季節の変わり目と語学学習『関口存男の生涯と業績

雪の降る朝を迎えました。冬と春とを行ったり来たりしながら、季節が変わって行きます。
こういう日は、じっと家で読書と制作に埋没することが一番良いように思われます。

今日は、東京国立近代美術館で岡本太郎展のレセプションがあるようです。
もったいなくも招待状を頂きましたが、行けそうにありません。
行くと図録が頂けると書いてありましけれど。。。

そのような自閉症気味な性格は、もともと生まれつきですが、
その性分のおかげで、作品制作を長年続けて来ることが出来ました。
画家にとっては好都合なのかもしれません。

しかし画家に限らず、どの世界でも自分の仕事を貫こうとする人は、
自分の時間をコントロールする方法や、
世間のしがらみから逃れる術を心得ているものだと思います。

自分をオープンにすることと、外界に流されない、という一見相矛盾したようなことを、
うまくバランスを保ちながら上手に切り抜ける、そういう能力が大切です。

そのコツは、やはり、肝心要の自分の核がつかめているかどうかでしょうね。
「ここだけは譲れない」ということさえ見えていれば、あとはオープンでも構わない、
あるいは、それ以外はご遠慮願う、そういうことのようです。

バランスを崩し、自分を見失うと、単なる病気とされてしまうわけです(苦笑)。

さて、そんな前置きは、なんのためにあったかといいますと、
語学学習ということを取りあげたいからです。
この語学学習も、多分に自閉的になって積み上げていく世界があるのです。
もちろん、会話は、オープンでないと身に付きませんが、
読解力はぺらぺら外国人と話せる能力とはまた違う能力かも知れません。
実は前回ご紹介した木田元氏の『闇屋になりそこねた哲学者』に、
語学独習について書かれていまして、
そこでたった一言書かれていた
「ドイツ語学習は、関口存男という人の本で学んだ」という言葉が懐かしく、
それから関口存男の著作は、今どうなっているのだろう?と古書を検索してみました。

そして、またまた次なる興味深い本にたどり着いたのです。
それが『関口存男の生涯と業績』です。慶応大学の図書館ブログにも、その本が紹介されていました。
まだまだ、ファンがネット上で関口ドイツ語への敬意を信仰告白のような形で書き込んでいます。

未だに関口ドイツ語が依然と支持されているのですねぇ。
「やっぱり優れているものは、いつまでも色褪せない!」感動すら覚えました。

最初に手にしたテキストの著者のはじめの言葉に
「語学はとても根気がいるので、どうせ続かない。
安易な気持ちでこの本を買おうとしているなら、買うのをあきらめなさい」
というようなことが書いてあって、まず凄い!と感動した関口ドイツ語。
テキストにはそこかしこに小さな囲いに対話や読み物があって、
そこを読むのが楽しくて仕方ありませんでした。

美大在学中は、通学時間2時間半でしたが、
そのほとんどの時間をこの関口ドイツ語のテキストの勉強時間に充てていました。

途中から、青山のゲーテ・インスティテュートに通うようになりましたが、
それでも関口氏の文法書が頼りでした。
今から思うと、そのくらいでは語学学習は足りなかったのかもしれません。
もっと時間をかけないと身に付かないらしいのです。
今更とは思うものの、今からでも遅くはありません。

実はこの人は既に私が生まれる前の1958年に亡くなっていたのですね。
私はこの本を古書店で紹介してもらったのが出会いのきっかけでした。
でも当時はネットもない時代で情報も少なく、
その時は現存している人だとばかり思っていました。

そういえば、当時NHKのドイツ語講座では関口一郎という人が出演していましたが、
関口存男氏の息子さんとばかり思っていたこの人は、お孫さんなのでした。
そしてもう既に早く亡くなられていることも知って、またまた驚きました。

今日ご紹介する本は、実は昨晩紀伊國屋書店のwebサイトから注文したばかりで、
読んでもいない本なのですが(笑)。『関口存男の生涯と業績』という本です。

実はもう絶版で、オンデマンドで復刻し、それでもほとんどが品切れだったところ、
かろうじてこのサイトだけが、定価で売っていました。

関口存男氏の著作のほとんどは、13巻の全集になっていますが、これがとても高額。

古書店でもセットで15万円程します。
ドイツ語で食べて行こうとする人にとっては、
それほどの価値がある内容なのです。

サイトで関口氏のことを調べてみますと、
とにかく天才的な語学力を持っていた人である事がわかってきました。
ドイツ語のみならず、フランス語、英語、スペイン語、ロシア語、ギリシャ語、ラテン語、
サンスクリット語などなどの習得と、その理解の深さは文化の壁を越え、
さらに尋常ではない程の能力だったそうです。

