外付HDD

先日ある人に、「画家はパソコンを使えないイメージがあるけれど...。」と言われてしまいました。何を隠そう私はMacを愛好する画家です。「パソコンを使って作品を制作しているのですか?」と質問されることがあります。答えは「ノー」です。でも私にMacがなかったら、制作の意欲がわかない程の中毒症状があります。

今使用しているのは、Power Book G4 12インチ 1.33GHz ( Mac OS 10.4.2)です。キーを打つ右手には、iMac GS spetial edition snow white で、もう今年に入ってから残念ながら使っていません。もったいないので、飾っています。ミラーリングをしてディスプレイとして使おう、と試みて悪戦苦闘した後、iMacはそのように作られていないことがわかった時は、本当にショックでした。snow whiteはリンゴにとっての白雪姫という意味があり、その白いボディーデザインは未だに私を魅了しています。

そのようにMacを愛好しているにも関わらず、実は自力でここまで使用できるようになったので、「こんなこと?」というような基本的なことに無知だったりします。最近、shiftキーを押すだけで、簡単にカタカナ表記ができるということを知り感動しました。いつまでたっても、わからないことばかりということが好きなのです。

Appleコンピュターを初めて見たのは、もうかれこれ25年前、当時は買うものではないと思っていました。その時簡単な描画を当時も今でもめずらしい、あの文具会社のぺんてる社が開発した、何色ものペンが平面の台の上で右往左往して印字する機種でプリントしました。その操作が、あまりにも要求からかけ離れた遠回りの行為だったので、はまることはありませんでした。

その後すぐに、富士通のOASISのワープロを活用していた時期が長く続きました。これも誰に教えてもらうわけでもなく、一人でマニュアル片手にマスターしました。それを使って仕事をしてほしいと言われた場所に、使い方を知っている人が誰もいなかったからです。

その間に、出版社の編集の仕事で、漢字の偏とつくりの書かれているキーを両手で打ちながら漢字を入力していくコンピュターを半年ほど使ったこともあります。これはマスターするのにとても大変でした。でもその時の経験が、パソコンにより引きつけられる性格を形成させました。

10年前に再会したMacはモノクロモニターのたぶんMacintosh(128K)です。FileMakerを使う仕事で触れることになりました。たまたま遊びでIllustratorを使った時、カーソルが画面をふわふわ動いて、あらためて「これはワープロと完全に違う」と感じました。フリーズという経験を幾度も経験し、大海原を漂流しているような日々が続きました。

最近はあまりフリーズしなくなりました。経験から得たいろいろな解決方法も、次第に使う必要がなくなりつつあります。それでもたまに、人からMacが故障して大変な思いをしたという話を聞くと、びくっとします。先日、言水制作室の言水へリオ氏のMacが壊れたそうで、美術情報誌etc.の発行が遅れました。原因を伺うと、どうもハードディスクの損傷らしいということでした。そういえば、言水氏のパソコンのデスクトップには無数のアイコンが並んでいました。外付ハードディスクにバックアップなんてことはしていない様子でした。

私自身HDDの存在はもちろん知っていましたが、長い間必要性を感じることはありませんでした。1.3GBのMOディスクドライブを持っていて、バックアップをたまにとるようにしています。でも本当に「たまに」なので、これまでに失われたデータへの哀悼の気持ちは拭いきれません。

先日『Mac Power』の10月号を買ってページをめくっていると、Maxtor One Touch 2についての記事が大きく掲載されていまいした。それで、やっと気がついたのは、「バックアップを早くとらなけでば」でした。どのようなデータを失うことが一番怖いかというと、今書いているような文章です。私は一度書いた文章を、記憶をたどって二度目に書くのがとてもつらいということと、どんなによく憶えていても、どこか違うと思うとやりきれなくてしかたがないのです。

話は少しはずれますが、私はこの『Mac Power』という雑誌を今年に入ってから買うようになったのですが、たぶん編集者の思う壷にどっぷり浸かっていると言って間違いありません。馬鹿だ馬鹿だと知りつつ、毎月『Mac Power』を買ってしまう私。何よりも掲載されている写真図版、そこに映されるMacの置かれている風景が気になって仕方ありません。紹介されるクリエイターの横顔、そしてMacを操る姿、背景の本棚、インテリア。私は書斎とか仕事場の風景に対して特別な興味と憧れがあります。いろいろな人の仕事場を覗いてみたいのです。そこにMacがあれば、なおさら胸がときめきます。

ということで、本日、ネット上のApple storeに入って、HDDを注文してしまいました。Power Bookを持って出かけることがあり、そのたびに、これが紛失あるいは故障した場合を覚悟できているだろうか、と問いかけることがしばしばあります。先月デジカメが故障して修理に出した時の苦い思いがよぎります。早くこの不安を解消したいものです。

実はブログは、私にとって外付HDDのようなものかもしれません。このように雑多な文章を毎日書くのは、中学生のときの交換日記以来のことです。懐かしいですね。1日に5~10ページも書いてくる人と、もう一人はすてきなイラストを丁寧に入れてくれる人と二人かけもちでした。(お二人ともお元気でしょうか?やはりブログをされていますか?)それ以来、目的のある文章しか書かずに来てしまいました。ですから山積している雑多な事柄を、文章にして頭の中から出して、安心したいという気持ちが、私をこのように動かすのでしょう。

絵画作品は、私の経験の雑多なそれらを、腐葉土にして生まれてくる植物のようなものです。

サルバドール・ダリは、海面をめくって海底を探る絵を残しています。私は海面や海底を行き来しながら絵を描きますが、人はそれを海面と見ているというようなもどかしさから、文章を書くのかもしれません。

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