博物館と私

 大学1年の時から10年間程、横浜馬車道にある神奈川県立博物館(現神奈川県立歴史博物館)でアルバイトをしていました。建物は、旧横浜正金銀行当時の外観を残していて、重要文化財になっています。明治建築の重厚な雰囲気が好きで、授業のない休みの期間に雇って頂いていました。

 仕事内容は、いろいろな学芸員の資料整理のお手伝いです。当時、神奈川県立博物館は総合博物館で、歴史、民族、考古、植物、動物、昆虫、地質等、いろいろな分野の学芸員がいらっしゃいました。浮世絵を収納するマットのカット。昆虫、動物担当の学芸員とは、横須賀まで、東京サンショウウオを発見しに出かけたこともあります。歴史関係の資料は、主に地下の銀行当時の金庫にあり、そこに集められているさまざまな古物の番号と資料とを照らし合わせる作業。博物館には、専門のカメラマンが常勤していて、撮影された写真資料のナンバリングという仕事もありました。

 博物館というのはこのように、雑多で地味なものがたくさん集められていて、それをまず、分類したり、ひとつひとつがどういうものかを、記録する仕事から始まるわけです。博物のそれぞれの記録(=誌)を残し、その点と点を比較したり、結び合わせるような研究によって、次第に重要な事象を立証していくことになります。ということはとても地味な人たちが暗い顔で研究しているか、というとそうでもなく、当時本当にいろいろ変わった人たちが集まっていました。そしてそこに、美大生の私がたまにお邪魔して、ここではちょっと公開するのがもったいないような、日頃の研究の中から生々しく飛び出す話の数々に耳をそば立て、おまけに武勇伝まで残してしまいました。

 ある日クジラを研究されている学芸員が南極の調査から帰って、研究発表後にお土産に持ち帰った氷でウィスキーを飲んだ日がありました。南極の氷には何千年も前の空気が閉じ込められていて、それがウィスキーの中でプチプチ音をたてて溶け出すのです。随分飲んでしまいました。あげくのはてに、博物館で朝を迎えてしまったのです。この日は、ものすごく大切な授業があって、二日酔いを押して大学に行きましたが、途中自分自身が電車の中でかなり酒臭く、はっと靴をみたら、そのアルコールでぴかぴかに光っていました。

 ………とまあ、このように、実は博物館で私は酒の飲み方を伝授されたのです。夜毎、さまざまな分野の研究者がどこからともなく、酒のにおいに誘われて、この研究機関に集まるのです。そして、お酒の力で饒舌になった勢いで、よもやま話しに花が咲きました。

 博物館は、まず地道な研究が基本にありますが、実はもっと大切な仕事があるのです。それは、情報や物を持つ人を集める仕事です。昆虫にしろ、歴史にしろ、それをみつめる人間があってこそ研究は成立します。一人ですべてをこなすのではなく、ネットワークをつかんでおかないと、良い研究は出来ないのです。そのために、凄腕の学芸員は酒で本領を発揮していました。展示する仏像にしても、すべて博物館に収蔵されているわけではあるません。頭を下げても借りることの出来ない貴重な美術品もあるのです。これをどのように円滑に調達するか、それは人間と人間とのやりとりの中から可能になる、ということを学ばせてもらっていました。

 しかしながら、こういう黄金期はそう長くは続かなかったようです。皆年をとるごとに病人,怪我人が続出しました。私はその後、この伝授された「快活に人と飲める術」をあちこちで活かしていきました。しかしながら、最近日本ではあまり相手の方が飲まないケースが増えましたね。机上の知性ではなく、リアルな体験から引っ張ってくる知的な話題を肴に飲む機会には、なかなかめぐりあえないものです。あの時の人間の勢いや面白さというのは、多分に時代的な色があったのだと思います。当時日本はバブル崩壊前でした。いろいろな好条件がそろった一瞬だったのかもしれません。

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