2017年06月24日 大腿骨頸基部骨折4年半後

昨日、病院で右の骨折部分と脊髄のMRI撮影をしてもらい、医師の診察を受けて来ました。
私はCTの撮影は経験したことがあったのですが、MRIはどうやらはじめてのようです。
これら二つを混同していたかもしれません。

MRIは、狭いドーム型の筒の中に入って、20分程かけて撮影されます。
ダダダダ、ウィーン、ドドドドッ、ガガガ....、というように、
うるさい音がしますが、造影注射を打たれることはありません。
その代わり、20分ずっと動かないで仰向けに寝ていなければならず、とても緊張しました。

撮影された画像は、すぐに医師の診察室のPC上に届くようで、それを見ながらお話を伺いました。
親切にも、プリントアウトしたものをお土産?に頂いて来ました。
よく考えてみると、私の股の中身がそのまま映されているわけで、
人によっては破廉恥極まりない!と嫌がれるかもとも思いましたが、
私自身は、人間の身体のどこも恥ずかしいとは思わない方なので、
「人によっては、気分を損ねる場合のある画像がありますので、ご注意下さい!」
と警告して、恥ずかしげもなく、この記事の最後に画像をアップ致します。

刺激の強い画像に弱い方は、絶対に画像を見ないよう、早めにスルーして下さい。

下の画像からもわかりますように、右大腿骨頸基部をボルトでしっかり接合されておりまして、
長野で受けた接合手術は、とても上手く行っている、とのことでした。
しかしながら残念なことに、頸基部の変形が始まって、
左と比較しても少し小さくなっていると指摘されました。

これはどういうことかというと、本来は頸基部の付け根の血管から、骨が栄養を得て形を維持しているのですが、この血管が損なわれた場合は、骨の反対側の血管から栄養をカバーすることになって、なかなか栄養が充分届かず、骨の変形が始まるという事でした。

しかし、私が昨年夏に長野市の病院でレントゲンを撮った時から、それほど形が変形しているようには思えなかったので、事によると、この状態から変形が進行しないのではないか、と内心楽観的にお話しを伺いました。

医師は、「とにかくこの状態を維持しないと、やがては人工の頸基部に変えるか、人工股関節にする大手術を受けなくてはならない事態になる可能性もあるので、次の事をよ〜く注意して生活するように」と、ご忠告下さいました。

1.重いものは絶対に持たない。
2.あまり長い距離を続けて歩かない。
3.変な傷みが出たら、絶対に無理せず、安静にする。
4.歩かずにいると、今度は筋肉が萎えてしまうので、自転車に乗ること。
5.自転車も、坂が多い場合は負担になるので、電動のアシスト付きの自転車が良い。
6.運動としては、水泳が最も好ましい。
7.定期的にレントゲン撮影し、変形が進んでいないかどうかをチェックすることも大切。

ということでした。
これまでちょっと勘違いしていたところがあります。

運動不足で筋肉が萎えてしまうといけないと思い、少し無理して歩くようにしていた事。
昨年はヨガで、無理な動きをしてしまったこと、右片脚になってお祈りのポーズみたいなのも意地になってやってしまっていました(汗)その時にちょっと骨が削れてしまったとも限りません(痛)

つくづく気をつけなければならないことは、
「良くしよう」とか「治そう」と、ついしてしまうことです。
そして、「安静にする」ことを「怠けている」とか「あきらめてしまう」とか
「ほったらかしにしている」と思ってしまう事です。

昨今は、運動を良くする事や、よく歩く事をしきりに美徳として持ち上げますが、
それが当てはまる場合とそうでない場合があることを、よく注意する必要がありそうです。

人それぞれに身体の事情は異なるので、一概に人に運動や健康法を、
あたかもよく知っているかのように忠告する事は、とても危険なことです。

人間の身体について、人間が解明していることはほんのわずかなことであり、
実はほとんどわかっていないことの方が多いからに違いありません。

私の右足も、ことによると最悪の事態になる事もあるのかもしれませんが、またもしかしたら何か運の良いことが身体の中で起こって、案外このままの状態を維持して行く事も出来るのかも知れません。

それにしても今回の引っ越しで、沢山の所持品を処分する際に、その中にはとても重いものが多く、かなりの負担を自分の身体に強いてしまいました。今後は、よく自分の身体の事情をわきまえて、丁寧な扱い方をして行くよう、自省したのでした。