「ナチを逃れて仙台に亡命していたカール・レーヴィットが関口の書いたらしい公式質問書を読み、
大変薄気味悪がったという話をも田中は伝えている。関口のドイツ語があまりに日本人離れしていたため、
ナチス党員の誰かが書いたものではないかと疑ったというのである
(田中美知太郎『時代と私』p.254-255)。」
そんなことも書かれていましたし、
関口氏のドイツ語研究がドイツに逆輸入されて評価されていることも知り、
ますます虜になって行きます。

関口ドイツ語について書かれているブログサイトも、発見出来ました。
『関口存男の生涯と業績』から引用されて書き込まれています。
昔の人だから、べらんめい調の話し言葉で書かれているのですが、
それが癖でもあり、魅力的です。
ちょっと宮武外骨などの世界とダブります。

語学をやる覚悟

関口存男

「本当に語学を物にしようと思ったら、或種の悲壮な決心を固めなくっちゃあ到底駄目ですね。まず友達と絶交する、その次にはかかアの横っ面を張り飛ばす、その次には書斎の扉に鍵を掛ける。書斎の無い人は、心の扉に鍵を掛ける。その方が徹底します。」

「意地が汚くなくっては駄目です。欲張っていなければ駄目です。うんと功利的出なければ。ユダヤ人が金をためるように。なるべく執念深く、しつこく、うるさく、汚く、諦め悪く、非常識に、きちがいじみて、滅茶苦茶に、がつがつと、居候が飯を食うように――兎に角しつこく、しつこく、しつこく。」

「こういう事をいうと、頭っから反感を持つ人があるかも知れません。よろしい、反感をお持ちなさい、但し学問はおやめなさい。殊に語学は。(語学だけではないでしょう?)」

木田元氏が、さらっと書いた関口ドイツ語ですが、かなりここから感化を受けているに違いありません(笑)。
以上は、サイト書き込みからの抜粋です。

まだとにかく読んでいない本ですから、これ以上の事は書けません。
読みましたら、また感想等書きたいと思っています。

そういえば、木田元氏の文中にも、
語学学習のノウハウが紹介されていて、とても参考になりました。
たとえば、このような季節の変わり目には、精神が不安定になるから、
こういう時にこそひたすら語学学習をすると、
精神衛生上とても良いというようなことも書かれていました。
語学は力がついた実感を楽しく享受出来る世界だと思います。
読書好きは特に、何でも本から吸収したいので、
ネックの言語の壁を乗り越えられたら、
どんなに世界が広がるだろうかと、常に思うものなのです。

木田氏が、いかに時間をかけて語学を身につけたかということをその著作から知ったことも、
とても参考になりました。3O年かけて翻訳し本になったものがあるそうです。
1文1文ノートに書き込んで、丁寧に読み解いて行く。
本当に根気のいる仕事があってこそ、の翻訳なのです。

私の作品が「時間がかかり過ぎる」とか、
「もっと能率を上げる方法を考えなさい」
みたいなアドバイスを受けることがありますが、やはりそれはちょっと違います。

すぐに出来てしまうことは、たしかに便利ですし、
すぐにわかることは、心地よいかもしれません。

しかし、私はやはりそういう世界は私の場所ではないと思うのです。
私は、どちらかというと、便利でわかりやすい世界は退屈です。
わかろうとしても、なかなかわからない。
手に入れたいけど、凄く時間がかかる。
そういうものに時間や労力をかけたいと思うのです。

人生は、意外に長く、すぐに出来てしまうことばかりでは、
暇で暇でしょうがないじゃないですか。
皆さんそういう時間を娯楽や人付き合いに使っているのかもしれませんが、
そういうのって、とても刹那的で、空しく感じないのかしら?
まぁ、そう感じるのは、私が偏屈だからでしょうけどね。。。(苦笑)。

時間をかけて、じっくり自力で何か一つの事をやり遂げる。
私の人生はそういう人生です。

とにかく『関口存男の生涯と業績』が届くのが待ち遠しい。
おそらく私にとっては、25年ぶりの再会、というような出来事になりそうなのです。

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