相模原の樹氷

今朝、相模原でも樹氷が見れました。
山形まで樹氷を見に旅したことは、もう2年前のこと。

今この時を待てば、樹氷はすぐ近くに見られたものを。。。(苦笑)。

相模原の樹氷は、暖かな日差しを受けて、一瞬で姿を消しました。

その潔さと、儚さと、美しさ。

人生もまた、然りです。

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こんな秋晴れの日に、懐かしい歌謡曲の話し、芸術の話し

最近、ネットサーフィンをしていて、少しハマっていたことがあります(笑)。あの懐かしい歌謡曲が、YOU TUBEでいつでも楽しめるのです。当時はテレビで流し見をしていたような場面も、繰り返し好きな時に自分で選んで聞いたり、見ることができます。最初はただただ懐かしいと喜んでいただけでしたが、次第に懐かしのアイドルがブログを書いて、いまでもコンサートをしていることを発見したり、はたまた現役中学生女子が、なんと70年代アイドル歌謡を紹介しているサイトもあったりと、ネットの中だけでもかなりの情報を得ることができました。

当時、実は私はかなりひねくれていて、「歌謡曲?ふ~ん。。。私はブリティッシュ・ハードロックが好きだから。。。」とか言って恰好付けていました(苦笑)。でも、そんな私であっても「ザ・ベストテン」とか「ヤング・オーオー」というような番組は妹と見ていました。そのくらい、当時のテレビの歌謡番組には絶大なパワーがありました。

西城秀樹、野口五郎、郷ひろみ、麻丘めぐみ、アグネスチャン、桜田純子、山口百恵、沢田研二、フィンガー5。。。。どの曲も、歌うなと言われても曲が流れれば、カラオケで歌えます。意外ですか?本当は演歌も、かなり歌えます(これについてはまた別の機会に)。。。画家はここまで暴露してはまずいでしょうか?(爆)さすがにここ数年はカラオケに行くこともなくなりましたけど。。。ね。

そんなことをしている内に、次第に「歌謡曲」って一体何だったんだろう?あの誰もが熱狂した音楽は、その後どうなったのだろうか?と気になり始めました。

すると、一人の作詞家の名前が浮上して来たのです。その名も「阿久悠」聞き慣れた曲のほとんどが、この人の作詞によるものでした。

ピンクレディの「ペッパー警部」「サウスポー」フィンガー5の「個人授業」「恋のダイヤル6700」などなどをはじめとして、5000曲あまりの偉業。。。ただただ驚くばかりです。そして、その詞の内容を改めて文字で読んでみると、何といいますか(汗)。。今の私には何だかくすぐったいような、恥ずかしいような感じもするのがまた新鮮です。

例えば、「あの嫌な悪党番長も~♪」(フィンガー5「個人授業」より)今はもう「番長」って死語かも。。。と、つい思いました。でもどうしてあんなに皆夢中になったかと言えば、その当時の時代の息吹たる時代の言葉が詞に盛り込まれ、憧れのアイドルがテレビの中で歌うことに、新しさや自由さを感じたに違いありません。

しかし、この歌謡曲全盛時代にしてもシンガーソングライター、ニューミュージックの台頭を迎え、時代とともに力を失って行ったそうです。これについては、阿久悠氏の追悼特別番組で秋元康氏が解説していますので、ご興味のある人はYOU TUBEで探してみて下さい。

秋元康氏によると、阿久悠氏の仕事は単に作詞家にとどまらず、トータルに歌謡界を創り上げて行ったことに、その偉業たる所以があるということです。例えば自分の作詞の歌をどのような歌手に歌わせたらよいか?そこから「スター誕生」という番組の企画をつくり、自ら審査し、そこで多くのアイドルを発掘したのです。その熱はおそらく聞く側にも多くの夢や希望を与えたに違いありません。つまり、アイドルを創ること、それをテレビ番組にすること、大衆を夢中にさせること、全てをトータルにコーディネートする仕事になっているのです。

ここまで来ると、マクルーハンのメディア論をつい読み返したくなるような、深い内容ですね。

とても興味深いことは、それだけではありません。阿久氏の理論では、歌謡曲は、大衆に夢や希望、明日への活力を与えるためにつくられ、歌われるものであるのに対し、その後のシンガーソングライターの詩やブロガーたちの文章を「極めて個人的な体験を誰のためでもなく開示する時代にあって、そこにあるのは単なる共感にすぎない」というような批判めいた見解で、その時代の到来と共に、人々の関心は歌謡曲から離れて行ったのだと分析されています。これについて秋元氏が同番組で、「ヘッドホンで一人一人が孤独に音楽を楽しめるようになって、求める音楽が変わって行った」のだと解説されていることもなるほどと思いました。

メディアそのもの自体が、人々の意識を変える、見る世界を変える。そうかもしれませんね。そして、ひとつ前の古くなったメディアこそが、実は芸術に昇格するというようなことも、マクルーハン理論に書かれていたことを思い出しました。