2017年6月22日 軽井沢でかろやかな南欧料理

母が先日軽井沢に来た際に、引っ越しのお祝いに、
自宅直ぐ近くの南欧レストラン『ル・ボン・ヴィボン』で、ランチをご馳走してくれました。
年老いて軽井沢まで来るのは、本当にギリギリのことなのですが、
美味しいものがどうしても食べたいとなると、
どんなに乗り換えが難しくても軽井沢までは辿り着けるようです。

軽井沢のグルメが集まる塩沢通り、そのわかりやすい、そしてとても静かな場所にお店はあります。

お食事内容に十分満足した上に、レストランのシェフから、とても良いお話しを伺うことが出来ました。

ランチの最後のデザートを堪能して、母と寛いでいると、
厨房からシェフが世て来られてご挨拶下さいました。

「どのお料理も食べやすく、とても爽やかで満足しています。
フランス料理というと、こってりとした重い印象がありますが...。」と、私。
それ程、フランス料理を食べる経験を積んでいるわけではないのですが、
ちょっと気取って、そうお話ししてしまいました(汗)

すると、気さくにシェフが、
「今は、フランスでも軽めの傾向が主流です。
世界的な流れが、フランスにも影響しているようです。」と仰っていました。

何気ない話でしたが、私にとっては、とても腑に落ちるというか、
重要な話を伺った次第で、あれからずっとこの言葉を反芻しています。

私の取るに足らない半生を振り返ってみましても、学生時代のセンスや価値観と比べてみて、
今とはかなり変化があるように感じています。
その変化を大まかに拾い上げて言葉にしてみると、
私の語彙力では一言になりませんが、次のような言葉を並べることが出来ます。

重厚よりもかろやかさ。
デコレーションよりもシンプルさ。
充実よりも余白。
深みよりも淡さ。
構造的よりもしなやかさ。
大きさよりもコンパクト。
格調高さよりも気軽さ。
濃厚よりも淡麗。
暗さよりも明るさ。
硬さよりも柔らかさ。

こういう変化が私だけが見ている狭い世界のことというよりも、
地球全体の一つの現象として捉えるとしたらどういうことが言えるだろうか?
そうしばらく考えているところです。

そうすると私の頭の中でこのような動画が動き出します。

何か一つの黒っぽい固い金属のような物質があって、
それが中心からの熱でだんだん温まり、次第に膨らんで行く。
そして、その膨らみと共に、籠目状に隙間が出来て行って、
中の熱の光が透けて見えて来て、その隙間がどんどん開き、
籠目もやがて形を失いながらも、その膨らみは、球体の形を失うことなく膨張していく。

決して爆発することはないけれど、次第に形の崩れていく部分が出来たりしながら、
そのバランスを取り戻すために、流動的に変形しながら、
どんどん淡い存在へと格調していく。まるでそれがシャボン玉のように、
明るい虹色の様々な色筋を見せながら、
表面がゆっくりと動きながら放射状に周囲に拡散して行く。

そういう現象の中に、私たちも取り込まれているような気がして来たのです。

そもそも人間が生命を得て、大人へと成長するというのも、この膨張と関係があるのかもしれません。
そして宇宙にしても、人間にしてもやがて闇というものになって、
そして繰り返し活動の循環の中に投げ込まれていくのやもしれません。

美術作品にしても、この半世紀を顧みても、そのような現象を見せているように感じてなりません。

こうした現象は、次にどのように変化して行くのでしょうか?
またもとの固い世界に収縮していくものなのでしょうか?
しばらく考えながら、制作にも取り込んで行ければと考えているところです。

2017年6月14日 キャンバスの解体


昨日は霧に包まれる軽井沢を初めて体験しました。

今日は打って変わってとても天気の良い、暑いくらいの1日でした。

母が明日この家に来るので、大作の3点ほどを壊して、
北の部屋をなるべく広くなるようにしました。
壊すというと語弊がありますが、もともとキャンバス絵画というものは、
木枠とキャンバス布とを簡単に取外し、木枠はばらばらにしてひとまとめに出来、
作品画面は外側に画面になるようくるくるとまるめて保管出来るものなのです。
作家が海外の展覧会などに発送する時、運賃を安くするためにこの形にしてで送る場合が多いです。
もちろん展示現場で、組み立て直さなければなりませんが。

