ブライス・マーデン『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』

今朝久しぶりに林道郎氏の『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない ブライス・マーデン』をざっと読んでいましたら、とても面白いことが書いてありましたので、ご紹介がてら、私の作品制作技法について書いてみたいと思います。この本はART TRACEという東京の両国にある画廊が出版しているもので、現代美術を紹介する優れた出版物のひとつです。1冊,1作家。以前その画廊で企画開催の林氏によるセミナーの記録です。シグマー・ポルケ、サイ・トウンブリ、アンディー・ウォーホール、ロバート・ライマン等、現代美術オタクもしくは作家向け(苦笑)の希有な良書です。

ART TRACEからは今年に入って『ART TRACE PRESS』という雑誌が創刊されました。第1号はジャクソン・ポロックの特集。最近では珍しいアート雑誌に仕上がっていました。今後の展開が楽しみです。画廊が出版物を出すというのも希有な存在ですが、この画廊自体の経営形態も画期的なものです。毎年作家を10人近く募集して、それまでのメンバーが仲間を入れ替えて行きながら、お金を出し合って、その年の企画運営が維持されています。画廊のオーナーの色が作品に影響しないという利点があるかもしれません。また、「ある権威に認められたい」というようなスタンスで作品をつくるのは疲れるとか、そういうのは潔しとしないという作家にとっては、救いとなるような場所であり続けています。

話しをブライス・マーデンに戻しましょう。マーデン自体、日本ではめったに紹介されないので、そのことを書いてもほとんどの人が興味を持つのは難しいかもしれません。しかしとても重要なアメリカのミニマリズムあるいは抽象表現主義の作家です。イェール大学の美術建築学部で絵画の勉強をした人です。ちょうど日本で言えば、東大や京大に制作主体の実践的な美術部門があるという感覚だそうで、理論的な視点を持っている点に興味をそそられます。アメリカのこの時期に輩出された重要な作家の多くは、このようなタイプが多いのが特徴です。彼らは、美術を感覚や情動から取り組むだけでなく、作家自らがそれを裏付ける理論や哲学、コンセプトを持ち、「非常に洗礼された批評的な文章を書いたり発言」できる人たちなのです。これはアメリカが、ヨーロッパ文化に対抗して,国を挙げて大学教育機関で高等教育を受けた作家を育て、文化創出を政策的に行った賜物と他著作で読んだことがあります。

マーデンの作品はどういうものかといいますと、この本では「編み絵」という言葉で説明されていましたように、あまり色を感じさせないニュートラルなキャンバス画面に、絵具で日本の書を彷彿させるような、強弱や抑揚のあるドローイングが行われているシブイ作風です。その線は決して均一な整った線ではなく、よたよたと有機的であり、また平面的というよりは、線をさらに消し去った跡も残してあり、ほのかな空間も創出されています。その線の創出方法について写真付きで紹介されている箇所をとても興味深く読みました。

マーデンは、線描(ドローイング)するためのスティックを自分でつくったそうなのです。

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それは自然の中から採取してきた木の枝でした。その枝はまっすぐな竹のようなものではなく、個々に有機的ないびつな形をしているものが選ばれたようです。それには理由があって、この本ではこのように書かれていました。

「それを使うと画面と手元の距離が通常よりも遠くなるわけですが、彼に言わすと、それは逆に、手と画面の距離を近くすることなんですね。つまり固くて繊細で、かつ手の動きがスムースに伝わるようになっていない木の枝は、その分だけ、ちょっとした手の狂いを増幅させて画面に伝えることになる。もちろん、コントロールが難しくなるわけですから、偶然のブレが生じやすくもなるでしょうが、そうであればあるほど、手の動きは、ますますの慎重さと緊張を要求されるようになります。つまり、手と画面の接触の空間に新しい道具を介在させることで、新しい身体技法と描線をともどもに発生させる実権を試みているということです。」(p.49〜50)

絵画作品の細部の完成度をとても気にする人が多いと思います。私の作品を見る人も、多分にそういう人が集まる傾向があって、私のハッチングの線が、意外におおらかなものであるので、どう評価して良いのか戸惑うようです。

こんなこともありました。かつて画集を出版する際に、編集者が「この細かい線は見えないようにぼやかした方がいいでしょうか?」と言われて、「えっ?線が見えるのを嫌がる美意識というのもあるのかもしれない」と結構新鮮な驚きがありました。もちろん「はっきり見せることが重要です」と言いました。

