バイオモルフー『盲目の時計職人』リチャード・ドーキンス

今読んでいるドーキンスの『盲目の時計職人』には、「バイオモルフ」という用語が出て来るのですが、これがとても面白いのです。氏はこれを自然淘汰の説明に使っているのですが、どうも形態学の説明なのではないかと私は思いました。これと似たことで、最近PCソフトでフラクタル・アートを制作する人たちがいるのですが、これにもかなり近いですね。以前マンデルブロのフラクタルに関する本を読んでみましたが、それと同じような面白さがあります。

バイオモルフについて説明するのはとても難しいのですが、「樹木」の「一つの枝から二つに枝が分かれる」という規則を図式化して、その枝分かれを増やして行くと、複雑な形態が無限に生まれて来ます。これを少しずつ、枝分かれの角度などのバランスを崩していくと、さらに思っても見ないような形態が生まれることをドーキンスが発見し、その形態が昆虫、サソリ、コウモリ等あらゆる生き物の形態に似ているというのです。私は、それらが左右対称の図形であることに,何か隠された秘密があるのではないかと、直感的に感じます。以前から、私は自分の作品の画像を反転して、それを元の画像と重ね透かすと、左右対称の不思議なものが浮かび上がる作品をプリント作品として発表したことがあります。これが、見る人によって、さまざまな生き物に見えるのです。それは私が描いた事ではなく、そう見える瞬間があるという作品(『glow』『vital dandelion』『red earth』)でした。

なぜそれがそのように見えるかというと、おそらく私の作品が単純な線の集積で描かれているからです。この線の集積がたいていある程度の規則的な方向性を持っていて(それは私が右の手で心地よく描ける線の方向がある程度限られている事実があるからです)、反転することで「樹木」の枝分かれのような形が出来るのだと思います。これが人間の手の不規則な運動により、少しずつ微妙な曖昧さを含みながら、「バイオモルフ」を生じさせるのかもしれません。以前はよく作品の題名に「バイオ〜」と名づけていたのです。でも「バイオモルフ」のことは知りませんでした。感覚的にそうしていたことです。

このように、本を読んで「バイオモルフ」を知って絵を描くのではなく、私はいつも制作しながら「不思議だな」と思っている事が、後から自然現象や本やあらゆる日常の経験の中で、その不思議さを説明する何かが起きます。あるいは、出会いがあります。

このところ、日常ではあることが続けて起きました。それらを総括して反省するに、「不安や猜疑心に駆り立てられる事なく、安心して制作に勤しみなさい」という教えのような気がしてなりません。

なぜ人間は不安を抱くのでしょうか?自分の弱さを、起きた問題に投影させるからです。
その問題は、何も自分に攻撃して来ることはありません。
じっと耐えて対処すれば、自ずと消えて行きます。
それが耐えられそうにないと思うから不安になるのでしょう。
自分のするべきことに力を一層注ぐこと。
そのことこそが、解決への近道、と教えられているようでした。

不安から衝動的に行うことは、ろくな結果になりません。

私の問題は、全てこの制作に集中する事で解決するのです!

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