100号以上の大作となると、なかなか骨の折れる作業です。
足の不調で踏ん張りが効かないのが、最大のネックです。
今後数年のうちには、アシスタントを雇うだけの力量を養わなければならないかもしれません。

午後からは、サンルームの天窓の日除けに、
持っていた天竺を手縫いして天幕を取り付けてみました。

今朝からずっとカラスがよく鳴いていたことと関係があるのかどうか、
母のようすが、今日は不安定でした。
軽井沢に行くということでやはり緊張や負担もあるのかもしれません。
放っておくわけにも行かず、常に我慢我慢でした。

制作は順調です。M15号の新作は、「流れ流れて」としたり「流れゆく」と戻ってみたりとなっています。

2017年6月12日 中軽井沢図書館

​今日はもとても良い天気で、アトリエに籠っているのはもったいないほどでした。
午前中は、道具棚の整理をして、しばらく制作に集中し、
夕方中軽井沢の郵便局に行きました。
浅間山を見ながらゆっくり裏道を通ってみました。

足が良く動けば、あっという間に歩けてしまうような距離なのに、
思うように足が動かず、じれったいほどです。
でも急いだところで何の意味もありません
。ゆっくり歩く方が、自然の様子に目が行き届き、
制作にアイデアをもらえるかもしれないのですから、
慌てる必要など何もないのです。

郵便局から駅までは、本当にすぐそばなので、図書館にも寄ってみました。
読みたいという本に今日は残念ながら巡り合うことが出来ませんでしたが、
中軽井沢駅の図書館は、とても落ち着く建物で、これからしばしば通ってしまいそうです。

帰り際に、気になっていたキッシュのお店『A-WOTO』さんで、
スペインの豚の足の塩漬けの干し肉というちょっと珍しいものを買って、
ワインと合いそうなので、カインズホームにも寄り、
安いチリ赤ワインを買って帰りました。

引っ越し作業に追われて疲れ切ったご褒美に、
プチ贅沢を楽しみ、
今はただただ無事の引っ越しに感謝ばかりしています。

2017年6月11日 ハルニレテラス

今日は、10:26の鬼押出し園行きバスに乗り、ハルニレテラスに出掛けました。
丸山珈琲の有機コーヒーを買うのが目的。

本店に行くか迷ったのですが、バスの時間の都合でハルニレテラスへ。
長野駅支店で見かけたことのある店員さんに声をかけられてびっくり。
彼女も6月1日付で、軽井沢に引っ越しをして、ハルニレテラス店で働くようになったとのことでした。
何という奇遇。これからは、有機コーヒーを買いにしょっちゅう通うことになるのかもしれません。

ハルニレテラスは、日曜日とあって、とても賑わっていました。
澤村のパンをもう少し買いたかったけれど、
有機コーヒーを2袋買ったため、あまり買わずに帰りました。
だからと言って、すごく買いたいパンがあったわけではなかったのでした。
たくさん買うことが必ずしも幸せというわけではありません。
これから少しずつ色々なパンを楽しんで行けばよいのです。

澤村のお店に飾られている版画は、
相模原時代に知り合った黒木周さんの作品かな?と思いました。

とても作風がお店にあっていると思いました。

現代作家の作品と一口に言っても、作家の性格や作品の作風によって、
飾られる場所も様々です。

私は、これからどのような意識で、軽井沢で制作して行くことになるだろうか?
このことはじっくり考えて行くべき課題になりそうです。

2017年6月10日 制作とWifi接続


昨日医師から、安静にと言われて、今日は1日アトリエで制作することにしました。
それにしても、とても良い天気で、窓の外を見るとつい、出かける計画を立てようとしてしまいます。
それでもとにかく、制作に専念することにしました。

M15号の新作は、「流れゆく」というような題名が頭の中をよぎりました。
ピンク色のダンマールワニス地に、白いテンペラハッチングで埋め尽くし、
これがどのように川のせせらぎになって行くのか、自分でも楽しみです。

制作の合間に、インターネット回線の作業。
をこれまでは、光回線のルーターから直接PCに繋いでいたのを、
今日は思い切って重い腰を上げて、TimeCapsule経由で、WIFI接続が出来るようにしました。

以前相模原で出来たのだから、必ず出来るはずと思いつつも、以前どのようにして接続したのか???