それからこんなこともあります。「川田さんは、これから年をとったら、この技法は無理なんじゃないか」という、遠くから漏れ聞こえて来る声。私は何も言わずに、言わすに任せてしまうのですが、そういう人の持つ美意識は、私の線描がとても繊細で整っていると思い込んでいて、それは老眼になったら続かないと思うようなのです。私はよく職人的とか、工芸的と言われることもありますが、そう言われる場合は、線の繊細さに価値を見出して下さっていることに理由があるのでしょう。

私の中には、そう言われることは違和感としてあります。私の線は皆さんが思う程には繊細ではなく、かなりアバウトで大らかです。だからと言って、雑ともまた違う趣きではないでしょうか。細かい線の集積は確かに美しいと思って作業しますが、私にとっての目的は、このマーデンの枝と全く同じ理由です。なるべく上手に出来にくい方法を敢えて使うことで、そこに偶然生まれる「壊れ」をつくり、形を起こさせるのです。私が形を作るのでなく、ハプニングが形として残るのです。決して、線の技巧的な美しきや、技法の上達度を見せたいわけではありません。ここが、従来の古典技法の世界と裾野を分かつところです。

ハッチングは極細の筆を使いますから、長時間動かしていると、30本に1本くらいの割合で、下手な線が生まれます。他よりも太すぎたり曲がったりするのです。均一に並べ過ぎると、何も生まれて来ませんが、このような失敗の線が生まれて来ると、それがチャンスとなって、その線を打ち消したり、さらに線を重ねて、「繕い」が始まります。この「繕い」を巡って、想定外の展開が始まるのです。それが線から面への変化であったり、凹凸のある空間性のきっかけとなるわけです。

「繕い」ということができる手法なので、失敗がありません。また、永遠に一つの絵を描き続けることも可能です。

そして、それらの線が存在することで作品が制作出来る、そういう過程を語る線を見てもらうことが重要です。それは美しく整えられているからではなくて、むしろそのような線の集積のために費やした時間、私が生きて制作したその過程という事実、その息吹が吹き込まれている時間の重み、そういうことを感じて見て味わってもらうためです。そのリアルな時間を感じてもらうためには、整えられている機械的なミニマルな線よりは、少し生身の人間の手の温もりのような有機的な線である必要があります。

マーデンは、描材を自然素材から持って来ていることはとても魅力的です。一方私の場合は、既成の極細筆を使うハッチングという古典技法から、偶然性をつくるために援用していることが,他に類例のない手法です。温故知新というところでしょうか。また、カッターナイフでスクラッチして生まれる彫線は、立体としてそのものが空間を持ち、そのもの自体が彫刻の作業の延長上にある特異なドローイングでもあります。その彫線は、時としてハッチングの線を上から打ち消し、ある時はハッチングの線の背後から、「空間概念」というものを静かに主張させます。フォンタナ程には激しい主張にはなっていませんが、この執拗さに少しドキドキするという部分でしょうか。しかしそれらはハッチングの線に覆い隠されて、とても控えめに表現するに留めるようにしています。

観る人の喜びや配慮というのも、何も考えなくはありませんが、あまりそれをすると絵画は生気のないものに感じるのは私だけでしょうか?良く美術史で例が上げられるのは、アングルという新古典主義の画家の『』という作品です。まるで陶器のような素晴らしい画肌ですが、なぜか血の通わないぎこちなさと、固い表現が印象的です。

最後にブライス・マーデンの言葉を書いて置きます。「絵かきというものは、一本の線をひくことで、画面が平面でありながら、そこに立体や、深さを作ったりすることができる人のことだ」

私は最近でこそ、自分を「画家」と言えるようになって来ましたが、それはそう言わないと先に進まない、誤解が生じる、そう言った方が分かりやすいので、という理由もあったのですが、従来の所謂「画家」という概念を私が私なりに変えてみようと、思えるようになったからです。「画家」というのは、いろいろな人の垢がついてしまって、魅力のないものに陥れられている感すらあります。ですから、マーデンの言葉にとても心を強くします。

ところで、このような動画を見つけました。かなり画家を辛辣に表現しているので、これまでの内容をまるで打ち壊すようなものかもしれませんが、こういう「画家」というイメージがはびこっていることも事実として受け止めなければならないと思い、敢えてリンクを貼っておきます。お時間のある人は動画を楽しんで、笑っちゃって下さい(爆笑)。イッセー尾形は天才ですね。長野で公演があったら是非見に行きたいと思っています。プラチナチケットで、手に入らないかもしれませんが...。

イッセー尾形『画家パーティー』動画

今日は、『絵画は二度死ぬ、あるいは死なない』の本のご紹介と共に、ブライス・マーデンの「編み絵」や描材のスティックと比較しながら、私の制作について書かせて頂きました。

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