舞台俳優が、映画俳優になる時に多くの軋轢にさえなまれた時代があったこと、やがては、映画俳優がテレビ番組に登場することへのプッシング等々。。。新しいものは常に古くなった殻を破らなくてはならない瞬間があります。そしてその前の古い世界が、一段敷居が高くなり、芸術として秀でることになぜかなります(苦笑)。

例えば教会の装飾としての壁画にしても、絵画にしても版画等の版画・印刷技術が発明されると、なぜかとてもありがたい希少なものにの昇格しました。しかしその版画・印刷技術にしても、写真が発明されると、より希少な手技が評価されて芸術として貴重なものになって行きます。おそらく写真はそろそろデジタルの台頭により、その芸術性がより拡大評価されて再考が行われるはずです。マクルーハンは、テレビでさえも芸術になる時が必ず来ると指摘していますから。

と、このように芸術とは摩訶不思議なものであります。芸術は固定されてはいないのです。時代とともに変化し拡大し、変容を遂げます。芸術とは何かを語ることは、すなわち私たちがどのような世界を見ようとしているかということと関係があるからです。

ところで、出版、本の世界もインターネットの台頭で存在の危機や意味が論じられる時代にあって、本もやがて芸術品になるということは自然の摂理と言えましょう。私の友人の足立涼子さんからフランクフルトの工芸美術館での作品出品のご案内がメールで届きました。彼女は本というメデイアを芸術作品の域に高める仕事で、今最も輝いている作家です。

これは余談ですが、彼女との出会いは、実はずっと昔に遡り工作舎の雑誌『脳がつくる形』に、私のエッセイが掲載された時に、彼女の文章も掲載されていたことから始まるらしいのですが、(その時はまるで面識がありませんでした)、ずっと後になってから、偶然バッタリ銀座の某ホテルで何の脈絡も無く知り合いました。きっと縁が繋がっているのでしょう。

足立涼子さんのサイトはこちらから

今日のような、少し冷えた朝の気候は、ドイツの空気を思い出させます。またドイツに行くような機会はあるのでしょうか?たまにはぶらっと、海外に出掛けてみるのもいいかもしれませんね。

「ままならない」「思うようにはいかない」ことが現実を生きる喜び

「芸術を志すとは、必ずしも芸術作品をつくるだけのことではない」ということを最近強く感じるようになりました。

 芸術活動の出来る条件に恵まれる人は、社会に多数存在するものではありませんし、それほど多く必要とされるわけではありません。むしろ現代社会のさまざまな分野では、創造的に生きることのできる人、新しい社会を積極的につくろうという魅力的な人、もしかしたら芸術家を自負するような魅力的な生き方そのものなのではないか、と切実に感じます。

 芸術が社会に果たす役割は、制作されたそのもの自体の価値や評価にとどまるものではなく、それを取り囲む「文化や社会全体の意識や観念、創造的な活動を引き起こす源泉」になること、あるいは逆説的には美術作品とは、そういう社会的な無意識をも含む意識のひとつの凝縮され、集約された結晶のようなものとも言えるかもしれません。そして、それらは卵が先かにわとりが先か、と同じように同時に存在するのでしょう。

 つまり人が従来の既成概念を崩して、新しい観念を生む時、あるいはそれを人類自体が必要とした時に、純粋な形で、多くの人に影響力を与える形で、新しい芸術作品が形になって見えるようになるにしても、本来重要なのは、そういう美術意識を可能にした、あるいはそれを新しい意識として享受できる人間、美(術)意識を取り囲む社会が存在するからこそ、それが可能になったという見方もできると思うのです。そうであるとしたら、受けとめる人々が存在しなければ、いくら芸術家がつくり続けても、それを感受されない、社会で必要としない、存在しないも同然という事態になるわけです。

 しかし、それも現実の真の姿です。完璧で個人の都合に合うような現実などはありません。もしそういうことがあれば、それは人間の作為がつくりだした不自然なことであり、それはすぐにボロを出して崩壊します。ボロとは、人間や自然を無理矢理その作為に押し込めて、かえって問題を悪化させる、苦悩を生み出すということになりかねない、ということです。

 「ままならない」「思うようにはいかない」そのことに出会うことが驚きであり、現実を生きているリアリティであり、喜びなのです。そしてそれを受け入れ、その運命に身をゆだねる、それを信じる、それを活かして生きていくのが、自分にとって一番合っているようです。私は自分の制作づくりから、そういことを経験的に知っていたはずなのです。

 しかし長い間制作を続け、その行為が習慣化し、順調になり、とても楽にできるようになってしまうと、そういうことを忘れていくのです。ここへ来て、もっと難しいこと、苦悩や混乱を生み出す努力、そこへ飛び込む勇気が必要になって来たことをひしひしと感じています。

 まったくもって、私の人生というのは、ままなりませんね(苦笑&歓喜)。