すっかり忘れている上に、TimeCapsuleも、もう随分長いこと、かれこれ10年くらい使っているように思うので、本当にこのまま使っていて大丈夫なのだろうか?とも思いつつ...、
どきどきしながら、接続に成功。とても嬉しかった。

1ヶ月ぶりに、ようやく制作に集中できる日を迎え、
改めてこの引っ越しが、無事に終わったことを実感した1日となりました。

2017年6月9日 右足の不調

5月31日に長野市から中軽井沢に引っ越しをしました。
お陰さまで無事に引っ越すことができたのですが、
その引っ越しの準備で、右足が思うように動かなくなりました。

とにかくこれまで何の不自由もなく動かして来た重い大作にも大変手こずる始末。
何とも情けないことこの上ありませんでした。
加齢のせいなのか、右足骨折の古傷のせいなのか...?
後半はしゃがむことすらできない事態にまで落居入りました。
毎晩シップを貼ってだましだまし乗り切った感じです。

引っ越し早々に、近くの病院で、右足の不調を診察してもらうことにしました。

担当医師は、レントゲンの画像を見せながら、背骨が曲がっていることや、
骨と骨の間の軟骨の変形などを差しながら、
神経を圧迫している可能性があることを説明されたのでした。

軽井沢の自然の中での散策を楽しみにしていただけに、
しばらく安静という診断は、とても残念。
しかし、身体は無理を受け付けないわけですから、従わなければなりません。

処方された薬はとてもよく効き、夜はいつになく身体をまっすぐにして眠ることが出来たのでした。

23日にまた受診して、MRIを撮影する予定です。

映画『沈黙ーサイレンスー』ー異文化の受容と排斥を考えさせられる

マーティン・スコセッシ監督映画『沈黙ーサイレンスー

例年になく雪の積る長野で、久しぶりに映画を見ました。
マーティン・スコセッシ監督作品『沈黙ーサイレンスー』です。

昨年から、YOU TUBEでプロモーションビデをを見ていて、とても楽しみにしていた映画です。
1月21日から公開ということで、昨日22日に見に行って参りました。

あのロバート・デ・ニーロ出演『タクシードライバー』を手がけたマーティン・スコセッシ監督が、遠藤周作の小説『沈黙』を、30年の年月を経て熟成した作品。出演者の顔ぶれにも見る前からわくわくさせられました。

素晴らしく年を重ね、ダスティン・ホフマン?というような大俳優になったイッセー尾形や、『シンドラーのリスト』で知られるヒューマニズム俳優リーアム・ニーソン、痛いやら危ういやらの俳優窪塚洋介。きっと映画一本にはおさまり切らない程の演技の多くは、ほとんどカットされて、わずかな氷山の一角がクールにまとめられているという印象がありました。

そういう意味では、イッセー尾形のもっともっと凄い演技力を見たいなーという余韻が残るとか、リーアム・ニーソンの活躍が少ないなとか、窪塚という俳優は太宰治の私小説のような俳優になったのだなとか、とにかく1本の映画に納まり切らないような背景に幾重もの重層を感じて、深い感動がありました。

内容に関しては、あまり触れないようにしなければなりませんが、とにかく深い内容です。宗教をテーマにしていますが、もっと言えば、異文化の受容と排斥の問題は、日本のみならず今この時代の世界に向けての大きな意味あるメッセージと受け止めました。

グローバリズムとナショナリズムという相反するベクトルがあるとすると、経済や宗教や文化というものが国と国の境を乗り越えたり壁を作ったりして、心地よい具合を時代に即して調整していると感じるわけですが、それを急進的に一方的に、ただ闇雲に盲信しているようなものでは、たとえキリスト教でも上手く行かなかったのだと、あらためてキリスト教の歴史や、日本の宗教基盤を振り返ることにもなりました。

日本人の宗教観とか、信仰のありかたは、やはり世界的にも類例のないものかもしれません。どこかで読んだ覚えがあるのですが、遠藤周作という人自身は、子供の頃から両親の影響でキリスト教徒にもかかわらず、本当のところを言うと、心の底からキリスト教を理解出来ているかどうかというと疑わしさがどこかにあると書かれていたことを、ふと思い出しました。

心から信じられるものを持ち、かつその共同体で同じ信仰を共有出来れば、何にも屈しない団結力で、確かに奇跡的な力を発揮することが出来るかも知れません。しかし、その力の向かう矛先には、必ず考えの異なる信仰との敵対が生じてしまうこと、常に征服の夢を追い求めて、闘いと侵略と征服が繰り返されて行いくという副作用も生じるというわけです。

宗教や信仰というものはそういう意味で、ごく個人的な内側の問題として、密かに大切に持ち続けるものであって、広くあまねく人々に強要していくものであってはならない、とつくづく感じたのでした。

翻って、このような私のような一個人であっても、宗教とは名のつかない宗教、さまざまな盲信を持っているということです。例えば「日本人である」とか、「女性である」、「画家である」という時にさえも、幼い頃から洗脳されたある概念が身体に染み込まれていて、それがある意味盲信とも思わず当たり前のこととして信じ続けています。しかしよくよく考えてみると、それは社会が便宜上、人間を種類に分けて安心するためにあるのであって、私自身がその枠付けに頼るべき事でもなければ、左右され侵害される事でもありえないはずです。本来は、何でもない無力な自分であるはずが、知らず知らずのうちに、弱さをさまざまな定義で形あるものにすり替えて強固にしようとする。賢いようで、実は自らを一つの型に押し込めて限界をつくり、与えられた能力のほとんどを無駄にしているのかもしれません。

自分自身は、何を信じさせられているか、ひとつひとつ注意深くよく吟味していく必要がありそうです。

沈黙ーサイレンスー』は、またもう一度見た時には、その時なりの感想が書けるかも知れません。是非もう一度見たい心に残る映画となりました。

道草ブログについて

このブログサイトは、以前『一雨潤千山』に記録した、
画家川田祐子の個人的な生活記録だけを移して、
新たに開設した道草ブログです。
今後は画家の活動記録は、『一雨潤千山』ブログで引き続き公開し、
プライベートな記事はこちらの『道草』ブログで公開して行きます。
*公開日時は、以前のブログのままにしてあります。

2005年からのブログ記事ですので、私自身の人生も変化しました。
今読み返すと、大変露骨で恥ずかし内容だったり、
お見苦しい言葉使いが散見されます。
それでも、自分なりに一生懸命、精一杯生きてきたことが読み取れて、
胸が熱くなりました。
かつての私が、このような文字として残したことを、
勝手に今の私が消去することはためらわれます。

そこで新しいブログサイトに移し、
「道草 カワダユウコノハダシノアシアト」としました。

寄付についての報告が文末に添付されている記事につきましては、
報告部分を削除して、別の記事として保管することにしました。
一つの記事に内容を盛り込み過ぎていて、
主旨の分からない文章もありましたが、
手を加えずにそのまま残しました。
ご了承下さい。

今後このような記事を書き続けて行けるかどうかは、
まだ未定です。

近況ー鶯とともに

毎朝、鶯の声で目を覚まします。
耳を澄ましていると、
細く長い音色が、
澄み渡る透明な朝の空気を磨きながら、
すべるようにして天に向かって響き渡って行きます。

鶯を昼間にも小枝の奥に見かけることがありますが、
その姿は美しい音色の大きさとくらべると、
落ち着きなく、すぐに姿を消してしまうような目立たない存在です。

鶯は、自分の身体を楽器にするのではなく、
周囲の空気を、それも無限に高く広がる空気全体を楽器にしている、
そう思わずにはいられません。

人もまた、心に響くという意味で、
あの鶯に学ぶべきことがあることでしょう。

先日、ハンブルグから来日されたテノール歌手、クヌート氏を迎えて、
日本人のお弟子さんたちも交えてのミニコンサートを聞いて来ました。

ハンブルグと言えば、ブラームスゆかりの地。

ブラームスの小歌曲の数々が披露され、
中でも「メロディーのように」という曲が心に残りました。

クヌート氏の声は、明るく爽やかで、
あたりの空気を包み込むようなソフトな音色でした。

強さとか、存在感は音量ではなく、
この包み込むような柔らかさにあるのではないか、
そんなことを感じて帰って来ました。

絵も同じですが、
本当は、描きたいことの反転した部分、それ以外の空気をどのように磨き、
「見えるもの」と「見えないもの」の狭間をどのように浸透させるか、
あるいは、どちらも主になるように描くこと、
そこが肝心だと感じることが多いものです。

生き方も同じで、「こうしたい」ということばかりにとらわれていると、
周囲と上手く同調出来なくなることでしょう。
「こうしたい」ということの反転したそれ以外のことにも、
折り合いがつくように生きたいものです。

鶯は、その短い一生を生命のために捧げ、
あの声を響き渡らせます。

「そのように描かなければ」
と鶯に教えられている毎日です。